長井真琴とは? わかりやすく解説

ながいまこと 【長井真琴】


長井真琴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/15 01:36 UTC 版)

1928年ごろ

長井 真琴(ながい まこと、1881年明治14年〉7月28日 - 1970年昭和45年〉8月8日)は、日本仏教学者学位は、文学博士東京帝国大学)。福井県丹生郡殿下村(現福井市)出身。浄土真宗高田派勝鬘寺の長井真応住職の長男。真向法創始者長井津海軍少将長井満は実弟。長男に仏教学者長井真先、四女に鎌倉女子大学学園主松本紀子、次男に東京大学名誉教授長井善見。姪孫に仏教学者佐々木閑

略歴

日本におけるパーリ語仏典研究の草分けと評される。1924年(大正13年)、高楠順次郎らとパーリ語仏典の律の注釈書『サマンタパーサーディカー』の校訂に着手し、30年をかけて完成させている。NHKのパーリ語のラジオ講座も担当した。その間、1934年(昭和9年)には母校東京帝大の教授となる。1940年(昭和15年)、乞われて中央商業学校校長を兼ねるが、現職の大学教授が私立学校の校長になるのはきわめて異例のことであった。1942年東京帝大を定年退官。

戦後、日本大学東洋大学京浜女子大学教授、国際宗教研究所名誉理事長を歴任。1951年(昭和26年)中央商科短期大学学長1952年(昭和27年)9月、東京・築地本願寺における第二回世界仏教徒会議では副総裁を務め、1954年(昭和29年)には全日本仏教会副総裁となる。1955年(昭和30年)2月紫綬褒章受章。翌1956年(昭和31年)2月、日本及びカンボジア両国の友好関係に寄与した功績により、カンボジア国よりモニサラホン四等勲章を授けられる。5月、ビルマラングーンにおいて開かれた仏教編集事業完成と仏紀2500年を記念する式典に日本政府代表として出席、国賓として迎えられた。1957年1月、セイロンで開かれた仏紀2500年記念式典にも日本仏教徒代表団の団長として出席し、やはり国賓として遇された。主著『根本仏典の研究』、『戒律の根本』など。

著書

共著

校注・訳

  • 『巴利伝訳法句経』世界文庫刊行会, 1924
  • 弘法大師集』 (大日本文庫 仏教篇) 校. 春陽堂, 1936
  • 平田篤胤『出定笑語』校註 日本先哲叢書 広文堂書店, 1936
  • 法然上人集』(大日本文庫 仏教篇) 校. 大日本文庫刊行会, 1939
  • 道元禅師集』 (大日本文庫 仏教篇) 校. 大日本文庫刊行会, 1942
  • 『ダンマパダ 法句経』訳. 玄同社, 1948

回想記

関連項目

外部リンク




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「長井真琴」の関連用語

長井真琴のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



長井真琴のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
中経出版中経出版
Copyright (C) 2025 Chukei Publishing Company. All Rights Reserved.
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2025 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの長井真琴 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS