竺沙雅章とは? わかりやすく解説

竺沙雅章

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/14 06:50 UTC 版)

竺沙 雅章
人物情報
生誕 1930年3月14日
日本 京都府京丹波町
死没 (2015-10-02) 2015年10月2日(85歳没)
出身校 京都大学文学部
学問
研究分野 東洋史(中国史・中国仏教史)
研究機関 京都大学大谷大学
学位 文学博士
テンプレートを表示

竺沙 雅章(ちくさ まさあき、1930年3月14日 - 2015年10月2日)は、日本東洋史学者京都大学名誉教授

経歴

1930年、京都府船井郡三ノ宮村(現:京丹波町)粟野の曹洞宗[1]無動寺に生まれた。初名は幹雄。三ノ宮国民学校6年の時に得度し、雅章。

1943年旧制園部中学へ入学し、その後新制となったため1949年京都府立園部高等学校を卒業[2]京都大学文学部に進み、1953年に卒業した。同大学大学院へ進学し、1958年に博士課程を単位取得退学。

その後は、京都大学人文科学研究所助手(司書系)に採用された。同研究所助教授となった後、1968年に京都大学文学部助教授に就いた。その際の同僚教授は、佐伯富佐藤長萩原淳平であった。

1980年、『宋代仏教社会史研究』を京都大学に提出して文学博士号を取得[3]1981年島田虔次が退官したことから同教授に昇格した。1989年谷川道雄退官を受けて教室主任を務めた。1993年3月に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。同年4月より大谷大学教授として教鞭を執った。2001年に大谷大学を退任[4]。その後も、中国仏教史研究会を組織し、研究活動を続けた[5]

著作

著書

資料

出典

  1. ^ 竺沙雅章「公開講演 遼代の仏教とその影響」『駒沢大学仏教学部論集』第31号、駒澤大学仏教学部、2000年、57-75頁、 ISSN 0389990XNAID 110007019427 
  2. ^ 京都新聞
  3. ^ CiNii(学位論文)
  4. ^ 吉本道雅「竺沙雅章先生の訃」東方学 131輯、東方学会、2016
  5. ^ 尾崎雄二郎戸川芳郎と編者代表で『中国文化史大事典』大修館書店、2013年




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「竺沙雅章」の関連用語

竺沙雅章のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



竺沙雅章のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの竺沙雅章 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS