仏典の止の概念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/19 16:14 UTC 版)
パーリ語のサマタ(samatha)、サンスクリットのシャマタ(śamatha, 奢摩他、漢訳: 止)は、仏教の用語で、ひとつの対象に心を落ち着かせることであり、止(し)と翻訳される。仏教では、止 (samatha) が深まると三昧 (samādhi) という状態から禅那 (jhāna) という境地に至るとされた。定とも漢訳される三昧は、何らかの対象に集中している状態、または対象に集中することによって生じる集中力を指す。禅那は段階的に、4つの色界禅(初禅から第四禅)、4つの無色界禅、滅尽定に区分される。 「止」の原語であるサマタないしシャマタは、仏典においてのみ使われており、インドの一般の文献には見られない。仏教が成立した初期の頃には、『ウパニシャッド』やジャイナ教と同じく、dhyāna(禅定)や、yoga といった表現が用いられた。止の原語である samatha や śamatha は『ウパニシャッド』では使われず、それに近い śama や śānti であればヒンドゥー教での中心的な概念となっている。samatha という言葉は仏教の成立後しばらく後に用いられるようになったと考えられる。漢訳では一般には止であり、奢摩他と音写されることもある。六息念の sthāpanā や sthāna も止と訳されるが、意味は同一ではない。 初期の経典『小部』では止観のように観の字は併記されず、止や心寂止がよく登場するため、特に心寂止という言葉は、観よりも早く成立したと考えられる。説一切有部などの後代には、止観という言葉が生まれている。この時代の初期・中期(2-3世紀ごろ)の「六足・初智」や『大毘婆沙論』では、止と観のバランスが重要であると強調されている(定も参照)。後の(4-5世紀)、『倶舎論』の「賢聖品」において、止は不浄と数息の2つの修行法を指し、そこで定を達成する。この時代になって初めてこのような具体的な修行法が定められている。『順正理論』では、観で煩悩を断じるときに止を伴う必要があるとされている。
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