仏典における言及
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/22 06:06 UTC 版)
『テーリーガーター』1020では、彼女の美貌に心を奪われた比丘衆に阿難が誡めのために偈を説いている。 『大般涅槃経』では、リッチャヴィ(離車)族の公子らに先んじて釈尊を招待している。公子らがその招待を譲り受けんと乞うも彼女は譲らなかったという。その所有していた菴摩羅樹苑(マンゴー樹園)を僧団に寄進した。後の天竺五精舎の1つ菴羅樹園精舎である。この件は諸文献に通じるエピソードである。 南伝『マハーヴァッガ』では、彼女の美貌によりますます多くの人々が街に引き寄せられてヴェーサーリーが潤ったという。 『雑阿含経』24.20、及び『長部註』(DA.ii.545)によると、菴摩羅樹苑にて、彼女が来るのを見て、釈尊は弟子集にその美貌で心が揺れないように四念処を説いたとある。 『㮈女祇域因縁経』では、彼女はヴェーサーリーのバラモンの㮈樹の肉瘤(にくこぶ)から生まれたとし、美人なるをもって15歳の時に7人の王が求婚したがすべて断った。Sumanā(須漫)、Padumā(波曇)の二女も彼女と同じように各々樹華より生まれたという。彼女と二女は共に500人の女性を率いていたが、釈尊の説法を聞いて出家し悟りを得たという
※この「仏典における言及」の解説は、「アンバパーリー」の解説の一部です。
「仏典における言及」を含む「アンバパーリー」の記事については、「アンバパーリー」の概要を参照ください。
- 仏典における言及のページへのリンク