日本国王
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- ^ 田中健夫『前近代の国際交流と外交文書』吉川弘文館、1996年(平成8年) 第一「漢字文化圏のなかの武家政権」
- ^ 桜井英治『室町人の精神』講談社学術文庫、2005年
- ^ 堀新「室町幕府外交は王権論といかに関わるのか?」2000年(『人民の歴史学145』)
- ^ 桜井英治「日本の歴史12 室町人の精神」(講談社学術文庫)ISBN 978-4062919128、75-76p
- ^ 田中健夫『前近代の国際交流と外交文書』吉川弘文館、1996年(平成8年) 第二「足利将軍と日本国王号」
- ^ a b c 紙屋敦之『大君外交と東アジア』吉川弘文館、1997年
- ^ 所, 太郎「柳川一件の審議の再検証」『立教史学 : 立教大学大学院文学研究科史学研究室紀要』第1巻、2010年1月、51–64頁。
- ^ 1999年、『日録20世紀』スペシャル第18巻、講談社 pp. pp.27
- 1 日本国王とは
- 2 日本国王の概要
- 3 日本国王ナカソネ
日本国王(対外的に天皇に準ずる者)
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「天皇の一覧」の記事における「日本国王(対外的に天皇に準ずる者)」の解説
懐良親王 - 後醍醐天皇の皇子。南朝方の征西将軍として九州に勢力を張り、明から倭寇の取り締まりを求められ「日本国王」の冊封を受ける。 足利義満 - 室町幕府3代将軍。准三宮(三宮(皇后・皇太后・太皇太后)に準じた待遇)を受ける。以降の将軍も含め、明より「日本国王」の冊封を受ける。没後、太上天皇の宣下を受けるが幕府はこれを辞退する。院号「鹿苑院」。 徳川将軍 - 対外的な称号を「日本国大君」から一時的に「日本国王」に変更したことがある。
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