仏和辞典の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 14:24 UTC 版)
明治時代の日本でフランス語はドイツ語と並んで研究され、日本はフランス語から様々な分野の学問や科学技術を取り入れた。日本でフランス語研究は1808年に始まり、1864年に村上英俊が編纂し達理堂から出版された『仏語明要』(佛語明要)は、日本初の本格的な仏和辞典といわれている。 1871年 『官許 仏和辞典』 好樹堂(岡田好樹)訳、Mission Presbytérienne AméricaineM. Nugent の仏英辞典からの翻訳。旧字体は『官許 佛和辭典』。日本で2番目の仏和辞典。 1886年 『仏和辞書』 中村秀穂編訳、日進堂等旧字体は『佛和辭書』。 1887年 『仏和辞林 Dictionnaire universel français-japonais』 中江兆民校閲、野村泰亨他訳、仏学塾仏学塾は中江兆民が主催する私塾。翌年廃校。 1893年 『仏和字彙』 仏学研究会『仏和辞林』の圧縮版。 1899年 『仏和会話集』 斎藤祥三郎訳、成美堂「玻氏」(A. Bartels)の会話集。
※この「仏和辞典の歴史」の解説は、「仏和辞典」の解説の一部です。
「仏和辞典の歴史」を含む「仏和辞典」の記事については、「仏和辞典」の概要を参照ください。
- 仏和辞典の歴史のページへのリンク