煩悩
煩悩(ぼんのう)とは、「身心を悩まし煩わせる心のはたらき」を意味する仏教の用語。迷いや苦しみの原因となる心のけがれ。典型的には「貪瞋痴の《三毒》」など。通俗的には、とりわけ「物欲」および「性欲」を指す意味で用いられることが多い。
「煩悩」の語源
「煩悩」は、もともと仏教の用語であり、原語は梵語(サンスクリット語)の「kleśa」である。これがパーリ語、そして漢語へと翻訳され、仏典とともに大陸から日本へ伝来した。「煩悩」は仏教の根本に関わる基本教義のひとつである。仏教においては、煩悩を滅ぼすことが「解脱」であり「菩提」(悟りの境地)、そして「涅槃」に至る方法である。
仏教の教えにおける「煩悩」
仏教では「貪」「瞋」「癡」の3種を煩悩の根本・人間の苦しみの根源と位置づける。これは仏陀が説き、後代でも踏襲されている。貪(とん)は貪欲さのことであり、瞋(しん)は怒りや憎しみ、癡(ち)は無知・無明のことである。総称して「三毒」という。煩悩の種類・区分あるいは総数などは、宗派・学派などによっても異なる。とはいえ、煩悩は自己愛(我執)に起因する心の迷いであり、これを乗り越えることが心の安らぎを得る方法に他ならない、という基本的な位置づけは揺らがない。
現代における「煩悩」の主な意味・用法
今日においては必ずしも仏教の含蓄を踏まえずに「煩悩」という表現が用いられる場合も多い。「煩悩にまみれる」「煩悩だらけ」といった言い回しで用いられることが多い。その大半は性欲(色欲)もしくは物欲・食欲に類する欲望である。あるいは名誉欲や怠惰欲、その他の(集中力や決意を阻害する)雑念などを指して「煩悩」と呼ぶ場合もある。とびきりの親馬鹿ぶりは俗に「子煩悩」という。
ぼん‐のう〔‐ナウ〕【煩悩】
煩悩
煩悩
煩悩
- 情慾のことをいふ。煩悩は梵語にて「無明」のことをいふ。情慾の為め異性に迷ふ意味からいつたもの。〔情事語〕
- 情慾のことをいふ。煩悩は梵語にて「無明」のことをいふ。情慾の為め異性に迷ふ意味からいつたもの。
分類 情事語
煩悩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/31 07:50 UTC 版)
煩悩(ぼんのう、サンスクリット語: क्लेश, kleśa、クレーシャ、巴: kilesa、キレーサ、英: Kleshas)とは、仏教の教義の一つで、身心を乱し悩ませ智慧を妨げる心の働き(汚れ)を言う。同義語として、漏(ろ; aśrava、アーシュラヴァ、巴: asava、アーサヴァ)[1][注 1][注 2]、随眠(ずいめん; anuśaya, アヌシャヤ、巴: anusaya、アヌサヤ)、暴流(ぼうりゅう; ogha)[1]、軛(くびき; Yoga)[1]など、数多くの表現が用いられたりもする。
- 1 煩悩とは
- 2 煩悩の概要
煩悩
「煩悩」の例文・使い方・用例・文例
- あなたは煩悩を持っていないように見えます。
- 「百八といえば煩悩の数だ」「お兄ちゃんはどんな煩悩があるの?」「言ってもいいが、検閲削除になるぞ」
- 人には、迷いと苦しみのもとである煩悩がある。
- この煩悩のきずなから逃れるには五つの方法がある。
- (難行苦行をして)煩悩を去る
- 煩悩の犬追えども去らず
- 煩悩の犬に追わる
- 彼は子煩悩だ
- お爺さんは子煩悩だ
- 煩悩を解脱する
- 煩悩のため情をおさえられないこと
- 煩悩があること
- 煩悩がある人
- 煩悩に迷う者が住むけがれた所
- 煩悩、執念がなく無心であるさま
- 煩悩からのがれる
- 業の根元としての煩悩
- (心が煩悩で)散りぢりに乱れる
- 煩悩を脱した清い心
- 煩悩を離れた涅槃の境地
煩悩と同じ種類の言葉
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