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ブータン [Bhutan]
ブタン 1 [butane]
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ブータン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/28 05:11 UTC 版)
- ブータン王国
- འབྲུགཡུལ་་
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(国旗) (国章) - 国の標語: なし
- 国歌: 雷龍の国

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公用語 ゾンカ語 首都 ティンプー 最大の都市 ティンプー 独立 1907年12月17日 通貨 ヌルタム(BTN) 時間帯 UTC +6(DST: なし) ISO 3166-1 BT / BTN ccTLD .bt 国際電話番号 975
ブータン王国(ブータンおうこく)、通称ブータンは、南アジアにある国家。インドと中国にはさまれている、世界で唯一チベット仏教(ドゥク・カギュ派)を国教とする国家である。民族はチベット系8割、ネパール系2割。公用語はゾンカ語。首都はティンプー。
急速な近代化(欧米化)のなかで、近代化の速度をコントロールしつつ、文化大革命に端を発する中国の進出で領土の1割を事実上喪失し、内陸の農村部に強い影響を受けた政治的立場や、全体主義的な伝統を維持しようとする政治に世界的な注目が集まっている。前国王が提唱した国民総生産にかわる国民総幸福量 (GNH) という概念、さまざまな環境政策、伝統文化保持(隣国のシッキム王国(現シッキム州)のインドへの併合経緯に由来するブータン族優位政策の一環)のための国民に対する民族衣装着用の強制などが近年のスローライフなどのキーワードと組み合わされて語られる場合も多い。
国旗はかなり複雑なもののひとつで、竜のうろこが細かく書かれている。国花はメコノプシス=ホリドゥラ、国樹はイトスギ、国獣はターキン、国鳥はワタリガラス。
目次 |
国名
正式名称のラテン文字表記は『CIA WORLD FACT BOOK』によればDruk Gyalkhap。Druk Yulという略称が使用されることが多い。
チベット語の表記はチベット文字ではའབྲུག་ཡུལ་、ワイリー拡張方式では 'brug yul、「ドゥク・ユル」(竜の国)と読む。
公式の英語表記はKingdom of Bhutan。通称、Bhutan。
日本語の表記はブータン王国。通称、ブータン。中国語では不丹と表記し、不と略す。
この国名の起源については様々な説がある。例えば、サンスクリット語で「高地」を意味する「ブーウッタン」説があるが、インドの側からの呼称で、インドからみればブータンは標高の高いところに位置していることによる。ブータンの人々は自国を「ドゥック・ユル」と呼ぶ。これは13世紀以降、仏教のカギュ派に属するドゥック派を国教としてきたので、自分たちをドゥクパ(カギュ派の中のドゥク派)、自国を「ドゥクパの国」(雷龍の国)と呼んでいる[2]。
歴史
ブータンの地では13世紀前半、パジョ・ドゥゴム・シクポ(1184年 - 1251年)によってチベット仏教のドゥク・カギュ派が伝えられ、以後、同地に定着していった。
ドゥク派では、開祖ツァンパ・ギャレー(1161年 - 1211年)以来、ギャ氏の血統に属するものが総本山ラルン寺の座主職をはじめ教団の指導的地位を独占してきたが、16世紀末より化身ラマが同派内にも出現するようになった。第13代座主キンガ・ペンジョル(1428年 − 1475年)の転生者とされるジャムヤン・チェキタクパ(1478年 - 1523年)をはじめとする化身ラマの系譜(ギャルワン・ドゥクチェン)は、代を重ねるにつれ、同派内で大きな勢力を持つようになった。
第16代座主ミパム・チェキ・ギャルポは1606年、自身の孫シャブドゥン・ガワン・ナムギャルを同派の有力な化身ラマ、ペマ・カルポ(1527年 - 1592年)の転生者と認定し、第17代の座主に据えようとした。ギャルワン・ドゥクチェンをギャ氏の勢力に取り込もうという試みである。
ペマ・カルポ自身はチョンギェ地方に生まれ変わると遺言しており、同派はペマ・カルボの転生者としてギャ氏のガワン・ナムギャルを正統と見なす一派と、チョンギェの領主家出身のパクサム・ワンボ(1593年 - 1641年)を正統と見なす一派とに分裂した。
両派は、当時の中央チベットの覇者デシー・ツァンパ政権に裁定をあおぎ、チョンギェ側に有利な裁定が下された。ガワン・ナムギャルは、総本山ラルン寺を離れ、1616年、ギャ氏に忠実な勢力が優勢なチベット南部のモン地方に移り、自身の政権を樹立した。ドゥクパ政権は、1634年のデシー・ツァンパ政権からの攻撃、1714年のダライラマ政権からの攻撃を跳ね返し、チベット本土からは自立した国家としての基礎が固められた。
ドゥクパ教団は、ギャ氏(およびガワンナムギャル)を支持するロ・ドゥク(南ドゥク派)と、ギャルワン・ドゥクチェンを支持するチャン・ドゥク(北ドゥク派)に分裂した。
現在の国土は東部がシャーチョップ族、西部がガロップ族、南部がネパール族の土地となっている。ネパール族の多くは20世紀の初めに移住した。
19世紀末、内戦状態にあったブータンの中で、東部トンサ郡の豪族ウゲン・ワンチュクが支配的郡長として抬頭し、1907年、初代の国王となった。1972年に第3代国王ジグミ・ドルジ・ワンチュクの急死後、第4代国王として16歳で即位したジグミ・シンゲ・ワンチュクが永らく国王の座にあり、2005年には総選挙が実施される。2008年に退位することを発表していたが、予定を繰り上げ2006年12月に譲位し、ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュクが第5代国王に即位した。2008年7月18日に初の成文憲法典が公布され、名実ともに立憲君主国へと移行した。
- 627年 - パロのキチュ・ラカンとブムタンのジャンパ・ラカンがソンツェン・ガンポによって建設される。
- 747年 - パドマサンバヴァがチベット仏教のニンマ派を伝える。
- 1616年 - ドゥク派(チベット仏教カギュ派の支派)座主織をめぐり内紛。座主職を相伝してきたギャ氏のシャブドゥン・ガワン・ナムゲルの継承に対し、反対派が「先代の化身ラマ」を擁して対抗。時のチベット中央政府の介入により座主織を追われたガワンナムギャルが南方モン地方の支持者に迎えられて政権を樹立。ブータン国家の起源。
- 1617年 - チベット・ツァンパ政権による第1回侵攻。
- 1626年 - イエズス会のポルトガル人神父、エステヴァン・カセラ、ヨハン・カプラルがヨーロッパ人として初めてブータン入国。
- 1634年 - チベット・ツァンパ政権による第2回侵攻。
- 1639年 - チベット・ツァンパ政権による第3回侵攻。
- 1644年 - チベット・ダライラマ政権(1642年成立)による攻撃。
- 1648年 - チベット・ダライラマ政権がブータンを攻撃。
- 1649年 - チベット・ダライラマ政権がブータンを攻撃。
- 1651年 - シャプドゥン権力の座から退く。ドゥック派は東部地方を除くブータン全土に浸透していった。
- 1692年 - タクツァン寺院建立。1998年に寺院の大半を焼失。その後再建。
- 1714年 - チベット・ダライラマ政権がブータンを攻撃
- 1825年 - ジグミ・ナムゲル、クルテに誕生。(~1880年)
- 1864年 - イギリス=ブータン戦争(ドゥアール戦争)勃発。
- 1865年 - ドゥアール戦争に敗北し、イギリスとの間にシンチュラ条約を締結。イギリスは領土占領と引き換えにブータンに年5万ルピーを補償金として支払うことになった。ブータンはアッサム、ベンガル、ドゥアールの7.122平方キロメートルにおよぶ全領土を喪失した。
- 1870年 - ジグミ・ナムゲルはデシに任命される。
- 1882年 - ウゲン・ワンチュクはトンサ・ペンロップとなった。
- 1907年 - ワンチュク家(現王朝)が支配権を確立する。12月17日、ウゲン・ワンチュクが初代世襲制国王に選出される。ブータン王国となる。
- 1910年 - プナカ条約締結。1949年までイギリスの保護下に入る。
- 1926年 - ジグミ・ワンチュクが第2代国王になる。
- 1947年 - インド・ニューデリーで行われたアジア関係諸国会議(Asian Relations Coference)に参加。
- 1949年 - インド・ブータン条約調印。
- 1952年 - ジグミ・ドルジ・ワンチュクが第3代国王になる。
- 1964年 - ジグミ・パルデン・ドルジ首相が暗殺される。
- 1971年 - 国際連合に加盟する。128番目の加盟国として国連への参加を認められた。
- 1972年 - ジグミ・シンゲ・ワンチュクが第4代国王になる。
- 1973年 - 非同盟諸国会議(NAM)に出席。
- 1974年 - 第4代国王戴冠式。
- 1985年 - 南アジア地域協力連合(SAARC)に参加。
- 1990年 - 反政府運動激化。南部居住のネパール系住民が国外に脱出し難民化する(ブータン難民)。
- 1999年 - 国内テレビ放送開始。インターネットの利用を許可。
- 2005年 - ワンチュク国王、2008年の譲位と総選挙後の立憲君主制移行を表明。
- 2006年 - 当初の予定を繰り上げて、ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュクが第5代国王に即位。
- 2007年 - 12月、初の普通国政選挙となる国家評議会(上院)選挙を実施。
- 2008年 - 3月、普通選挙による国民議会(下院)選挙を実施。4月、初の民選首相としてジグメ・ティンレーが選任される。7月18日、新憲法が公布される。
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- ^ a b c d “IMF Data and Statistics” (英語). 国際通貨基金 (2009年4月). 2009年7月19日閲覧。
- ^ ブータン王国教育省教育部 2008 pp. 16-19.
- ^ ブータン王国教育省教育部 2008 p. 123.
- ^ 行政の中心として、また、宗教活動の中心であった。ゾンはあるものは非常に大きく、またあるものは小さいなど規模の面で多様であった。また、その建設立地は外的からの攻撃に対して人々が防衛しやすいものであった。ゾンは谷に突き出していて一面の眺望を得られる場所や、片面が川になっている岸壁の上もしくは急峻な山腹、あるいは尾根に意図的に建設された。ブータン王国教育省教育部 2008 p. 76.
- ^ http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/bhutan/kankei.html 最近のブータン情勢と日本・ブータン関係 日本外務省
- ^ Ugyen Penjore (14 January, 2010). “Joint field survey next on agenda” (英語). Kuensel Newspaper. 2011年10月8日閲覧。
- ^ Rinzin Wangchuk; Ugyen Penjore (7 December, 2009). “Border talks proposed for January 2010” (英語). Kuensel Newspaper. 2011年10月8日閲覧。
- ^ http://sankei.jp.msn.com/world/news/111115/asi11111502530002-n1.htm
- ^ 外務省南西アジア課 (2010年12月). “最近のブータン情勢と日本・ブータン関係”. 外務省. 2011年10月8日閲覧。
- ^ 河添恵子「中国に侵蝕されるブータン王国」、『月刊WiLL』、ワック・マガジンズ、2010年11月。
- ^ シッキム王国はもともとはチベット系民族が主導権を握る国家であったが、ネパール系の移民が急増した結果として両者の人口比率が逆転し、それが王国の崩壊とインドへの併合の遠因となったとみなされている。
固有名詞の分類
「ブータン」の用例一覧
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