アッシリア東方教会
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アッシリア東方教会(アッシリアとうほうきょうかい、シリア語 (マクロランゲージ): ܥܕܬܐ ܩܕܝܫܬܐ ܘܫܠܝܚܝܬܐ ܩܬܘܠܝܩܝ ܕܡܕܢܚܐ ܕܐܬܘܪ̈ܝܐ、英語: Holy Apostolic Catholic Assyrian Church of the East[1], Assyrian Church of the East)は、サーサーン朝を経由して唐代の中国に渡り景教となった、古代のネストリウス派(東方教会(英語: Church of the East)とも呼ばれる)の流れを継承し、東方諸教会に分類されるキリスト教の教派のひとつである。アッシリア教会、アッシリア東方使徒教会、東方アッシリア教会とも。アッシリア正教会と呼ばれることもあるが、当該教会は「オーソドックス(Orthodox:正教)」に類する自称を用いないのでこの呼称は誤りである。
- ^ An Introduction to the Christian Orthodox Churches, By John Binns, page 28 [1]
- ^ Holy Apostolic Catholic Assyrian Church of the East - Archdiocese of Australia, New Zealand and Lebanon | Faithより、"The church believes in One Triune God: Father, Son, and Holy Spirit. It also believes and teaches that the Only-begotten Son of God, God the Word, became incarnate for us men and for our salvation and became man."
- ^ PRESS RELEASE FROM THE HOLY COUNCIL OF PRELATES OF THE ASSYRIAN CHURCH OF THE EAST – 4 JUNE 2015 | Assyrian Church Newsより、"May the Lord bless you all in the name of the Holy Trinity: Father, Son, and Holy Spirit; Amen. "「聖なる三位一体、父と子と聖霊の御名によって、主が皆さんを祝福してくださいますように。アーメン。」
- ^ 浜田華練「文庫版解説」, 森安達也『東方キリスト教の世界』ちくま学芸文庫, 2022, 389頁。
- ^ 高橋英海「アッシリア東方教会」, 三代川寛子『東方キリスト教諸教会 研究案内と基礎データ』明石書店, 2017, 323-4頁。
- ^ 高橋英海「アッシリア東方教会」324頁。
- ^ 高橋英海「アッシリア東方教会」325-6頁。
- ^ 高橋英海「アッシリア東方教会」326頁。
- ^ COMMON CHRISTOLOGICAL DECLARATION BETWEEN THE CATHOLIC CHURCH AND THE ASSYRIAN CHURCH OF THE EAST The Holy See(バチカン公式サイト)
- ^ The Plight of Religious Minorities: Can Religious Pluralism Survive? - Page 51 by United States Congress
- ^ The Armenian Genocide: Wartime Radicalization Or Premeditated Continuum - Page 272 edited by Richard Hovannisian
- ^ Not Even My Name: A True Story - Page 131 by Thea Halo
- ^ The Political Dictionary of Modern Middle East by Agnes G. Korbani
- ^ 『ムスリムがクリスチャンにジズヤの支払いを強要』 Assyrian International News Agency
- ^ 『死か改宗かいずれか選べ-アッシリア人21家族がバグダードの教会に保護を求める』 Assyrian International News Agency
- 1 アッシリア東方教会とは
- 2 アッシリア東方教会の概要
- 3 中東における迫害
アッシリア東方教会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 07:20 UTC 版)
アッシリア東方教会は、サーサーン朝ペルシア帝国を経由して唐代の中国に渡り景教となった、古代より続くネストリウス派(東方教会〈英語: Church of the East〉とも呼ばれる)の中で現存する一派。なお、欧米の文献においては古代のネストリウス派そのものをアッシリア東方教会と呼ぶこともある。 教義は、キリストのペルソナ(位格)は神格と人格の2つに分かれると説き、イエスの母マリアを「神の母」(テオトコス/ギリシア語: Θεοτόκος/Theotokos)として認めず、「キリストの母」(クリストトコス/ギリシア語: Χριστοτόκος/Khristotokos)と呼ぶ。 451年にコンスタンティノープルの大主教ネストリウスがエフェソス公会議で異端とされて破門されると、彼の説を支持する者たちが東ローマ帝国領エデッサから当時ペルシアの領土であったニシビス(現トルコ東南部のヌサイビン)に本拠地を移して布教したのが、今日のアッシリア東方教会の始まりである。当時ネストリウス派を異端視する東ローマと敵対していたサーサーン朝の歴代皇帝は彼らを手厚く保護し、ペルシア領のいたるところにキリスト教徒の共同体が作られた。 644年にイスラム教徒のアラブ人がサーサーン朝を滅ぼすと、アッシリア人を含むキリスト教徒たちは以前より低く扱われ、メソポタミアを出て中央アジアやモンゴル、唐などの外地で布教活動を行う者も少なくなかった。そのうちの南インドのマラバール海岸(ゴア州からコモリン岬に渡って広がる、アラビア海に面した西ガーツ山脈より西側の地域)に渡った一派はケーララを中心に住むユダヤ系インド人たちのナスラーニー(英語版)と合流、カルデア・シリア教会(英語版)と呼ばれるようになった。 派生として1968年にバグダードで分裂・独立した古代東方教会(w:Ancient Church of the East)がある。
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アッシリア東方教会
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ネストリウス派に起源を持つ。主にイラク、トルコに分布し、アメリカにも多い。東方典礼カトリック教会であるカルデア典礼カトリック教会とは別のもの。ネストリウス派はカルケドン公会議でも改めて主流派から異端とされたものの、カルケドン公会議以前のエフェソス公会議で既に異端とされていたため、当教会を非カルケドン派という呼称のカテゴリには含めないことがある。
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