ヴィクトリア十字章
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ヴィクトリア十字章(ヴィクトリアじゅうじしょう、Victoria Cross)は、イギリスおよび英連邦王国構成国の軍人に対し授与される最高の戦功章。敵前での勇敢な行為を対象とした顕彰における第1レベルの賞とされるクロス章であり、受章者は“VC”のポスト・ノミナル・レターズを使用することが許される[注釈 1]。グレートブリテン及び北アイルランド連合王国およびほとんどの英連邦王国構成国においては、ポスト・ノミナル・レターズの記載順位や佩用序列が全ての勲章・記章の最上位に位置付けられている[2]。
注釈
出典
- ^ London Gazette: no. 56878. p. 3353-3353. 14 March 2003. Supplement No.1.
- ^ London Gazette: no. 56878. p. 3353. 14 March 2003. Supplement No.1.
- ^ 小川, p. 93.
- ^ 小川, p. 87-119.
- ^ 君塚, p. 16.
- ^ リチャード・ホームズ 『戦闘-戦闘と戦争の歴史を知る 古代の戦闘から、第一次世界大戦まで』 ジェフ・ダン&ジェフ・ブライトリング写真、同朋舎出版、1997年3月。ISBN 978-4-8104-2249-8。P 58
- ^ 『ワイド版/第二次世界大戦全史 別冊1 - 勲章記章軍装』矢野庄介訳、ツル・インターナショナル社、1968年。p 1
- ^ 白石光『ミリタリー選書 29 第二次大戦の特殊作戦』イカロス出版 (2008/12/5)p32
- ^ LONDON GAZETTE: no. 57587. p. 3369. Friday 18 March 2005.
- ^ ナショナルアーカイブス
- 1 ヴィクトリア十字章とは
- 2 ヴィクトリア十字章の概要
- 3 概要
- 4 授与
- 5 脚注
ヴィクトリア十字章
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/27 09:25 UTC 版)
「イギリス海兵隊艦隊防護グループ」の記事における「ヴィクトリア十字章」の解説
トーマス・ペック・ハンター(Thomas Peck Hunter)伍長は第2次大戦中のイタリアにおけるロースト作戦(Operation Roast)での活躍により、ヴィクトリア十字章を追贈された。ハンターは3挺のシュパンダウ機関銃が設置された農家を攻略した。ハンターは、味方部隊が援護をさしのべるまでの間、敵の銃火をひきつけていた。この戦いで指揮官であったイアン・リッチェス中佐も殊勲賞を受章し、のちに1952年から1962年まで海兵隊総司令官をつとめた。
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ヴィクトリア十字章
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「フランシス・オクタヴィアス・グレンフェル」の記事における「ヴィクトリア十字章」の解説
第一次世界大戦の折に以下の行動でヴィクトリア十字章を与えられた時、彼はイギリス陸軍の第9ロイヤル・ランサーズ(英語版)の大尉で、33歳だった。 1914年8月24日、ベルギーのオードルニーで、騎乗したグレンフェル大尉は連隊の一員として、ドイツ軍の結束した歩兵部隊に対し突撃を行なった。兵の損耗は激しく、グレンフェルは指揮官としてその場に残された。彼は線路の盛り土の陰に連隊の一部を再集結させていたが、その最中に2発被弾して重傷を負った。しかし負傷したにも関わらず、王立野戦砲兵部隊・第119砲兵中隊のアーネスト・ライト・アレクサンダー(英語版)少佐から大砲の保護を手伝うよう求められると、グレンフェルは数人の志願者と共に弾雨の中、敵の射程外へと大砲を何門も人手で押し出していった。1914年9月16日のロンドン官報は次のように報じている。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}1914年8月24日、オードルニーの結束した歩兵部隊に向かった勇敢さについて、また同日、Doubon 近くの大砲の保護を援助した勇敢な行ないについて(顕彰する)。 彼は1915年5月24日の戦闘で戦死し、フラーメルティンゲ戦没者共同墓地に葬られた。
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ヴィクトリア十字章
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「第47 (ランカシャー) 歩兵連隊」の記事における「ヴィクトリア十字章」の解説
1856年のヴィクトリア十字章の制定後、ジョン・マクダーモンド(英語版)二等兵がインケルマンの戦いの中で負傷した大佐を救出した功績に対し、この連隊で唯一の十字章を受章した。
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