仏印からタイ/マレーへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 17:19 UTC 版)
「歩兵第227連隊」の記事における「仏印からタイ/マレーへ」の解説
先遣の第一大隊第一中隊は、12月中旬柳州を発ち仏印に向かう。賓陽から崑崙関を経て南寧に至り、12月31日思楽着いた。1945年(昭和20年)の正月を思楽近郊の名もない村落で過ごし、1月10日中越国境の鎮南関を越える。ランソンを経てサイゴンへと進み、3月9日明号作戦に参戦した。5月22日サイゴンを出発しプノンペンに、27日にはタイ王国のバンコクに到着した。なお、連隊長の皆藤少佐は3月に陸軍少将に進み隊を離れ河合自一大佐が赴任、長野中将が第16軍司令官に栄進したことに伴い、佐藤賢了中将が第37師団の師団長として赴任した。師団は、対イギリス戦に備えて陣地構築をしていたが、英領マレーへの移動を命じられタイ国内を移動中に終戦を迎える。大窪少佐率いる先遣隊は、7月末にタイピン近郊のブキッ・ムルタジャム駅に到着、同地で終戦を迎え、後レンパン島に収容される。1946年(昭和21年)5月1日レンパン島を出航、18日朝名古屋港に帰着した。
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