唐~清とは? わかりやすく解説

唐~清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 15:30 UTC 版)

「賦」の記事における「唐~清」の解説

唐の時代、賦は著し変貌を遂げることとなる。唐初には賦が科挙一部組み込まれ、この要請受けて律賦という新しい賦の形式旧来のに取って代わった。律賦形式表現厳し制約があり、全体通じて所定韻律を守らなければならない加えて平仄配置にも規則つくられた。押韻双声畳韻といった音韻的近似性の意識漢代以前から存在したものの、声調については意識されていなかった。しかし5世紀伝来したサンスクリットパーリ語仏典の研究四声自覚促し中国語音韻体系化に向かわせたのである。唐の文章家従来の賦の主題に、典故に基づく道徳的要素新たに取り入れたこうした駢賦律賦流行は、形式修辞ばかりが先行し、賦を漢代諷諫苛烈現実描写精神から遠ざける結果招いた古文復興運動とも呼応して826年杜牧の「阿房宮賦」が散文自由に韻を踏む文賦呼ばれる新たな賦の基礎確立し晩唐から宋にかけての賦の主流となった欧陽脩の「秋声賦」、蘇軾の「赤壁賦」などは今日にも名高い9世紀10世紀までには、伝統的な賦は主に歴史研究対象となり、科挙取り入れられたことで広く読まれ筆写された。 文学史において明清時代の賦が言及されることはほとんどないが、依然として文賦律賦創作盛んに行われていた。明清八股文影響受けた文体を股文賦と呼ぶこともある。また、特に清代にかけての考証学隆盛とともに、賦に関する研究・著作古今類を見ないほどの隆盛見せる。清の陳元龍は、当時知られていた4155の賦を集め1706年に『歴代賦彙』として発刊した。また同じく清代の賦集『賦海大観』には12000余篇が収められており、その大半清人の作である。同時代には他にも多くの賦集が作られたが、これらは特に賦文学の二大総集とされている。更に清代には「賦話」と呼ばれる、賦を専門的に論じ随筆文学現れる欧陽脩の『詩話以来しばしば書かれてきた「詞話」「四六話」などの文体別の評論文に連なるものであり、調元『賦話』や浦銑『歴代賦話』などが有名である。

※この「唐~清」の解説は、「賦」の解説の一部です。
「唐~清」を含む「賦」の記事については、「賦」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「唐~清」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「唐~清」の関連用語

1
団練 デジタル大辞泉
52% |||||

2
沈徳潜 デジタル大辞泉
50% |||||

3
唐宋八家文読本 デジタル大辞泉
50% |||||

4
50% |||||


6
二十四史 デジタル大辞泉
36% |||||

7
佃戸 デジタル大辞泉
36% |||||




唐~清のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



唐~清のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの賦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS