唐~清
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唐の時代、賦は著しい変貌を遂げることとなる。唐初には賦が科挙の一部に組み込まれ、この要請を受けて律賦という新しい賦の形式が旧来の賦に取って代わった。律賦は形式や表現に厳しい制約があり、全体を通じて所定の韻律を守らなければならない。加えて、平仄の配置にも規則がつくられた。押韻や双声・畳韻といった音韻的な近似性の意識は漢代以前から存在したものの、声調については意識されていなかった。しかし5世紀に伝来したサンスクリットやパーリ語の仏典の研究が四声の自覚を促し、中国語の音韻の体系化に向かわせたのである。唐の文章家は従来の賦の主題に、典故に基づく道徳的要素を新たに取り入れた。 こうした駢賦や律賦の流行は、形式と修辞ばかりが先行し、賦を漢代の諷諫や苛烈な現実描写の精神から遠ざける結果を招いた。古文復興運動とも呼応して、826年、杜牧の「阿房宮賦」が散文で自由に韻を踏む文賦と呼ばれる新たな賦の基礎を確立し、晩唐から宋にかけての賦の主流となった。欧陽脩の「秋声賦」、蘇軾の「赤壁賦」などは今日にも名高い。9世紀~10世紀までには、伝統的な賦は主に歴史研究の対象となり、科挙に取り入れられたことで広く読まれ筆写された。 文学史において明清時代の賦が言及されることはほとんどないが、依然として文賦や律賦の創作は盛んに行われていた。明清の八股文の影響を受けた文体を股文賦と呼ぶこともある。また、特に清代にかけての考証学の隆盛とともに、賦に関する研究・著作は古今に類を見ないほどの隆盛を見せる。清の陳元龍は、当時知られていた4155の賦を集め、1706年に『歴代賦彙』として発刊した。また同じく清代の賦集『賦海大観』には12000余篇が収められており、その大半は清人の作である。同時代には他にも多くの賦集が作られたが、これらは特に賦文学の二大総集とされている。更に清代には「賦話」と呼ばれる、賦を専門的に論じる随筆的文学が現れる。欧陽脩の『詩話』以来しばしば書かれてきた「詞話」「四六話」などの文体別の評論文に連なるものであり、李調元『賦話』や浦銑『歴代賦話』などが有名である。
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