チベット仏教
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チベット仏教(チベットぶっきょう、チベット語: བོད་བརྒྱུད་ནང་བསྟན།)は、チベットを中心に発展した仏教の一派。根本説一切有部律の厳格な律に基づく出家制度、仏教の基本である四聖諦の教えから[1]、大乗顕教の諸哲学や、金剛乗の密教までをも広く包含する総合仏教であり、独自のチベット語訳の大蔵経を所依とする教義体系を持つ。中国、日本、チベットなどに伝わる北伝仏教[2]のうち、漢訳経典に依拠する東アジア仏教と並んで、現存する大乗仏教の二大系統のひとつをなす。
注釈
出典
- ^ 吉村 2014, pp. 362–363.
- ^ 世界大百科事典 第2版『北伝仏教』 - コトバンク
- ^ 吉村 2018, p. 32.
- ^ 世界大百科事典 第2版『ラマ教』 - コトバンク
- ^ 『岩波 仏教辞典 第2版』 1037-1038頁、「ラマ教」。
- ^ 石濱 2014, p. 90.
- ^ “The religion of Keanu Reeves, actor”. Adherents.com. 2019年4月27日閲覧。
- ^ Tibetan buddhist in hollywood. www.hollywood.org[リンク切れ]
- ^ “中国政府、チベット高僧の転生に事前申請を要求”. AFPBB News. (2007年8月4日)
- ^ 吉村均『チベット仏教入門』筑摩書房〈ちくま新書〉、2018年
- ^ 高山文彦『麻原彰晃の誕生』文藝春秋〈文春新書〉、2006年2月20日。ISBN 978-4-16-660492-0。[要ページ番号]
- ^ “弥勒祈願祭”. 文殊師利大乗仏教会. 2019年4月27日閲覧。
- ^ 福田 2014, p. 221.
チベット密教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 02:54 UTC 版)
チベット密教では、タントラを所作(蔵: bya ba, 梵: kriyā)、行(蔵: spyod pa, 梵: caryā)、瑜伽(蔵: rnal 'byor, 梵: yoga)、無上瑜伽(蔵: rnal 'byor bla med, 梵: anuttarayoga)の4種に分けている。これは歴史の中で少しずつ作られていったもので、なぜこの4種なのか、という点に関しては宗派により説明が異なる。 12世紀のサキャ派の学者ソナムツェモは、タントラを4つに分類した理由の解説を試みている。ソナムツェモは、インド宗教への信仰、顕教の教え、人の執着を満足させる方法のそれぞれが4種に分類可能であり、タントラ4種はそれぞれに対応するためにあるのだと説く。 13世紀、チベットの大学者プトゥンは、4種タントラが、断じるべき執着、インドの社会カースト、断じるべき煩悩、修行者の能力、一時的な薫習、時代を考慮して分類されていると述べている。 14世紀、ゲルク派の祖であるツォンカパは、『真言道次第大論』の中で顕教と密教を比較解説し、ソナムツェモの解説に対する批判を試みている。ツォンカパは『サンプタ・タントラ』に「笑う、見る、手と手を繋ぐ、抱く」の4種の煩悩があるとされていることを根拠に、これらの煩悩を菩提への道として転用するためにタントラが存在するのだと説く。
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チベット密教
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詳細は「チベット仏教」を参照 チベット仏教は、所作タントラ、 行タントラ、瑜伽タントラ、無上瑜伽タントラなど初期密教から後期密教にいたる密教経典と、それに基づく行法を継承している。 漢地ではモンゴル系の元の朝廷内でチベット系の密教が採用され、支配者階級の間でチベット密教が流行した。漢民族王朝の明においてもラマ僧を厚遇する傾向があったが、満洲民族王朝の清に至って、王室の帰依と保護によってチベット仏教は栄え、北京の雍和宮など多くのチベット仏教寺院が建立された。ただし、漢地におけるチベット仏教の存在が当時の中国人社会にどの程度の影響力を持ったかについては十分な解明がなされていない。 チベット動乱や、特に文革期に激烈であった中国共産党による宗教弾圧を乗り越えて、チベット自治区やチベット人を中心に現在もチベット密教の信仰が続いている。文革終了後の中国大陸では、漢人の間でもチベット密教(蔵密)が流行。法輪功問題を契機に気功がブーム終息した頃、チベット密教の行法を信仰から切り離して気功法として行う「蔵密気功」が各地で宣伝された。台湾の仏教にはチベット密教も伝わっており、清朝末期に創設された「西蔵学会」もある。モンゴルでは中世のモンゴル帝国でチベット仏教が国教であった流れから、現在までチベット密教の信仰が続いている。カンボジアのアンコール朝にも密教は伝来しており、密教で用いられる祭具や、特にヘーヴァジュラを象った銅像や祭具が出土している。 欧米での展開も起き、チベットにおける1950年から1951年のチベット侵攻 から1959年のチベット動乱という大混乱の後は、ダライ・ラマ14世をはじめとする多くのチベット僧がチベット国外へと出て活動したことにより、ヨーロッパや米国で広範囲に布教がなされるようになり、欧米の思想界にもさまざまな影響を与えた。アメリカ合衆国ニューヨークでは、ダライ・ラマ14世と親交のあるロバート・サーマンにより1987年にチベットハウスが設立・運営され、チベット密教も含めチベットの思想や文化が広報されている。その経緯から、欧米諸国で Esoteric Buddhism と言う場合には、主にチベット密教を指す。
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