空海と高野山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 17:06 UTC 版)
空海は、最澄(天台宗の開祖)と並び、平安仏教を開いた僧である。著作家、書道家としても優れ、灌漑事業などを行った社会事業家、綜藝種智院を開設した教育者としての側面もある。後世には「お大師様」として半ば伝説化・神格化され、信仰の対象ともなっており、日本の仏教、芸術、その他文化全般に与えた影響は大きい。空海は宝亀5年(774年)、讃岐国屏風浦(香川県善通寺市)に生まれ、俗姓を佐伯氏といった。十代末から30歳頃までは修行期で、奈良の寺院で仏典の研究に励み、時に山野に分け入って修行した。延暦23年(804年)、留学生(るがくしょう)として唐に渡航。長安・青龍寺の恵果に密教の奥義を学び、大同元年(806年)帰国している。空海が時の嵯峨天皇から高野山の地を賜ったのは弘仁7年(816年)のことであった。空海は、高い峰に囲まれた平坦地である高野山を、高い峰々を蓮の花に見立て八葉蓮華(八枚の花弁をもつ蓮の花=曼荼羅の象徴)として、山上に曼荼羅世界を現出しようとしたものである。
※この「空海と高野山」の解説は、「金剛峯寺」の解説の一部です。
「空海と高野山」を含む「金剛峯寺」の記事については、「金剛峯寺」の概要を参照ください。
- 空海と高野山のページへのリンク