仏典の研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/23 16:40 UTC 版)
釈道安の当時の仏教の主流は、西晋に流行した竹林の七賢に代表される清談の風の影響もあって、中国固有の老荘思想の概念や用語によって仏典を解釈する格義仏教であった。東晋の支遁がその代表であるし、また道安と同じく仏図澄門下の竺法雅も、格義の中心人物である。 そのような状況の中にあって道安は、仏典とは仏教本来の概念や用語によって注釈・研究されなければならないと主張した。そして、大乗・小乗の別なく、当時訳経されていた主な経典に対して、数多くの序文を記しており、その中で自己の主張を展開している。 また、彼自身は直接訳経に携わることはなかったが、当時にあって必要とされる経典を訳経僧に漢訳させたりということは行っていた。そこで、訳経の基本的な立場として、「五失本、三不易」ということを主張した。それは、漢訳の際に原本の形を失しても可とする5項目と、原本の義を決して改変してはならない3項目とをいうものである。 その上で、当時流通していた訳経の中には少なからず偽経が混入していることが想定されていたため、真経と偽経とを明確に区分し、また当時すでに数多くなってきていた漢訳仏典を分類し整理する目的もあって、経録(経典目録)を編纂した。『綜理衆経目録』、 1巻がそれである。一般には、『道安録』と呼ばれている。ただ、この経録自体は散逸してしまって今日まで伝わらない。幸いにも、南朝梁の僧祐の『出三蔵記集』の巻2から巻5は、道安録に基づいているので、それによって道安録を復元することが可能である。
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