630年代
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630年代(ろっぴゃくさんじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)630年から639年までの10年間を指す十年紀。
- 1 630年代とは
- 2 630年代の概要
630年代
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詳細は「630年代」を参照 630年ムハンマドがメッカを征服。周辺各国にイスラム教への入信を呼びかける(遣使の年)。 東ローマ皇帝ヘラクレイオスがエルサレムに入城。サーサーン朝から返還された「真の十字架(True Cross)」を奉献する聖墳墓教会を再建。 唐軍により頡利可汗が捕えられ東突厥が滅亡、唐は羈縻支配を行う。唐の太宗は西域諸国から「天可汗」に推戴される。 第1回遣唐使として犬上御田鍬が派遣される。 632年 - 別離の巡礼の後にムハンマドが死去。遺体は預言者のモスク(マスジッド・アルナバウィ)の墓に葬られる。 アブー・バクルが後継のイスラム指導者である初代カリフに選ばれる。 後継カリフの選出をめぐりリッダ(背教)の戦い(英語版)が起こる( - 633年)。 633年 - イスラム教徒のペルシア征服が始まる。 634年 - アブー・バクル死去により第2代カリフにウマルが選ばれる。 634年頃 - チャールキヤ朝のプラシーケン2世がナルマダー川の戦いでハルシャ・ヴァルダナの軍を破り南インドの独立を維持する。 635年以前 - クブラト・ハン(英語版)により黒海北岸のタマン半島のファナゴリアを中心とする大ブルガリアが成立する。 635年ティカルの王子バラフ・チャン・カウィールがドス・ピラスの支配者になる。 ノーサンブリア王オスワルドの招きにより、エイダンがリンディスファーン修道院を設立する。 ペルシア人司祭の阿羅本らにより唐にキリスト教ネストリオス派(景教)が伝えられる。 唐の李靖が吐谷渾を征討する。 636年ヤルムーク河畔の戦いで、皇帝ヘラクレイオス率いる東ローマ帝国軍がイスラム帝国軍に惨敗。東ローマ帝国はサーサーン朝から奪回したシリアの領土を再び失う。 フランク王ダゴベルト1世により王家の墓所となるサン・ドニ教会がパリ近郊に設置される。 637年カーディシーヤの戦いで、サーサーン朝がイスラム軍に敗れ、都のクテシフォンを占領される。 「貞観律令」が施行される。 638年東ローマ皇帝ヘラクレイオスが「エクテシス(英語版)」を発布。 カリフのウマルにより派遣されたウトバ・イブン・ガズワーンがイスラム最初のミスル(軍営都市)のバスラを建設する。 639年舒明天皇の命で百済大寺(吉備池廃寺)が建立される。この寺院は天皇の命による日本初の官寺で、後の高市大寺・大官大寺・大安寺のもととなる。 サアド・イブン・アビー・ワッカースによりミスルのクーファが建設される。
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