日本密教
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真言は、日本では真言宗、天台宗、修験道、禅宗等で幅広く用いられる一方、最大勢力である浄土真宗では念仏を重視するため用いない。
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日本密教(台密・東密)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 15:06 UTC 版)
「ガネーシャ」の記事における「日本密教(台密・東密)」の解説
天台宗・真言宗ではガネーシャを起源に持つ歓喜天(聖天)が天部の護法神として信仰される。
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日本密教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 14:15 UTC 版)
日本密教では、この肉身のままで究極の悟りを開き、仏になることを「即身成仏」と称する。 しかし密教の経典に「即身成仏」なる単語は一度も出てこない。空海の書いた「即身成仏義」だけが論拠となる。 即身成仏という単語自体は不空訳「菩提心論」等複数の経論儀軌に見られ、また『修行者が肉身のまま悟りの境地に達する行』は真言密教だけでなく、天台密教・インド密教・チベット密教も含んだ密教全般に内在している。その後、即身成仏は多くの宗派に解釈された。 本節以下では、主として空海に連なる真言宗やそれに影響を受けた天台宗などの密教系の宗派の説く即身成仏について記す。 大乗仏教などの顕教が「三劫成仏」「三劫」と呼ばれるとても長い時間の修行の末に仏になれることを説くのに対し、日本密教においては「即身成仏」、すなわちこの現世においてこの身のままに悟りを得て仏になれることを説く[要追加記述]。 即身成仏思想の元となるインドの中期密教は経典等の形で空海以前に日本にすでに持ち込まれていたが、初めて体系的に日本に持ち込んだのは、延暦23年(804年)に遣唐使として唐朝に派遣された空海である。『金剛頂経』などの経典からこれを学んだ空海は大同元年(807年)に帰国、その将来品の内容を『請来目録』に記して10月22日に朝廷に提出した。その後『弁顕密二教論』の段階では速疾成仏との表現に留まっているが、徳一などとの議論を経て、真言密教における即身成仏は『即身成仏義』として理論化された。『即身成仏義』における以下の詩文は、真言密教における即身成仏の考え方を端的にあらわしたものとされる。真言宗の伝統的に前半4行が「即身」、後半4行が「成仏」の説明であるとする。 六大無碍にして常に瑜伽なり。四種曼荼各々離れず。三密加持して速疾に顕わる。重々帝網なるを即身と名づく。 法然に薩般若を具足し、心数心王刹塵に過ぎたり。各々五智無際智を具す、円鏡力の故に実覚智なり。 「六大」とは五大に加え識大を加えたもので、世界のあらゆるものの構成要素を示す。 「四種曼荼」とはすなわち「大曼荼羅」「三昧耶曼荼羅」「法曼荼羅」「羯磨曼荼羅」という4種類の曼陀羅で表現される。空海は唐朝から曼荼羅も持ち帰り、真言密教の思想とともに全国に広めた。弘仁14年(823年)に嵯峨天皇から東寺を給預された空海は、東寺においてこの四種曼荼を表現させたが、これらは1200年の時を超えて現存している。 「三密」とは仏の身口意の三つである。
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