空海の入定信仰とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 空海の入定信仰の意味・解説 

空海の入定信仰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 15:02 UTC 版)

入定」の記事における「空海の入定信仰」の解説

空海835年承和2年)に入定したが、生死の境超え弥勒菩薩出世の時まで、衆生救済目的として永遠瞑想入り、現在も高野山奥之院弘法大師御廟入定していると信じられている。 「生身供(しょうじんぐ)」は入定後から現在まで1200年もの間続けられている儀式のひとつで、奥之院維那(ゆいな)と呼ばれる侍僧1日2回、御廟空海衣服食事届けることが行われている。霊廟内の模様維那以外が窺うことはできず、維那務めた者も他言しないため部外者には不明のままである。 伝真済撰『空海僧都伝』によると、空海死因病死とされる。『続日本後紀によれば遺体荼毘付されたようである。しかし後代には、入定たとする文献現れる現存する資料空海入定に関する初出のものは、入寂100年以上を経た康保5年968年)に仁海著した金剛峰寺建立修行縁起』で、入定した空海四十九日過ぎて容色変化がなく髪や髭が伸び続けていたとされる。 『今昔物語』には高野山東寺との争い一時荒廃していた時期東寺長者であった観賢霊廟開いたという記述がある。これによると霊廟空海石室厨子二重守られ坐っていたという。観賢は、一尺あまり伸びていた空海蓬髪剃り衣服数珠綻び繕い整えた後、再び封印したまた、入定したあとも諸国行脚している説もあり、その証拠として、毎年3月21日高野山宝亀院が行空海衣裳改め儀式の際、衣裳に土がついていることがあげられている。 「空海#入定に関する諸説」も参照

※この「空海の入定信仰」の解説は、「入定」の解説の一部です。
「空海の入定信仰」を含む「入定」の記事については、「入定」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「空海の入定信仰」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「空海の入定信仰」の関連用語

空海の入定信仰のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



空海の入定信仰のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの入定 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS