仏印処理と日本の敗戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/27 05:50 UTC 版)
「ラーオ・イサラ」の記事における「仏印処理と日本の敗戦」の解説
1945年ラオスを占領する日本軍は、敗色濃いと見て、仏印処理を実施、その一環としてフランス領インドシナの各国を独立させた。3月11日のベトナム帝国成立、3月13日カンボジアの独立宣言に続き、4月8日ルアンパバーン王国国王シーサワーンウォンにラオス王国の独立を宣言させた。 同年8月15日に日本軍が降伏すると、首相職にあったペサラートは、フランスが日本の侵略から守れなかったことを理由に、ラオス王国の正式な統一とフランスとの保護国条約の破棄をシーサワーンウォン王に進言した。しかし、国王は、以前のフランス植民地下にあるラオスの体制が望ましいと、これを拒否し、8月30日に4月の独立宣言が無効であることを宣言した。 10月12日、ラオス独立支持者は、外部勢力の間隙をぬって国王の廃位とペサラートを国家元首とする新政権『ラーオ・イサラ』の樹立を宣言した 。
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