宝亀院
宝亀院
宝亀院
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宝亀院 | |
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山門
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所在地 | 和歌山県伊都郡高野町高野山294 |
位置 | 北緯34度12分41.3秒 東経135度34分41.8秒 / 北緯34.211472度 東経135.578278度座標: 北緯34度12分41.3秒 東経135度34分41.8秒 / 北緯34.211472度 東経135.578278度 |
宗派 | 高野山真言宗 |
寺格 | 別格本山 |
本尊 | 十一面観音(重要文化財) |
創建年 | 伝・延喜21年(921年) |
開山 | 伝・観賢 |
開基 | 伝・醍醐天皇(勅願) |
別称 | 御衣寺宝亀院 |
札所等 | 新西国三十三箇所第6番 |
文化財 | 木造十一面観音立像、紙本著色鶏図、崔子玉座右銘断簡(重要文化財) 世界遺産 |
公式サイト | 新西国霊場会ホームページ 御衣寺宝亀院 |
法人番号 | 3170005004943 |
宝亀院(ほうきいん)は、和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山真言宗の別格本山の寺院。本尊は十一面観音。宿坊。御衣寺(おころもでら)宝亀院とも呼ばれる。新西国三十三箇所第6番札所。
ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成要素。
歴史
寺伝によると、延喜21年(921年)10月21日の夜に醍醐天皇の枕元に、突如として髪や髭が伸び放題で袈裟や衣も汚れて破けている姿の空海が現れた。そして「高野山 結ぶ庵に 袖朽ちて 苔の下にぞ 有明の月」と歌うとその姿を消してしまった[1]。驚いた醍醐天皇は以前から東寺長者の観賢僧正が空海に大師号を授けてほしいと訴えていた事もあり、10月27日に空海に弘法大師の号を授け[1]、中納言藤原扶閑を勅使として高野山に遣わしたという。
すると、11月5日の暁になって高野山奥の院の空海御廟の前で祈っていた観賢の眼前に、髪や髭は伸び放題で袈裟や衣も汚れて破けている空海が現れた。そこで観賢は空海の髪や髭を剃って奇麗にし、新しい袈裟と衣に着替えてもらった。すると空海は喜んだのか消えてしまったという。これ以来、毎年空海の命日である3月21日に新しい衣を奥の院の弘法大師御廟に供えている[1]。
この報告を受けた醍醐天皇はさっそく観賢を開山として高野山内に勅願寺を建立することにし、空海が宝亀5年(774年)6月15日に生まれたことから寺は宝亀院と名付けられた、これが当寺の建立の由来であるという[1]。
境内
- 本堂
- 大師堂 - 弘法大師御衣替霊場。鬚が伸びている姿の入定大師が祀られている。堂内には観賢によって掘られたという御衣井があり、弘法大師御廟に供えるための衣を染めるのに用いる「御衣染の霊水」が湧いている[1]。
- 庫裏
- 宿坊
- 人生幸朗の墓
- 山門
文化財
重要文化財
その他
行事
前後の札所
所在地
- 和歌山県伊都郡高野町294
アクセス
脚注
出典
参考文献
- 新西国霊場会 『新西国霊場法話巡礼第2版』朱鷺書房、2007年。
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