630年代とは? わかりやすく解説

630年代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 05:51 UTC 版)

630年代(ろっぴゃくさんじゅうねんだい)は、西暦ユリウス暦)630年から639年までの10年間を指す十年紀




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630年代

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7世紀」の記事における「630年代」の解説

詳細は「630年代」を参照 630年ムハンマドメッカ征服周辺各国イスラム教への入信呼びかける(遣使の年)。 東ローマ皇帝ヘラクレイオスエルサレム入城サーサーン朝から返還された「真の十字架True Cross)」を奉献する聖墳墓教会再建唐軍により頡利可汗が捕えられ東突厥滅亡、唐は羈縻支配を行う。唐の太宗西域諸国から「天可汗」に推戴される第1回遣唐使として犬上御田鍬派遣される632年 - 別離の巡礼の後にムハンマド死去遺体預言者のモスク(マスジッド・アルナバウィ)の墓に葬られるアブー・バクル後継イスラム指導者である初代カリフ選ばれる後継カリフ選出をめぐりリッダ背教)の戦い英語版)が起こる( - 633年)。 633年 - イスラム教徒ペルシア征服が始まる。 634年 - アブー・バクル死去により第2代カリフウマル選ばれる634年頃 - チャールキヤ朝のプラシーケン2世ナルマダー川戦いでハルシャ・ヴァルダナの軍を破り南インド独立維持する635年以前 - クブラト・ハン(英語版)により黒海北岸タマン半島のファナゴリアを中心とする大ブルガリア成立する635年ティカル王子バラフ・チャン・カウィールドス・ピラス支配者になる。 ノーサンブリア王オスワルドの招きにより、エイダンリンディスファーン修道院設立するペルシア人司祭阿羅本らにより唐にキリスト教ネストリオス派景教)が伝えられる。 唐の李靖吐谷渾征討する。 636年ヤルムーク河畔戦いで皇帝ヘラクレイオス率い東ローマ帝国軍がイスラム帝国軍に惨敗東ローマ帝国サーサーン朝から奪回したシリア領土を再び失う。 フランク王ダゴベルト1世により王家の墓所となるサン・ドニ教会パリ近郊設置される637年カーディシーヤの戦いで、サーサーン朝イスラム軍に敗れ、都のクテシフォン占領される。 「貞観律令」が施行される638年東ローマ皇帝ヘラクレイオスが「エクテシス(英語版)」を発布カリフウマルにより派遣されたウトバ・イブン・ガズワーンがイスラム最初ミスル軍営都市)のバスラ建設する639年舒明天皇の命で百済大寺吉備廃寺)が建立される。この寺院天皇の命による日本初官寺で、後の高市大寺大官大寺大安寺のもととなる。 サアド・イブン・アビー・ワッカースによりミスルクーファ建設される

※この「630年代」の解説は、「7世紀」の解説の一部です。
「630年代」を含む「7世紀」の記事については、「7世紀」の概要を参照ください。

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