仏典での伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/31 00:40 UTC 版)
『優填王経』などによると、以下の通り。 拘深(こうしん、コーサンビー)国の摩因提(まいんだい、マーガンディヤ)という人に、無比(アヌパマー)という容姿端麗な娘がいた。諸国の王が無比を求めたが摩因提はこれを許さず、釈迦仏に奉るつもりでいた。しかし釈迦仏がこれを認めなかったので、国王の優陀延の後宮に入れた。このことで王は摩因提を大臣に命じ、無比を寵愛し宮殿を建設した。しかしのちに無比は王に誣告し正室皇后を弓矢で殺そうと画策した。正后は仏を一念していたのでその矢が居抜かず、反対に王の前に飛んできた。これを見た王は釈尊のもとに参じて懺悔し帰依した。 また王が寝ている間にピンドーラ尊者が説法したことを知るや、黒蟻の巣を尊者に這わせて苦しめるなどしたが、尊者は忍辱により動じなかったので、仏道に引き入れられたともいう。 『四分律』では、以下の通り。 釈迦仏がコーサンビーに在したある時、王はピンドーラ尊者を尊重し、常に住して求法問訊した。ある時、尊者が起立して王を迎えなかったことを、不信楽のバラモンの大臣が見て悪心をもって王に告げると、王は「明日、まさに往くべし。もし起立せずば賓頭盧の命を奪うべし」といった。翌朝、賓頭盧尊者がはるかに王が来るのを見て便ち遠く迎え、先呼し、「善来大王」といった。王は「昨日はなぜ立って迎えなかった」と問うと、尊者は「汝の為なり」と答えた。王は「「何が我が為か」と問うと、「昨日は善心をもって来られたが、今日は悪心をもって来られた、もし我が立たなければ、まさに我が命を奪うだろう。もし我が命を奪えば地獄に堕す。もし立って迎えれば、汝は王位を失うであろうが、もしろ王位を喪失しても地獄には堕させん、と考えたので起立して迎えた」と答えた。王は「いつ王位を失うのか」と問うと、「却って7日の後に必ず王位喪失す」と答えた。王は驚いて帰り、城を修治し集兵し警備した。しかし7日を過ぎても敵が現れず、尊者の言を否定し多くの采女(うねめ)と船に乗り遊戯したが、慰禅王国の波羅珠提王に捕えられ、7年間も禁固されたといわれる。 『増一阿含経』巻28には、釈尊が母の摩耶夫人に説法するため三十三天に昇った時、王が仏を拝することができず悲しんで病気になり、その勅命で牛頭栴檀をもって五尺の釈迦仏の尊像を刻ましめたところ、病気が平癒したとある。このことから、これが仏教における最初の仏像造立ともいわれる。 日蓮は、これらの故事などを理由にウダヤナを悪王と判断しているとされる。 なお、京都の嵯峨清涼寺の釈迦仏像は、このウダヤナ王の勅命による第二の像を模刻したものといわれる。
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