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ミャンマー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/05 18:48 UTC 版)
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- ミャンマー連邦共和国
- ပြည်ထောင်စု သမ္မတ မြန်မာနိုင်ငံတော်
![[pjìdàuɴzṵ θàɴməda̯ mjəmà nàiɴŋàɴdɔ̀]](http://img.westatic.com/ic/?u=http%3A%2F%2Fupload.wikimedia.org%2Fwikipedia%2Fcommons%2Fthumb%2Ff%2Ffb%2FMyanmar_long_form.svg%2F258px-Myanmar_long_form.svg.png)
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(国旗) (国章) - 国の標語: なし
- 国歌: 我、ミャンマーを愛さん

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公用語 ビルマ語 首都 ネピドー 最大の都市 ヤンゴン 独立
- 日付イギリスより
1948年1月4日通貨 チャット
バーツ(タチレク)(MMK)時間帯 UTC (+6:30)(DST: なし) ISO 3166-1 MM / MMR ccTLD .mm 国際電話番号 95 - 註1 : かつてのccTLDは .BU
ミャンマー連邦共和国(ミャンマーれんぽうきょうわこく)、通称ミャンマーは、東南アジアに位置する共和制国家。1989年までの名称はビルマだった。インドシナ半島西部に位置し、北東に中華人民共和国、東にラオス、南東にタイ、西にバングラデシュ、北西にインドと国境を接する。首都はネピドー(旧首都はヤンゴン)。
目次 |
国名
正式名称のビルマ語表記は、
。国際音声記号では、[pjìdàuɴzṵ θàɴməda̯ mjəmà nàiɴŋàɴdɔ̀](ピダウンズ・サンマダ・ミャンマー・ナインガンドー)。通称は、Myanma Naingngan(ミャンマー・ナインガン)。他にも、口語的な呼称としてBama(
、バマー)、文語的な呼称としてMyanma(
、ミャンマー)がある。
2010年以降の公式の英語表記はRepublic of the Union of Myanmar[2]。通称は Myanmar。
2010年以降の日本語表記はミャンマー連邦共和国。通称はミャンマー。
1948年から1974年までビルマ連邦、1974年から1988年まではビルマ連邦社会主義共和国(公式の英語表記はSocialist Republic of the Union of Burma )、1988年から1989年まではビルマ連邦、1989年から2010年まではミャンマー連邦(公式の英語表記はUnion of Myanmar )。通称は、独立以前から一貫して、ビルマ。漢字で緬甸と表記され(読みは「ビルマ」)、緬と略された(読みは「メン」。泰緬鉄道など)。日本軍統治(太平洋戦争)の間通称にされる。緬甸は、中国語からそのまま輸入されたもの。ビルマは、江戸時代末期に蘭学者によってオランダ語(ポルトガル語由来説もある)からもたらされた。
1989年6月18日に軍事政権「国家法秩序回復評議会」は、国名の英語表記をUnion of Burma(ユニオン・オブ・バーマ)からUnion of Myanmarに改称した。軍事政権が代表権を持つため国連と関係国際機関は、「ミャンマー」に改めた。また日本政府は軍政をいち早く承認し、日本語の呼称を「ミャンマー」と改めた。日本のマスコミは多くが外務省の決定に従ったが、軍事政権を認めない立場から括弧付きで「ビルマ」を使い続けるマスメディアもある[3]。アウンサンスーチーやNCGUBなど軍事政権の正当性を否定する側は、改名が軍事政権による一方的なものだとし、英語国名の変更を認めていない。タイの英字紙、英BBC、「ワシントン・ポスト」などの有力英語メディアの一部、および主要な人権団体は「Burma」の呼称を続けている。アメリカ合衆国、イギリス、オーストラリア政府などは「Burma」とし、EUは「Burma」と「Myanmar」を併記している。
歴史
ビルマでは10世紀以前にいくつかの民族文化が栄えていたことが窺えるが、ビルマ民族の存在を示す証拠は現在のところ見つかっていない。遺跡からビルマ民族の存在が確実視されるのはパガン朝(11世紀 - 13世紀)以降である。ビルマ族は10世紀以前にはまだエーヤワディー川(イラワジ川)流域に姿を現していなかった。ビルマ族の起源は中国青海省付近に住んでいたチベット系の氐族と考えられている。580年、氐族の最後の王朝である仇池が隋の初代皇帝楊堅に攻められ滅亡。四散した氐族は、中国雲南省大理にあったチベット・ビルマ語族の烏蕃氏の六詔の傘下に入ったと考えられている。後に六詔が統一されて南詔となった。
ビルマ王朝
ミャンマー南部の地は古くからモン族が住み、都市国家を形成して海上交易も行っていた。北部では7世紀にピュー人が驃国を建国した。832年、驃国は南詔に滅ぼされ、モン族とピュー族は南詔へ連れ去られた為、エーヤーワディー平原(ミャンマー)は無人の地となり、200年間に渡って王朝が無かった。南詔支配下にあったビルマ族がミャンマーへ侵入して1044年、パガン王朝を樹立した。パガンは最初小さな城市であった。アノーヤター王(在位1044年 - 1077年)の時に王都になった。パガン王朝は13世紀にモンゴルの侵攻を受け、1287年のパガンの戦いで敗北し、1314年に滅びた。下ビルマには、モン族がペグー王朝 (1287年 - 1539年)を建国し。上ビルマには、ミャンマー東北部に住むタイ系のシャン族が、ピンヤ朝(1312年 - 1364年)とアヴァ王朝(1364年 - 1555年)を開き、強盛になると絶えずペグー王朝を攻撃した。1385年から40年戦争が起こり、今日のミャンマー全土で行われた内戦となった。1486年、タウングーに流れ込んでいたパガン王朝のビルマ族遺民によるタウングー王朝が建国された。タウングー王朝はペグーとアヴァ王朝を併合し、一時はアユタヤ王朝やラーンナータイ王朝、雲南辺境のタイ族小邦を支配した。17世紀にタウングー王朝が衰亡し、再びモン族・シャン族が再興ペグー王朝を興した。1752年、アラウンパヤー王が即位し、モン族・シャン族を破ってビルマを再統一した。これがコンバウン王朝である。
イギリス統治時代
詳細は「イギリス統治下のビルマ」を参照
コンバウン朝ビルマは、イギリス領インドに対する武力侵略を発端とする英緬戦争で敗れて、1885年に滅亡する。1824年から1826年にかけて戦われた第一次英緬戦争では、ビルマがインドを支配するイギリスに対してベンガル地方の割譲を要求、イギリス側が拒否すると武力に訴えたが敗れた。イギリスの挑発で引き起こされた1852年の第二次英緬戦争では、ビルマは国土の半分を失い、1858年から1861年にかけて新首都マンダレーを建設して遷都するが、1885年の第三次英緬戦争で王朝は滅亡し、1886年に、イギリス領であったイギリス領インドに併合されてその1州となる。ティーボー・ミン国王と王の家族はインドのゴア州ムンバイの南に近いラトナギリに配流され、その地で死亡した。
イスラム教徒のインド人を入れ、華僑を入れ、周辺の山岳民族もキリスト教に改宗させて多民族多宗教国家に変えた。インド人が金融を、華僑が商売を、山岳民族が軍と警察を握り、ビルマ人は最下層の農奴にされた。
ビルマ人の対英独立運動は第一次世界大戦中に始まり、1929年の世界恐慌以後若い知識層の間に広まった。1930年にはタヤワディ地方で、農民が武装蜂起を行い、下ミャンマー全域に広がったが、1931年半ばに鎮圧された。
1937年、インドから独立してイギリス連邦内の自治領となった。1942年、アウンサンがビルマ独立義勇軍を率い、日本軍と共に戦いイギリス軍を駆逐し(ビルマ戦役の始まり)、1943年に日本の後押しでバー・モウを元首とするビルマ国が建国された。その後、1944年のインパール作戦の失敗など日本の敗色が濃厚とみるや、アウンサンが指揮するビルマ国民軍は1945年3月、日本及びその指導下にあるビルマ国政府に対してクーデターを起こし、イギリス側に寝返った。連合軍がビルマを奪回すると、ビルマ国政府は日本に亡命した。日本軍に勝利したものの、イギリスは独立を許さず、再びイギリス領となった。現ミャンマー連邦共和国政府はその建国をビルマ連邦が成立した1948年としており、ビルマ国との連続性を認めていない。ミャンマー国軍は1942年のビルマ独立義勇軍建軍をもって国軍建軍としている。
独立
1948年にイギリス連邦を離脱し、ビルマ連邦として独立するが、直前の1947年7月19日にアウンサンは暗殺された。初代首相には、アウンサンを継いでAFPFL(パサパラ)を率いるウー・ヌが就任した。独立直後からカレン人が独立闘争を行い、ビルマ共産党は政権を離脱するなど、政権は当初から不安定な状態にあった。1949年、国共内戦に敗れた中国国民党軍の残余部隊がシャン州に侵入し、雲南省反共救国軍としてゲリラ闘争を行った。CIAが物資や軍事顧問団を援助し、タイへのアヘンの運び出しも行った。ヌ政権は国連で中華民国と米国の策動に抗議した。
一方で政権はシャン州一部に国軍部隊を展開し、1950年代半ばまでに国民党軍勢力を一掃した。しかし、シャン州は依然として半独立状態が続き、独立意識の高いワ族やシャン族、コーカン族など諸民族を下地として、都市部から排除されたビルマ共産党が麻薬産業を支配下において、事実上の支配を継続した。ヌ首相の仏教優遇政策は、キリスト教徒の割合が多い、またはキリスト教徒が支配的な立場を占めるカチン、チン、カレンなどの民族の強い反発を招いた。独立を求める民族勢力(麻薬産業を背景にする北部シャン州と、独立志向の強いカレンなど南部諸州と概ね2つに分けられる)、国民党軍、共産党勢力との武力闘争の過程で、国軍が徐々に力を獲得し、ネ・ウィン将軍が政権を掌握する下地となった。
軍事政権時代
ネ・ウィン将軍は1958年から1960年の選挙管理内閣期を経て、1962年に軍事クーデターを起こす。 ビルマ社会主義計画党(BSPP、マ・サ・ラ)の最高指導者となり、ビルマ式社会主義を標榜した。1974年にビルマ連邦社会主義共和国憲法が制定され、ネ・ウィンは大統領に就任。以降1988年まで軍事独裁体制を維持したが、経済政策の失敗から深刻なインフレを招く等、ミャンマーの経済状況を悪化させた。1988年にはネ・ウィン退陣と民主化を求める大衆運動が高揚し、同将軍は7月にBSPP議長を退く(8888民主化運動)。同年9月18日に政権を離反した軍部が再度クーデターにより政権を掌握し再度ビルマ連邦へ改名した。総選挙を公約としたため、全国で数百の政党が結成される。軍部は国民統一党を結党し体制維持をはかった。民主化指導者アウンサンスーチーらは国民民主連盟 (NLD) を結党するが、アウンサンスーチーは選挙前の1989年に自宅軟禁された。以降、彼女は長期軟禁と解放の繰り返しを経験することになる。
1989年6月18日に軍政側はミャンマー連邦への国名の改名を行った。1990年5月の総選挙ではNLDと民族政党が圧勝したが、軍政は選挙結果に基づく議会招集を拒否し、民主化勢力の弾圧を強化する。前後して一部の総選挙当選者は国外に逃れ、亡命政権としてビルマ連邦国民連合政府 (NCGUB) を樹立した。
軍事政権は1994年以降、新憲法制定に向けた国民会議における審議を断続的に開催していた。2005年11月、政府機関がヤンゴンから中部ピンマナ近郊に建設中の行政首都への移転を開始し、2006年10月に行政首都ネピドーへの遷都を公表。
選挙と民主化
前首相の死去に伴い、軍出身のテイン・セインが2007年10月首相に就任すると、軍政主導の政治体制の改革が開始される。2008年新憲法案についての国民投票が実施・可決され民主化が計られるようになる。2010年10月国旗の新しいデザインを発表[4]。11月には新憲法に基づく総選挙が実施される。また同月政府はアウンサンスーチーは軟禁期限を迎えると発表し、その後軟禁が解除された。
2011年3月テイン・セインはミャンマー大統領に就任。同月国家平和発展評議会(SPDC)は解散し、その権限は新政府に移譲された。11月アウンサンスーチー率いる国民民主連盟 (NLD) は政党として再登録されている。
- 「ミャンマーの政治」については後述
軍事政権が変更した町の名称
軍事政権は1991年にビルマをミャンマーに変更し、それと同時に町の名称などを1000以上変更した。ここでは軍事政権が変えた町の名称を紹介する(日本語表記は、[2]などを参照)。
| 旧名称(英字) | 旧名称(カナ) | 新名称(英字) | 新名称(カナ) | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| Burma | ビルマ | Myanmar | ミャンマー | 1990年国際連合に申請、1991年に許可 |
| Rangoon | ラングーン | Yangon | ヤンゴン | |
| Pagan | パガン | Bagan | バガン | |
| Akyab | アキャブ | Sittwe | シットウェー | |
| Amherst | アムハースト | Kyaikkami | キャイッカミー | |
| Arakan | アラカン | Rakhine | ヤカイン | ラカイン州(Rakhine State) |
| Bassein | バッセイン(バセイン) | Pathein | パッセイン(パセイン) | |
| Maymyo | メイミョー | Pyin U Lwin | ピンウールィン | Pyin Oo Lwin(ピーン・オー・ルウィン)とも表記 |
| Moulmein | モールメイン | Mawlamyine | モーラミャイン | |
| Myohaung | ミョーハウン | Mrauk U | ムラウク | Mrauk Oo(ムラウク・オー)とも表記 |
| Pegu | ペグー | Bago | バゴー | バゴー管区(Bago Division) |
| Prome | プロメー | Pyay | ピャイ(ピャーイ) | Pyi(ピー)とも表記 |
| Sandoway | サンドウェイ | Thandwe | チャンドウェー | |
| Syriam | シリアム | Thanlyin | チャンリーン | |
| Yaunghwe | ヤウンウェー | Nyaung Shwe | ニャウンシュウェ | |
| Irrawaddy River | イラワジ川 | Ayeyarwady River | エーヤワディー川 | |
| Salween River | サルウィン川 | Thanlwin River | タンルウィン川 | |
| Sittang River | シッタン川 | Sittoung River | シッタン川 (※日本読み同じ) |
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| Tennasserim | テナセリウム | Tanintharyi | タニンダーリ | タニンダーリ管区(Taninthayi Division) |
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- ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1])
- ^ Myanmar gets new flag, official name, anthem | Reuters (Thu Oct 21, 2010 9:25am EDT)
- ^ 例えば、朝日新聞は「ミャンマー(ビルマ)」と表記している。また、毎日新聞は「ミャンマー」表記を原則としつつも、専門家の寄稿については「ビルマ」表記も容認している。
- ^ “ミャンマー新国旗を公表 市庁舎などで一斉付け替え”. MSN産経ニュース (2010年10月22日). 2011年1月9日閲覧。
- ^ “UN gains leverage over Myanmar”. Asia Times Online. (2009年7月15日) 2012年1月2日閲覧。(英語)
"I will be an ordinary citizen, a lay person, and my colleagues will too because it will be a civilian government." - ^ “野党副議長の軟禁解除 ミャンマー軍政、7年ぶり”. MSN産経ニュース (2010年2月14日). 2011年1月9日閲覧。
- ^ “国連人権報告者が1年ぶりにミャンマー訪問”. MSN産経ニュース (2010年2月15日). 2011年1月9日閲覧。
- ^ “ミャンマー新国旗を公表 市庁舎などで一斉付け替え”. MSN産経ニュース (2010年10月22日). 2011年1月9日閲覧。
- ^ スー・チーさん、民主化勢力の再結集訴え 解放後初演説 2010年11月15日]
- ^ “ミャンマー新政府が発足=軍政解散、「民政移管」完了”. asahi.com (朝日新聞社). (2011年3月30日) 2011年4月3日閲覧。
- ^ “ミャンマー新政府が発足 大統領就任、軍政に終止符”. MSN産経ニュース (産経新聞社). (2011年3月30日) 2011年4月3日閲覧。
- ^ “「国の発展に協力」スー・チーさんと政権が共同声明”. 朝日新聞. (2011年8月12日) 2011年8月17日閲覧。
- ^ “ミャンマーで政治犯釈放開始、民主化デモ指揮の僧侶も”. ロイター. (2011年10月12日) 2011年10月13日閲覧。
- ^ “スー・チーさん政党参加可能に ミャンマーで改正政党登録法が成立”. MSN産経ニュース (産経新聞社). (2011年11月5日) 2011年11月7日閲覧。
- ^ ミャンマー総選挙:立候補者名簿、届け出締め切り 毎日新聞 2010年8月31日
- ^ “最近のミャンマー政治情勢”. 在ミャンマー日本国大使館. 2012年1月2日閲覧。
2010年11月には複数政党制民主主義制度に基づく総選挙を20年ぶりに実施した結果、連邦連帯開発党(USDP)が連邦及び地方議会の双方で8割近くの議席を獲得して圧勝しました。 - ^ ミャンマー議会開幕 上下両院議長に退役将軍
- ^ International Institute for Strategic Studies(IISS),The Military Balance 2008
- ^ “ミャンマー、核兵器開発に着手か=反軍政メディアが証拠放映”. 時事通信. (2010年6月4日) 2010年6月5日閲覧。
- ^ “Myanmar 'nuclear plans' exposed”. アル・ジャジーラ. (2010年6月4日) 2010年6月5日閲覧。
- ^ “【米公電流出】ミャンマーが秘密の地下核施設? 北朝鮮関与も”. 産経新聞. (2010年12月10日) 2010年12月11日閲覧。
- ^ IMF
- ^ 国民経済計算
- ^ CIA The World Factbook
- ^ “ミャンマー:「民政移管」 アジア最後のフロンティア、経済成長なるか”. 毎日新聞. (2011年2月7日) 2011年2月8日閲覧。
- ^ “【ルポ】ミャンマー「秘密首都」を歩く”. 時事通信 2010年11月23日閲覧。
- ^ 出典:英語版(en)の数値
「ビルマ」の用例一覧
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