唐の時代とは? わかりやすく解説

唐の時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 01:25 UTC 版)

姑墨」の記事における「唐の時代」の解説

唐の太宗時期626年 - 649年)、玄奘がこの地を訪れたときには姑墨ではなく、跋禄迦(バールカー)国と呼ばれており、熱心な仏教となっていた。跋禄迦国には伽藍が数10カ所、僧徒が千余人おり、小乗説一切有部学習していたという。 この頃西突厥の支配となっており、次第テュルク化していく。その後は唐が安西都護府置いて支配したが、吐蕃回鶻ウイグル)にも支配され10世紀後半にはテュルク系イスラム王朝カラハン朝支配される

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唐の時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 07:37 UTC 版)

亀茲」の記事における「唐の時代」の解説

高祖李淵在位618年 - 626年)が即位すると、亀茲王の白蘇伐勃駃(中国語版)(そはつほつかい、スヴァルナプシュパ)は唐に遣使を送って入朝した。白蘇伐勃駃はまた、高昌国出て亀茲国にまで辿り着いた玄奘三蔵王都迎え60日間ほど歓待した。白蘇伐勃駃が死去すると、子の白蘇伐畳(中国語版)(そはつちょう、スヴァルナデーヴァ)が代立し、時健賀俟利発(しけん・バガ・イルテベル)と号した貞観4年630年)、白蘇伐畳は遣使を送って馬を献上し太宗在位626年 - 649年)は璽書を賜い、厚く撫慰し、これより朝貢は不絶となるが、西突厥にも臣従した。安西都護郭孝恪焉耆国を討伐すると、亀茲国は兵を派遣してこれを援助した白蘇伐畳が死に、その弟の白訶黎布失畢(中国語版)(かれいほしつひつ、ハリプシュパ)が代立すると、次第藩臣の礼を失っていった。 貞観20年646年)、太宗は左驍衛大将軍阿史那社爾遣わして崑山道行軍大総管とし、安西都護郭孝恪司農卿楊弘礼(中国語版)が率い五将軍と、鉄勒13部の兵10万騎発して亀茲国討伐した。阿史那社爾は既に西突厥の処月種と処密種を破り進軍してその北境急行し、その不意をついて、西突厥所署の焉耆王は城を棄てて遁走し、阿史那社爾軽騎でこれを追撃し捕えた。亀茲国大い震撼し、守将の多くは城を棄てて遁走した。阿史那社爾は磧石に進んで駐屯した。伊州刺史の韓威(中国語版)を遣わし千余騎を率いさせ前鋒とし、右驍衛将軍の曹継叔はこれに次いだ。西の多褐城に至ると、亀茲王と相遇し、その相の那利(なり)と将軍の羯猟顛(けつろうてん)らは、5万の衆がおり、逆に王師防いだ。韓威は遁走をするふりをしてこれを引きつけ亀茲王の俟利発は韓威の兵が少ないのを見て、衆を至らせる。韓威は30里も後退すると、曹継叔の軍と合流し反撃出てこれを大破した亀茲王は都城まで退き阿史那社爾進軍してこれに迫り亀茲王が軽騎遁走したので、遂にその城を陥落させ、郭孝恪にここを守らせた。沙州刺史海政・尚輦奉御の薛備(中国語版)を遣わして精騎でこれに迫り600行って亀茲王は窘急し、撥換城に退いた阿史那社爾らは進軍してこれを包囲し亀茲王及び大将の羯猟顛らを捕えた。その相の那利は免れ密かに西突厥の衆を招き寄せてその国の兵万余人は郭孝恪襲撃し殺した倉部郎中の崔義起(中国語版)は曹継叔、韓威らとこれを撃ち、那利は敗走したが、亀茲人に捕えられる前後してその大城五所破り男女数万捕虜とした。阿史那社爾はよって亀茲王の弟の葉護ヤブグ官名)を立てて王とした。太宗は白訶黎布失畢を左武翊衛中郎将とし、那利以下には官を授けたまた、太宗安西都護府亀茲城に移し郭孝恪安西都護とし、于闐疏勒碎葉統領させ、これを“四鎮”とした。 永徽元年650年)、高宗在位649年 - 683年)は白訶黎布失畢を右驍衛大将軍とし、那利・羯猟顛とともに本国送還し、ふたたび亀茲王としてその余衆を治めさせた。 白訶黎布失畢は唐に入朝した。那利はその妻の阿史那氏姦通し、亀茲王は我慢できず、左右の者はこれを殺すことを請い、これにより更に嫉み嫌った使者言状で、帝は那利を京師召して捕え、亀茲王を還らせた。羯猟顛は遣使を送って阿史那賀魯降り亀茲王はあえて進まず憂い死んだ。詔で左屯衛大将軍の楊冑に出兵させて羯猟顛を捕えさせ、その地を亀茲都督府とし、更に子の白素稽(中国語版)(そけい)を立てて亀茲王とし、右驍衛大将軍授け都督とした。この年亀茲等四鎮を棄てて安西都護府西州移し故に安西西州都督府とし、左驍衛大将軍安西都護の麴智湛(中国語版)を拝して都督とした。 咸亨元年670年)、吐蕃ガル・ティンリンツェンジュチベット語: མགར་ཁྲིང་འབྲིང་བཙན་བྲོད་)が羈縻十八州に侵攻し于闐率いて亀茲の撥換城を陥落させ、ここにおいて安西四鎮はすべて吐蕃占領された。唐は詔で右威衛大将軍薛仁貴邏娑道行軍大総管とし、左衛員外大将軍阿史那道真・左衛将軍の郭待封を副官として総勢10万大軍吐蕃討伐にかかるが、大非川にて唐軍敗北した上元年間674年 - 676年)、白素稽は銀頗羅・名馬献上した儀鳳年間676年 - 679年)、吐蕃はふたたび焉耆以西攻撃し、四鎮は陥落した武周天授3年692年)、亀茲王の延由跋中国語版)(えんゆばつ)は唐に入朝長寿元年692年)、武威総管の王孝傑(中国語版)・闕啜忠節吐蕃大破し、ふたたび亀茲于闐等四鎮を手に入れ、ふたたび亀茲安西都護府置いた。しかし経営難しく、四鎮を破棄する声もでたが、武則天は許さなかった。 その後安西都護は、武周に田揚名中宗時期に郭元振(中国語版)、開元初年に張孝暠・暹(中国語版)が就任した開元7年719年)、亀茲王の白苾(中国語版)(ばくひつ)が死に、子の白多匝(中国語版)(たそう)が立ち、孝節と改名開元10年722年)、吐蕃安西四鎮攻略する開元18年730年)、孝節(多匝)は弟の孝義遣わして唐に入朝した。 貞元3年787年)、吐蕃沙陀族回鶻ウイグル可汗国攻撃し北庭安西援護無く遂に陥落した開成4年840年)、回鶻可汗国崩壊すると、のちに回鶻残党によって亀茲回鶻西州亀茲)が建てられた。

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唐の時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/11 00:49 UTC 版)

棋待詔」の記事における「唐の時代」の解説

待詔は、琴棋書画などの技芸優れた者が皇帝召し出され翰林院役職で、唐の玄宗皇帝713年開元元年)に囲碁優れた者である棋待詔設けた当時これには、「囲碁十訣」の作者として後世知られる王積薪や、顧師言、王倚、順宗重用され王叔文、滑能、新羅人球などがいた。玄宗は、「忘憂清楽集」に鄭観音という者と対局し棋譜載せられるなど囲碁好きであり、また新羅聖徳王葬儀弔問使節送った際は、囲碁の強い近衛兵の楊李膺という者を副使節に加えたという。中唐の頃の顧師言は「旧唐書宣宗本記で、848年大中2年)に入唐した日本国王子と対局したと記されていて、杜陽雑編」ではこの王子はたいへん強く、顧は一手二つシチョウを防ぐ鎮神頭という妙手によって勝つことが出来たと書かれている

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