仏印進駐と日仏協力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 08:12 UTC 版)
「仏印進駐」も参照 1899年までにフランスはベトナム・カンボジア・ラオスのインドシナ三国を保護国化した上でフランス領インドシナ連邦を形成した。一部地域はインドシナ総督府の直轄支配下にあったものの、その後も形式的に王国体制は存続していた。1940年と1941年に、日本はヴィシー政権との協定に基づき、仏印に軍隊を展開させた(仏印進駐)。フランス側も植民地の喪失よりは対日協力を行うべきであるという判断を行い、日本軍を受け入れた。その後もインドシナ総督府の統治は継続され、植民地の維持を目的とするインドシナ総督府は、経済面では日本に対して多大な貢献を行っていた。軍事面では日本の印度支那駐屯軍とフランス軍が共同警備の形式をとっていた。駐留フランス軍は大型艦艇の武装解除をされたものの、基本的には従来のままの戦力を維持していた。
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