ネストリウス派とは? わかりやすく解説

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ネストリウス‐は【ネストリウス派】


ネストリウス派

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/16 06:51 UTC 版)

ネストリウス派英語: Nestorianism, ギリシア語: Νεστοριανισμός)、または東シリア教会は、古代キリスト教教派の1つ。コンスタンティノポリス総主教ネストリオス[注釈 1]により説かれたキリスト教の一派で、東方教会東方諸教会)に含まれる。431年エフェソス公会議において異端認定され、排斥された。これにより、ネストリウス派はサーサーン朝ペルシア帝国へ亡命し、7世紀ごろには中央アジアモンゴル中国へと伝わった[1]唐代の中国においては景教と呼ばれる。のちにはイラクを拠点とする一派アッシリア東方教会などが継承した。


注釈

  1. ^ ネストリウス(Nestorius)はラテン語式表記で、ネストリオス(Νεστόριος)はギリシア語式。

出典

  1. ^ 日本人として学んでおきたい世界の宗教呉善花、PHP研究所, Jul 4, 2013
  2. ^ Hogan, Dissent from the Creed. pages 123–125.
  3. ^ 浜田華練「文庫版解説」389頁, 森安達也『東方キリスト教の世界』ちくま学芸文庫, 2022.
  4. ^ 高橋英海「アッシリア東方教会」, 三代川寛子『東方キリスト教諸教会 研究案内と基礎データ』明石書店, 2017, 323-4頁。
  5. ^ 高橋英海「アッシリア東方教会」324頁。
  6. ^ 「イスラーム国家における異教徒統治制度史の研究」研究成果の概要国立情報学研究所、平成22年3月7日
  7. ^ 中世思想原典集成(後期ギリシア教父・ビザンティン思想)、上智大学中世思想研究所‖編訳・監修、平凡社、1994.8
  8. ^ プロテスタント教理史、渡辺 信夫、キリスト新聞社、2006.6
  9. ^ 古代キリスト論の歩み ハンス・ユルゲン・マルクス。
  10. ^ ザビエル宣教と霊魂不滅の問題根占献一、学習院女子短期大学紀要第34号 1996.12.25
  11. ^ 『隠された十字架の国・日本―逆説の古代史』 ケン・ジョセフ 徳間書店など
  12. ^ 泉武夫 「景教聖像の可能性 --栖雲寺蔵伝虚空蔵画像について--」『國華』 第1330号第112編第1冊、2006年8月、所収。
  13. ^ 東京新聞 2010年9月27日 「マニ教『宇宙図』国内に 京大教授ら世界初確認」
  14. ^ [1]
  15. ^ 吉田豊 「寧波のマニ教画華 いわゆる「六道図」の解釈をめぐって」、Zsuzsanna Gulasci/田中健一・柳承珍訳 「大和文華館マニ教絵画にみられる中央アジア来源の要素について」(共に『大和文華』第119号、2009年2月、所収)。


「ネストリウス派」の続きの解説一覧

ネストリウス派(景教)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 02:52 UTC 版)

唐代三夷教」の記事における「ネストリウス派(景教)」の解説

詳細は「ネストリウス派」および「大秦寺」を参照 ネストリウス派は、コンスタンティノポリス総主教ネストリオスにより説かれキリスト教の教派1つである。この教派は、431年エフェソス公会議において異端として排斥されたため、宣教中心東方移動しシリアペルシアアラビア南インドなどで布教した。 中国へは、太宗時代635年貞観9年)にペルシア人司祭阿羅本率い一団宣教師によって伝えられた。太宗は、その宣教許し3代高宗時代になると、阿羅本は「鎮国大法主」という高い地位に封ぜられ、地方の州にも景寺(教会)を建てるよう詔勅下された中国では「景教けいきょう)」と表記されたが、景教とは中国語で「光の信仰」という意味であり、景教教会当初波斯ペルシア)寺」のちに「大秦寺」の名で各地建立された。景教また、ミシア(Missiah 救世主)教」とも呼ばれ、「彌尸訶」「彌施訶」「彌失訶」などの字があてられた。 当初唐の朝廷皇族含めた支配層が鮮卑匈奴などの北族的要素濃厚に有したこともあり、景教仏教など非中華地域由来宗教対し寛容で、これらの信仰保護した698年聖暦元年)、高宗皇后であった武則天則天武后)の仏教偏重政策により一時衰退したが、9代玄宗時代には、寧王であった李憲ら五王が参拝し庇護されるようになった742年天宝元年)には、玄宗大将軍宦官であった高力士命じ高宗玄宗五代皇帝御真影を寺に安置させ、また絹百匹を賜って祭るように指令しており、745年天宝4年)には大秦国東ローマ帝国)から、高僧として知られる佶和(ゲワルギス)が長安訪れた玄宗アブラハムパウロ称される17人の神職命じ、ゲワルギスとともに興慶宮において景教式の大法会執行させた。このような玄宗による景教保護には、景教による王権権威づけといった意図考えられる。 ネストリウス派は、8世紀後半代宗11皇帝)の時代にも庇護された。このような隆盛受けて12徳宗治下781年建中2年)には、有名な大秦景教流行中国碑」が建立されている。 祆教とは異なり景教には多数中国人信者がいたことが判明している。景教当初ペルシア人によって伝えられたものであることから多分にペルシア化したキリスト教であったが、漢訳景教経典遺存していることから、その教義全貌解明されてきている。それによれば景教仏教道家老子荘子思想)のことばも採用し、さらに、皇帝には忠を、親には孝を説くなど儒家要素もあって、多分に中国化している。 しかし、唐代末期845年会昌5年)には、18皇帝武宗による「会昌の廃仏」(仏教立場からは「三武一宗の法難」のひとつとされる)など、唐王朝伝統的中華王朝位置づける意識強まって弾圧対象となった。 ネストリウス派は、布教によって、のちにモンゴル帝国構成することとなる北方遊牧民にも広がりチンギス・カン一族なかにもまた、カン家の姻族にあたる諸氏にも熱心な信者獲得し、元の時代には再び中国本土でも広く信者得た錦江杭州揚州などでは会堂ひらかれた。しかし、モンゴル帝国中枢の集団は、西方ではイスラームトルコ系言語受容してテュルク化していった一方東方ではチベット仏教篤く信仰し、これを保護したため、ネストリウス派の信仰はしだい衰亡消滅していった。

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ネストリウス派

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聖霊運動」の記事における「ネストリウス派」の解説

4世紀のネストリウス派をカリスマ運動先駆とし、カリスマ運動こそネストリウス派の再興であると手束正昭によって見なされている。

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ネストリウス派

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 06:26 UTC 版)

東方諸教会」の記事における「ネストリウス派」の解説

アッシリア東方教会 ネストリウス派に起源を持つ。主にイラクトルコ分布しアメリカにも多い。東方典礼カトリック教会であるカルデア典礼カトリック教会とは別のもの。ネストリウス派はカルケドン公会議でも改め主流派から異端とされたものの、カルケドン公会議以前エフェソス公会議で既に異端とされていたため、当教会非カルケドン派という呼称カテゴリには含めないことがある

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