東方教会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/24 08:43 UTC 版)
英: Eastern Christianity)は、中東・ギリシャ・アナトリア・東ヨーロッパに広がり成長したキリスト教諸教派(ギリシャ正教・東方正教会とも称される正教会および東方諸教会)の総称。広義の意味では東方正教会と東方諸教会をも含んだ意味で用いられるが、「東方教会」が正教会(ギリシャ正教)を指している場合もある。
(とうほうきょうかい、- ^ 岩波キリスト教辞典P803
- ^ a b c d e "The Blackwell Dictionary of Eastern Christianity" Wiley-Blackwell; New edition (2001/12/5), p168 - p169, ISBN 9780631232032
- ^ 東方正教会とアトス(長司祭長屋房夫によるページ)
- ^ 世界正教会(長司祭長屋房夫によるページ)
- ^ Assyrian Church of the East
- ^ "The Blackwell Dictionary of Eastern Christianity" Wiley-Blackwell; New edition (2001/12/5), p122 - p123, ISBN 9780631232032
東方教会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 10:11 UTC 版)
「イコン#正教会」も参照 2月2日、主の奉献の大祝日と同じ日に、正教会では「邪悪な心を和らげるもの」または「シメオンの予言」と呼ばれる生神女(聖母)の聖画(イコン)を記念して祝う。このイコンは奇跡が起こると言われている。 このイコンは、シメオンがマリアに対し「そして、あなた自身もつるぎで胸を刺し貫かれるでしょう。」(ルカによる福音書 2章35節)と告げた瞬間を描いている。マリアは祈るように手を上げ、7つの剣がマリアの胸を突き刺しており、これが七つの悲しみを表している。このマリアのイコンは、幼児イエスを抱いておらず、このような聖画イコンは東方正教会においては数少ない。「喜びなさい。多くの悲しみを経験された神の母によって、私たちの悲しみは喜びに変えられ、邪悪な心は和らげられる」という東方正教会の讃美歌のフレーズは、今も使われている。
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東方教会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 01:26 UTC 版)
「時課」も参照 正教会の公祈祷である奉神礼(典礼)では、新約聖書が1年を周期として読まれる。旧約聖書は聖詠経(詩篇)が随所で朗読・歌唱される以外に、大斎期間には創世記、イサイヤ書、箴言などが読まれる。
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東方教会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/31 08:48 UTC 版)
「イイススの祈り」および「連祷」も参照 東方教会(正教会、東方諸教会、東方典礼カトリック教会など)の奉神礼(典礼)では「主憐れめよ」(ギリシア語: Κύριε ἐλέησον、キリエ・エレイソン) 、もしくはこれに相当する文言はもっとも頻繁に唱えられる文言である。この祈りはイイススの祈りの短縮版とされる。イイススの祈りは東方の教派でよく用いられ、現在では西方教会でもしばしば用いられている。 正教会系でよく用いられる連祷では、信徒は「主、憐れめよ」(日本ハリストス正教会の訳)と応答する(1回、もしくは3回繰返す)。連祷の種類によっては、12回、あるいは40回も「主、憐れめよ」を繰返すものもある。なお、増連祷(ぞうれんとう)では途中から「主、賜えよ」に応答の言葉が替わる。 また「キリエ・エレイソン」の文言は、コプト正教会でも古くから用いられている。
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東方教会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/23 23:17 UTC 版)
東方教会は東西の経済的交流・文化的交流が減少したことにより、西欧の諸教会とは大きく異なる教会音楽伝統を発展させるに至った。また、東方教会内でも正教会と東方諸教会との間には聖歌伝統における差異が存在し、さらに正教会内・東方諸教会内のそれぞれにも地域・時代による多様性が存在する。
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東方教会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 06:39 UTC 版)
東方教会でも、聖枝祭(せいしさい、ギリシア語: Κυριακή των Βαΐων, ロシア語: Вход Господень в Иерусалим=「主のエルサレム入城」, ルーマニア語: Duminica Floriilor=「花の主日」, 英語: Palm Sunday=「パームサンデー」)はイエス・キリストのエルサレム入城を記念する正教会の祭日であり、十二大祭のひとつである。
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東方教会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/10 04:56 UTC 版)
「カルパティア山脈地域のスロバキア側の木造教会群」の記事における「東方教会」の解説
登録されている3件の聖堂は、現在いずれも東方典礼カトリック教会(Greek Catholic Church)に属している。 ボドルジャルの聖ニコラオス教会(Bodruzal, St. Nicholas Church) ボドルジャル(Bodružal)にある聖ニコラオス教会は1658年に建造された聖堂で、スロバキアに残る東方教会の聖堂としては最も古い部類に入り、なおかつ保存状態も良好である。 地元の様式が融合したバロック様式の建造物で、東西の軸に沿って3つの正方形状の相互に連結した部分で構成されており、玉葱型ドームや鉄の十字架を戴いた3つの塔を備えている。周囲には19世紀以降に作られた共同墓地や鐘楼がある。 18世紀にさかのぼるものも含まれている壁画群は、同じ時期の他のイコン群とともに今なお保存されている。身廊の北側の壁画には最後の審判やキリストの磔刑が描かれている。 祭壇は1990年代に改修され、それに続いて建物全体も2004年に修復された。1968年から1990年代半ばまでは、この聖堂は東方典礼カトリック教会と東方正教会双方の礼拝に使われていたが、現在は東方典礼カトリック教会のみに使われている。 世界遺産登録地域は教会とその敷地の0.3513 haで、緩衝地域は周辺区画の2.2720haである。 大天使聖ミカエル教会(Ladomirova, St. Michael Archangel Church) ラドミローヴァー(Ladomirová)の大天使聖ミカエル教会は1742年に一切釘を使わずに建てられた東方正教会の聖堂である。 その設計は、東西の軸に存在する3つの区画がそれぞれ塔を備えていることや、周辺の墓地や鐘楼も含めて、基本的にはボドルジャルの聖ニコラオス教会と同じものである。ICOMOSは、スロバキアに残る木造教会の中でも特に代表的なものと評価している。 世界遺産登録地域は教会とその敷地の0.0628haで、緩衝地域は周辺区画の1.5873haである。 ルスカー・ビストラーの聖ニコラオス教会(Ruska Bystra, St. Nicholas Church) ルスカー・ビストラー(Ruská Bystrá)の聖ニコラオス教会は1720年頃から1730年頃に建てられたもので、農家の伝統的家屋に似た幾何学的な屋根と、2つの塔を備えている。宗教的な工芸品で飾られた内装も18世紀に遡るものである。 世界遺産登録地域は教会とその敷地の0.2785 haで、緩衝地域は周辺区画の1.7170 haである。 ラドミローヴァーの大天使ミカエル教会 ボドルジャルの聖ニコラオス教会 ルスカー・ビストラーの聖ニコラオス教会
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東方教会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/16 14:26 UTC 版)
コンスタンチノープルから発展した東方教会では、コプト正教会でそうした冊子本が作られて、これは西方教会アイルランドのものより1世紀は古いとされている。東方教会(正教会および東方典礼カトリック教会)では、聖詠は20のカシスマタ(日本語訳はロシア語経由で「カフィズマ」)でまとめられており、日曜の礼拝(日本語:奉神礼)、夕の祈り(晩課)、朝の祈り(早課)で使われている。
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東方教会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 05:42 UTC 版)
ギリシャ正教とも呼ばれるいわゆる正教会と、非カルケドン派正教会などの東方諸教会を含む東方教会(また加えて、様式面では東方典礼カトリック教会も)では、酵母(イースト菌)を用い、専用に作られた発酵パンを使用する。聖変化する前のパンをプロスフォラ(英語版)(聖餅; せいへい、聖パン)と呼ぶ。聖変化したのちのものを「聖体」と呼ぶことはカトリック教会と同様である。 聖体礼儀では、1つの大きなパンを小さなかけらに切り分け、それを水で割ったぶどう酒の杯(聖爵:せいしゃく)に浸し、司祭または主教が杯の中から聖匙(せいひ)と呼ばれるスプーンでパンの一片を掬い出して、信徒はそれを口に含んで領聖する。 なお、聖体機密に用いるパン以外にも、「記憶」の祈りや、信徒の領聖後に振る舞われて誰でも食することができる「アンティドル」などにも聖餅が用いられる。
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東方教会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/04 04:30 UTC 版)
東方正教会や東方典礼カトリック教会では、死者の日は年に何度かの土曜日に祭られる。
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東方教会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 02:54 UTC 版)
東方教会のうち、ギリシャ正教とも呼ばれる東方正教会では、エルサレム総主教庁、ロシア正教会、セルビア正教会、ウクライナ正教会、グルジア正教会など、そして東方諸教会・非カルケドン派正教会に分類されるコプト正教会などは、ユリウス暦(正教では「旧暦」と呼ばれる)の12月25日(21世紀現在、グレゴリオ暦1月7日にあたる)に降誕祭を祝うが、いわゆるギリシャ正教のうち、コンスタンティノープル総主教庁、ギリシャ正教会、ブルガリア正教会、ルーマニア正教会などでは、修正ユリウス暦(正教では「新暦」と呼ばれる)の12月25日(21世紀現在、グレゴリオ暦の同日にあたる)に執り行う。非カルケドン派正教会に分類されるアルメニア使徒教会では、教会暦上の1月6日に行う(前述)。 正教会では、降誕祭と、「主の洗礼」を記念する「神現祭」(降誕祭の12日後、ユ暦1月6日/グ暦1月19日に行われる)とは奉神礼として一連のものであり、構造は同じである。降誕祭の祭前期には「聖列祖の主日」で原祖アダム以来のキリストの肉に縁る先祖を、「聖世祖の主日」では神の祖父母イオアキムとアンナら歴代の義者を記念する。そして降誕祭の期間中の1月1日(ユリウス暦の1月1日は、21世紀現在、グレゴリオ暦1月14日にあたる)には、「主の割礼祭」を祝う。 誤解されがちなこととして、「東方教会ではエピファニーの日に降誕を祝う」と言われることがある。年月を経るごとにユリウス暦は、本来の太陽年とそれに近いグレゴリオ暦からずれが生じて、20世紀~21世紀の今たまたまユリウス暦12月25日がグレゴリオ暦1月7日(グ暦1月6日はユ暦12月24日:クリスマス・イヴ)になっているだけであり、ユリウス暦とグレゴリオ暦の違いはあれど、あくまで12月25日が降誕日なのである。ただし、1つ例外としては、アルメニア使徒教会では1月6日に降誕祭と神現祭を同時に祝う風習がある(前述)。
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東方教会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/25 01:05 UTC 版)
正教会などを含む東方教会では、英語『正教会スタディバイブル』、『教会スラヴ語訳聖書』、ロシア語『シノド聖書』などの新約聖書は西方教会で使われる聖書と内容は同じであるが、礼拝(聖金口イオアン聖体礼儀による奉神礼など)において、福音書は朗読されても、書簡(使徒経:しとけい)の朗読は行わない場合もある。
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東方教会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 06:55 UTC 版)
東方教会(正教会・東方諸教会)においてもアウグスティヌスは聖人として崇敬される。正教会でもその生涯における神への模索と洗礼までの道程について言及されるなど、全面的に否定されている訳ではない。しかしながら正教会では西方教会に比べてアウグスティヌスの位置づけはさほど重要なものとされていない。特に原罪・堕落を巡るアウグスティヌスの見解に対して、正教会はこれを否定する。 「全的堕落#正教会における「堕落」理解」も参照 正教会における人間観の基礎の一つについては「神の像と肖」を参照 また、対ペラギウス論争をめぐるアウグスティヌスの姿勢も、問題解決を不可能にしたものであると評されることがある。 詳細は「共働」を参照
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東方教会(正教会・東方諸教会)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 02:00 UTC 版)
「保守」の記事における「東方教会(正教会・東方諸教会)」の解説
自由主義神学と福音主義の対比は、西方教会、そのうち主にプロテスタントに当てはまる分類であり、宗教改革や自由主義神学の興隆の歴史を有さない東方教会(正教会・東方諸教会)においてはこのような分類に当てはまる潮流が歴史上存在しておらず、神学的見解・奉神礼形式・社会問題に対する態度における「保守的」「革新的」の語も、西方教会とは異なった意味で用いられる。 神学、および教会と社会の関係を考察する領域において、西欧・西方教会における論理の枠組みの段階から根本的に疑問の対象とし、ここから距離を取ろうとする聖職者、神学者、哲学者が正教会には多く生み出されている。 「ドシセオス2世 (エルサレム総主教)」、「アレクセイ・ホミャコーフ」、および「ウラジーミル・ロースキイ」も参照 神学的に保守的であるからといって政治的に保守的・タカ派的であるとは限らないのは西方教会でも同様であるが、アメリカのファンダメンタリストなどのように神学的見解と政治的姿勢が結び付いているような例は、東方教会では殆ど皆無である。
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「東方教会」の例文・使い方・用例・文例
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