仏典
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/16 07:16 UTC 版)
仏典(ぶってん)とは、仏教典籍の略称で、仏教の聖典の総称である。「律蔵」「経蔵」「論蔵」という分類形態から三蔵とも呼ばれる。言語的には、パーリ語・サンスクリット語などのインドのものを初めとして、漢語、チベット語、モンゴル語、満州語のものがあり、西夏語のものも一部現存する。漢語やパーリ語から日本語に訳したものもこれに準じる。
- ^ 馬場紀寿『初期仏教――ブッダの思想をたどる』〈岩波新書〉2018年、83頁。ISBN 978-4004317357。
- ^ a b c d 馬場紀寿『初期仏教――ブッダの思想をたどる』〈岩波新書〉2018年、59-60頁。ISBN 978-4004317357。
- ^ a b 下田正弘「『正典概念とインド仏教史』を再考する―直線的歴史観からの解放―」、日本印度学仏教学会『印度學佛敎學硏究 第68巻 第2号』令和2年3月、pp.1043-1035
- ^ 馬場紀寿『初期仏教――ブッダの思想をたどる』〈岩波新書〉2018年、83頁。ISBN 978-4004317357。
- ^ 「日本古写経研究所」公式サイト https://www.icabs.ac.jp/research/koshakyo 閲覧日2023年9月21日
- ^ 船山徹 『仏典はどう漢訳されたのか―スートラが経典になるとき』 ISBN 4000246917
- ^ a b 末木文美士『日本仏教入門』KADOKAWA/角川学芸出版、2014年3月21日。ISBN 4047035378。
- ^ 竹内亮「大寺制の成立と都城」『日本古代の寺院と社会』(塙書房、2016年) ISBN 978-4-8273-1280-5 P96-98
- ^ a b 須田牧子「大蔵経輸入とその影響」『中世日朝関係と大内氏』(東京大学出版会、2011年) ISBN 978-4-13-026227-9 (原論文:2007年)
- ^ Yoshimura, Shyuki 芳村修基 (1950). The Denkar-ma: An Oldest Catalogue of the Tibetan Buddhist Canons. Kyoto: Ryukoku University.
- ^ 川越英真『パンタン目録』(Karchag Phangthangma 英文)の研究 A Study of dKar chag 'Phang thang ma.、日本西蔵学会会報、51: 115 – 131.
- ^ Kawagoe Eishin 川越英真 (2005b). Dkar chag ʼPhang thang ma. Sendai: 東北インド・チベット研究会Tōhoku Indo-Chibetto Kenkyūkai.
仏典
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/29 00:14 UTC 版)
上座部仏教で採用されているパーリ仏典である『スッタニパータ』の第一章には『犀角』『犀の角』などと呼ばれる節があり、この節ではいずれも「犀の角のようにただ独り歩め」で締められる多数の韻文で修行者の心得が述べられている。
※この「仏典」の解説は、「犀角」の解説の一部です。
「仏典」を含む「犀角」の記事については、「犀角」の概要を参照ください。
仏典
「仏典」の例文・使い方・用例・文例
- 仏典.
- 仏典の三蔵のうち,経蔵と論蔵
- 玄奘三蔵以前の漢訳仏典
- 仏典を講ずる人
- (仏教で)法会のときに仏典の講説をする僧
- 仏典を読み,その意味を解く
- 三蔵という仏典
- 仏典の三蔵に精通した高僧
- 仏典以外の書物
- 訓点がつけてある漢籍や仏典
- 玄奘三蔵より前になされた仏典の漢訳
- (仏教で)法会のときに仏典の講説をする役割
- バーミヤン遺跡で仏典発見
- アフガニスタンのバーミヤン遺跡で仏典の断片が発見されたと文化財研究所が発表した。
- 同研究所は,仏典は木の皮にサンスクリット語で7世紀ごろに書かれたと話している。
仏典と同じ種類の言葉
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