副王とは? わかりやすく解説

副王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 01:51 UTC 版)

副王(ふくおう、スペイン語: virrey, ポルトガル語: vice-rei, 英語: viceroy)は、君主の代理人として植民地属州を統治する官職称号





副王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 09:45 UTC 版)

オスマン帝国領エジプト」の記事における「副王」の解説

1860年代に入ると、オスマン帝国領ルメリバルカン半島)でキリスト教系諸民族独立機運高まり、これにロシア始めとする列強諸国介入してオスマン帝国の支配揺らいでいた。この動きエジプトにも影響与えることになる。1866年オスマン帝国保護にあったワラキアとモルダヴィア(現:ルーマニア)が無政府状態落ちた際や、同じ年のクレタ島における反乱の際には、オスマン帝国政府からエジプト出兵要請された。イスマーイール・パシャはこれらの要請応え、またオスマン帝国政府関係者への巨額賄賂中央政府への送金額の送付などの条件に、帝国政府対しエジプト諸外国独自に関税協定締結する権利承認や、ワーリー総督)の称号アズィーズ変更することなどの諸特権求めた。 スルターン・アブデュルアズィズはエジプト「王」であることを指し示すようなアズィーズ称号認めたがらず、また自らの名前の構成要素を成す語であることから不敬であるとも考えた帝国政府アミール称号提案したが、これがアラビア半島の「土侯」たちに適用されている称号であり、位階においてはワーリーにも劣後することから、イスマーイール・パシャはこれを拒否した度重なる交渉の末、イスマーイール・パシャ関税協定を巡る問題には変更加えない代わりにヘティーヴ(一般に副王と訳され良き主人支配者良き君主などを意味する)の称号妥協すること通達した。軍事的政治的に大きな問題抱えたオスマン帝国政府エジプトとの関係配慮が必要であった困難な交渉の末に遂に1867年6月8日新たなフェルマーンが発せられ、イスマーイール・パシャのヘティーヴの称号エジプト外国代表と「取り決め」を締結する権利などが認められた。こうしてムハンマド・アリー朝エジプト支配者は以降、ヘティーヴを称号とするようになるエジプト副王領英語版)) イスマーイール・パシャまた、エジプト近代化志向しパリモデルにしたカイロ市の大改造各種インフラ工場建設など膨大な数の建設事業起こした前任者治世から続いていたスエズ運河建設1869年開通こぎつけ11月には盛大な開通式典が行われた。彼はこうした一連の大計画を通じてエジプトを「アフリカではなくヨーロッパ一部とする」ことを目指し欧化政策近代化邁進した。こうしたエジプト積極財政支えた財源アメリカ南北戦争起因する綿花ブームであった。しかし、綿花ブーム戦争の終結と共に去り、にもかかわらず放漫財政継続されたこと、イスマーイール・パシャ遵守約束したスエズ運河建造費用供出、そして高くついたエチオピア皇帝ヨハンネス4世英語版)との戦争などによって、エジプトにはヨーロッパ列強からの多額債務残された。イスマーイール・パシャ数億ポンド上る国家債務対処しなければならなかった。彼の借入金返済対す基本的な処置は、さらに高い金利借款を受けることであった。もはやそれ以上借金重ねることができなくなった時、彼はスエズ運河株式を(1875年に)僅か3,976,582ポンドイギリス政府売却した。この直後外国の介入始まった1875年12月イギリス政府からエジプト財政調査を行うためにスティーヴン・ケイヴ(Stephen Cave)が派遣された。1876年4月発表され彼の報告書は、無駄と奢侈観点から、信用回復するために外国勢力による介入が必要であると勧告していた。この結果公債整理委員会英語版)(the Caisse de la Dette)が組織された。 公債整理委員会エジプト内政財務強く介入し、その歳入の6割以上を債務返済充てさせた。このため軍人役人給与削減され農民には重税課せられることとなり、多くエジプト人たちにとってこの支配受け入れられないものであったヨーロッパ債権国対す反感高まり情勢不穏となる中、イスマーイール・パシャヨーロッパ人主導作られ内閣一新することを目論んだが、イギリスフランスオスマン帝国のスルターン・アブデュルメジト2世イスマーイール・パシャ退位させるように圧力をかけ、1879年6月26日イスマーイール・パシャ退位させられた。イスマーイール・パシャ息子タウフィーク・パシャ後継者とされたが、アラブ系士官アフマド・オラービー俸給削減などで苦しアラブ系士官たちの支持得てその影響力を拡大させ、武力をもって国政転換図ったオラービー革命)。 エジプトのヘティーヴ(副王)政権多大な影響力確保し、その下で債権回収する方針とっていイギリス・フランスはこの状況懸念示しタウフィーク・パシャ支援した1882年6月偶発的な事件によってアレクサンドリア暴動発生しイギリス領事を含む50人前後のヨーロッパ人死傷した。オラービーは軍を派遣して暴動鎮圧したが、イギリスフランス介入してくることを恐れ要塞修復実施した。これを戦争行為みなしたイギリス翌月アレクサンドリア攻撃同年中にカイロまで制圧してオラービーとその同志たちを捕らえて流刑処した以降イギリス軍エジプト駐留するようになり、オスマン帝国領であるエジプトムハンマド・アリー朝のヘティーヴの下に置かれつつも、実質的に総領事兼代表イヴリン・ベアリングクローマー卿)の下、イギリスの植民地支配下に置かれるうになる

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副王

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チャクリー王朝」の記事における「副王」の解説

チャクリー王朝には他のインドシナの上座部仏教国同様、副王(ウパラージャ(英語版))の制度があった。以下にチャクリー王朝期における副王を挙げる。副王から国王になったのはラーマ2世ただ一人で、副王の周りには反国王派などのたまり場となることが多く弊害多かった(たとえば、ワンナー事件タイ語版)など)。そのためラーマ5世時を最後に任命されなくなった同時に西洋真似て摂政王太子制度導入された。

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