ジャイナ‐きょう〔‐ケウ〕【ジャイナ教】
ジャイナ教
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ジャイナ教(ジャイナきょう、サンスクリット語: जैन、英: Jainism)は、マハーヴィーラ(ヴァルダマーナ、前6世紀-前5世紀)を祖師と仰ぎ、特にアヒンサー(不害)の禁戒を厳守するなど徹底した苦行・禁欲主義をもって知られるインドの宗教。「ジナ教」とも呼ばれる。仏教と異なりインド以外の地にはほとんど伝わらなかったが、その国内に深く根を下ろして、およそ2500年の長い期間にわたりインド文化の諸方面に影響を与え続け、2019年時点、およそ世界全体で500万人の信徒がいるとされる[1]。
注釈
出典
- ^ “厳格な人は微生物や虫にも配慮する。不殺生貫く「ジャイナ教」フードが今注目される理由”. 南龍太 メディアジーン (2019年12月19日). 2023年6月18日閲覧。
- ^ 木村靖二、岸本美緒、小松久男『詳説世界史 改訂版』山川出版社、2017年、56頁。ISBN 978-4-634-70034-5。
- ^ “ジャイナ教とは” (PDF). 国土交通省. 2023年7月1日閲覧。
- ^ 『南アジア史』(新版世界各国史7)p60 辛島昇編 山川出版社 2004年3月30日1版1刷発行
- ^ “Gemmy 149 号 「小売店様向け宝石の知識「宝石大国・インド4」」”. 早川武俊. 2023年6月28日閲覧。
- 1 ジャイナ教とは
- 2 ジャイナ教の概要
- 3 起源
- 4 食生活
- 5 ジャイナ商人
- 6 脚注
ジャイナ教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 00:36 UTC 版)
ジャイナ教は肉食を避けるだけでなく、耕す際に虫が死ぬ農業、火中に虫が飛んで入る火を使った料理なども行わず、卵や野菜(大根、芋、葱など)を食べない。ただし乳製品は可。この世に存在する限り間接殺は避けられないものであるため、ジャイナ教の僧は最終行として食を断ち餓死する。
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ジャイナ教
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「チャンドラグプタ (マウリヤ朝)」の記事における「ジャイナ教」の解説
ジャイナ教系の記録によれば、チャンドラグプタは晩年ジャイナ教を厚く信仰し、退位して出家し、ジャイナ教の聖人バドラバーフの弟子となり、出家後の名はプラバーカンドラとした。バドラバーフの下で苦行に打ち込んだチャンドラグプタは、最後は絶食して餓死したとされている。 この説話自体の史実性はともかく、チャンドラグプタが仏教系の文献でしばしば無視されることや、ジャイナ教系の文献における重要視、同時代の碑文などから、チャンドラグプタがジャイナ教を信仰していたことは事実であると言われている。
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ジャイナ教
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ジャイナ教の伝承では、6人の盲人が、ゾウに触れることで、それが何だと思うか問われる形になっている。足を触った盲人は「柱のようです」と答えた。尾を触った盲人は「綱のようです」と答えた。鼻を触った盲人は「木の枝のようです」と答えた。耳を触った盲人は「扇のようです」と答えた。腹を触った盲人は「壁のようです」と答えた。牙を触った盲人は「パイプのようです」と答えた。それを聞いた王は答えた。「あなた方は皆、正しい。あなた方の話が食い違っているのは、あなた方がゾウの異なる部分を触っているからです。ゾウは、あなた方の言う特徴を、全て備えているのです」と。 この話の教訓は、同じ真実でも表現が異なる場合もあることであり、異なる信念を持つ者たちが互いを尊重して共存するための原則を示している。7人の盲人とされる場合もある。これはジャイナ教の相対主義の考えに基づく説話である。
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ジャイナ教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 08:19 UTC 版)
「ダルマ (インド発祥の宗教)」の記事における「ジャイナ教」の解説
詳細は「ダルマ (ジャイナ教)」を参照 ジャイナ教におけるダルマという単語は、あらゆる主要な文献に見出される。文献上の意味があり、数多の思想に言及している。広義にはジナの教えや矛盾する宗派の教え、最高の道、社会宗教的な義務、最高位のマンガラ(聖位)であるものを意味する。 6つのドラヴィヤ(本質または現実)の理論の一環としてダルマという単語は、ジャイナ教では特定の存在論的で救済論的な意味もある。ジャイナの伝統では存在はジーヴァ(霊魂、アートマン)やアジーヴァ(霊魂でないもの)を含み、後者は不活性の無意識の原子物質(プドガラ)や空間(アーカーシャ)、時間(カーラ)、運動の主題(ダルマ)、安らぎの主題(アダルマ)の5つの分野を含んでいる。運動を意味し存在論的下位分類に言及するのにダルマという用語を用いることは、ジャイナ教特有のもので、仏教の形而上学やヒンドゥー教の様々な宗派には見い出せない。 主要なジャイナ文学(英語版)タトヴァルタスートラは「10の高潔な徳」のあるダスダルマに言及している。このものは忍耐や謙遜、率直、純粋、正直、克己、質素、自制、無着、禁欲である。ジャイナ文学プルシャールタシデュパーヤの著者アカーリャ・アムリタカンドラは書く。 正しい信者は、あらゆる相容れない傾向から霊魂を守る為に最高の謙遜のようにダルマの徳について絶えず瞑想すべきである。他人の短所も隠すべきである。 —プルシャールタシデュパーヤ(27)
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ジャイナ教
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詳細は「ジャイナ教のアヒンサー」を参照 ジャイナ教のアヒンサーに関する項目も参照のこと。 ジャイナ教ではアヒンサーの申し合わせと実行が他のいかなる宗教よりもより徹底的で、厳正で、包括的である。非暴力はすべての人に対する最も根本的な宗教的義務として見られている。(ahiṃsā paramo dharmaḥ、ジャイナ教の寺院でしばしば記されている文)ヒンドゥー教のように、有害な業の蓄積を防ぐことが狙いである。紀元前6世紀または紀元前5世紀にマハーヴィーラがジャイナ教の運動を復興し、再編成した時、アヒンサーはすでに確立され、厳格に遵奉された規則だった。ジャイナ教の最初期の指導者(ティールタンカラ)で近代西洋歴史家が歴史的人物であったと考えているパールシュヴァはおおよそ紀元前8世紀に存在していた。彼はマハーヴィーラの両親が所属していた団体を設立した。アヒンサーは既に「四戒」(Caujjama)の一部で、その誓戒はパルシュヴァの後継者たちによって保たれた。マハーヴィーラの時代とその後の時代において、ジャイナ教徒は仏教徒ともヴェーダ教の後継者やヒンドゥー教徒のいずれとも仲違いしており、彼らをアヒンサーの遂行において不注意があり矛盾があると非難した。しかしながら、原始ジャイナ教の苦行者は、動物が明らかに彼らのために殺されたのでなければ、布施としてその肉を受けたといういくつかの証拠がある。近代のジャイナ教ではこれは激しく否定しており、マハーヴィーラ彼自身に関しては特にそうである。ジャイナ教の伝統によれば、ラクト・ベジタリアニズムまたはヴィーガニズムが強制されている。 ジャイナ教のアヒンサーの概念はいくつかの面で特徴的である。そこでは祭式犠牲供養者や職業的な戦士狩猟者に対していかなる例外も作っていない。食物のために動物を殺すことは絶対に規則違反である。ジャイナ教徒は出来る限り毎日の生活において植物を害さないように少なからぬ努力を行う。彼らは食料のために植物が破壊されることを許すが、彼らはそれを人間が生き残るために避けられないものであるときに限って受け入れ、植物に対する不必要な暴力を避けるための特別な指示が存在する。ジャイナ教徒は小さな昆虫や他の非常に小さな動物さえ傷つけないようにしようと道からそれる。彼らの視点では、注意不足により起こった傷害は故意の行動により起こった傷害に等しい。蜂蜜を食べることは、蜂に対する暴力になるため、厳格に違法となる。いくらかのジャイナ教徒は、農耕が虫や昆虫といった多くの小動物の意図しない殺害や傷害に必然的に至るためそれを慎んでいるが、一般には農業は禁じられておらず、ジャイナ教徒の農場経営者がいる。 対照的に、自己防衛時の暴力は正義であるということと戦争で敵を殺す戦士は合法的な義務を遂行しているということでは、ジャイナ教徒はヒンドゥー教徒と意見が一致している。ジャイナ教の共同社会では防衛のための軍力行使は許され、ジャイナ教徒の君主、軍事司令官、戦士が存在する。 理論上は全ての生命形態があらゆる種類の傷害から保護されるべき価値があると言われているけれども、ジャイナ教徒はこの概念が実際上は完全には実施できないことを認めている。移動性のある生き物が移動性のない生き物より高い保護を受けられている。移動性のある生き物に対して、彼らは1感覚の存在、2感覚の存在、3感覚の存在、4感覚の存在、5感覚の存在と区別する。1感覚の動物は唯一の感覚器官として触覚を持っている。より多くの感覚を持っている存在ほど、その保護に関してより注意が払われる。5感覚の存在のなかでは、理性のあるもの(人間)がジャイナ教のアヒンサーによって最も強く保護される。アヒンサーの遂行について、anuvrate(小誓戒)を受けた在家の人々に対してよりも、mahavrata(大誓戒)に拘束される僧侶や尼僧に対しての方が必要条件がより厳格である。
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ジャイナ教
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ナラクーバラは難攻不落の城塞の主で、世界征服を終えたラーヴァナもこの砦は攻めあぐねていた。ところが、ナラクーバラの妻のウパラムバーはラーヴァナに懸想しており、密会を持ちかけてきたため、ラーヴァナは彼女に気があるふりをして会うと砦の攻略法を聞き出し、城塞を占領してナラクーバラを捕虜にした。ウパラムバーには「お前は私の(砦を攻略するための)師と言える存在だが他意はなく、夫婦で幸せに暮らすように」と諭してナラクーバラの元へ帰らせた。
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ジャイナ教
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「ジャイナ教と反創造論」も参照 ジャイナ教徒は自分たちの宗教が不滅であると信じている。ジャイナ教の起源はインド・アーリヤ文化の開始する前、歴史時代以前、紀元前3000年以前にまで遡る。組織化されたものに限って言えば、ジャイナ教の起源は紀元前9世紀のパールシュヴァか、あるいはより信頼性の高い者として紀元前6世紀(ゴータマ・ブッダと同時代)の祖師マハーヴィーラまで遡る。ジャイナ教は、宇宙が物質と霊魂から成ると考える二元論的な宗教である。宇宙、そしてその中に存在する物質・霊魂は永遠で新たに作られることがない。また、ジャイナ教においては全能の創造神が存在しない。ただし、「神」やその他の霊的存在は宇宙に存在し、魂は「神格」に到達できるとジャイナ教では考えられている。しかし、こういった超自然的存在はいずれも何らかの創造的活動を行うこともないし祈りに対する返答に介在する能力も持たない。
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ジャイナ教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 04:26 UTC 版)
様々な断食の形がある。1つの形式は翌日の夜明けまで食べ物と飲み物を断つ。別の形式では食べ物を断ち、沸騰している水は飲んでもよい。そのほかに、食べ物の種類を制限する形式もある。味付けは塩とコショウのみにし、レンズマメと味気ない食べ物だけを食べる。 ジャイナ教の教えによれば、「断食によって欲望と情欲を抑えることで業を取り除く助けになる」という。 また、断食により自発的に死に至るサンターラーという儀式がある。ジャイナ教においては、サンターラーは自殺ではなく、知識と意図を持って行う儀式の一つであり、長い時間をかけて人生を振り返る時間が与えられる。自分の人生が目的を果たしたと感じた場合、誓いを立てる。これの最終的な目的は、「肉体の浄化と、欲望を捨てること」である。
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ジャイナ教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 15:57 UTC 版)
ジャイナ教は、24人の聖人であるティールタンカラを持つ宗教で、マハーヴィーラを最新かつ最後のティールタンカラとする。バラモン教よりも古いとされる場合もある。 「Jainism」を参照 白衣派(びゃくえは、シュベーターンバラ)デーラーヴァーシー派 スターナクヴァーシー派 裸行派(ディガンバラ)テーラーパンティ派 ヴィスパンティ派 ロンカー派(ムスリムのインドへの侵入を契機として生まれた)
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ジャイナ教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 09:29 UTC 版)
ジャイナ教では、修行によって業の束縛が滅せられ、微細な物質が霊魂から払い落とされることを「止滅」(ニルジャラー)と称する。その止滅の結果、罪悪や汚れを滅し去って完全な悟りの智慧を得た人は、「完全者」(ケーヴァリン)となり、「生をも望ます、死をも欲せず」という境地に至り、さらに「現世をも来世をも願うことなし」という境地に到達する。この境地に達すると、生死を超越し、また現世をも来世をも超越する。煩悩を離れて生きることを欲しない、と同時に死をも欲しないのは、死を願うこともまた一つの執着とみるからである。ここに到達した者は、まったく愛欲を去り、苦しみを離脱して迫害に会ったとしても少しも動揺することなく、一切の苦痛を堪え忍ぶ。この境地をモークシャ・やすらぎ(寂静)・ニルヴァーナ(涅槃)、とジャイナ教では称する。 モークシャに到達したならば、ただ死を待つのみである。身体の壊滅とともに最期の完全な解脱に到達する。完全な解脱によって向かう場所を、特に空間的に限定して、この世とは異なったところであるとしている。「賢者はモークシャ(複数)なるものを順次に体得して、豊かで、智慧がある。彼は無比なるすべてを知って[身体と精神の]二種の[障礙を]克服して、順次に思索して業を超越する『アーラヤンガ』」。モークシャは生前において、この世において得られるものと考えられている。このモークシャをウッタマーンタ(最高の真理)と呼んで、ただ“否定的”にのみ表現ができるとしている。 このモークシャを得るために、徹底した苦行、瞑想、不殺生(アヒンサー)、無所有の修行を行う。ジャイナ教では、次の「七つの真実」(タットヴァ)を、正しく知り(正知)それを信頼し(正見)実践する(正行)することが真理に至る道であると考えられている。 1. 霊魂(ジーヴァ)2. 非霊魂(アジーヴァ)3. 業の流入(アースラヴァ)4. 束縛(バンダ)5. 防ぎ守ること(サンヴァラ)6. 止滅(ニルジャラー)7. 解脱(モークシャ) ジャイナ教では、宇宙は多くの要素から構成され、それらを大別して霊魂(ジーヴァ)と非霊魂(アジーヴァ)の二種とする。霊魂は多数存在する。非霊魂は、運動の条件(ダルマ)と静止の条件(アダルマ)と虚空(アーカーシャ)と物質(プドガラ)の四つであり、霊魂と合わせて数える時は「五つの実在体」(アスティカーヤ)と称する。これらはみな“実体”であり、点(パエーサ)の集まりであると考えられている。宇宙は永遠の昔からこれらの実在体によって構成されているとして、宇宙を創造し支配している主宰神のようなものは“存在しない”とする。 霊魂(ジーヴァ)とは、インド哲学でいう我(アートマン)と同じであり、個々の物質の内部に想定される生命力を実体的に考えたものであるが、唯一の常住して遍在する我(ブラフマン)を“認めず”、多数の実体的な個我のみを認める「多我説」に立っていると見なされている。霊魂は、地・水・火・風・動物・植物の六種に存在し、“元素”にまで霊魂の存在を認める。霊魂は“上昇性”を持つが、それに対して物質は“下降性”を有する。その下降性の故に霊魂を身体の内にとどめ、上昇性を発揮することができないようにしていると考えられている。この世では人間は迷いに支配されて行動している。人間が活動(身・口・意)をするとその行為のために微細な物質(ボッガラ)が霊魂を取り巻いて付着する。これを「流入」(アースラヴァ)と称する。霊魂に付着した物質はそのままでは業ではないが、さらにそれが霊魂に浸透した時、その物質が「業」となる。そのため「業物質」とも呼ばれる。霊魂が業(カルマン)の作用によって曇り、迷いにさらされることを「束縛」(バンダ)という。そして「業の身体」(カンマ・サリーラガ)という特別の身体を形成して、霊魂の本性をくらまし束縛しているとする。霊魂はこのように物質と結び付き、そして業に縛られて輪廻すると伝えられている。 霊魂に業が浸透し付着して、人間が苦しみに悩まされる根源は外界の対象に執着してはならないとの教えで、あらゆるところから業の流れ(ソータ)は侵入してくるので、五つの感覚器官(感官)を制御して全ての感覚が快くとも悪しくとも愛着や執着を起こさなければ、業はせき止められる。それを、「防ぎ守ること・制御」(サンヴァラ)と呼び、新規に流入する業物質の防止とする。それに対し、既に霊魂の中に蓄積された業物質を、苦行などによって霊魂から払い落とすことを「止滅」(ニルジャラー)と呼ぶ。 霊魂は業に縛られて、過去から未来へ生存を変えながら流転する存在の輪すなわち輪廻(サンサーラ)の中にいる。輪廻は、迷い迷って生存を繰り返すことだと云われる。ジャイナ教は、その原因となる業物質を、制御(サンヴァラ)と止滅(ニルジャラー)によって消滅させるために、人は“修行”すべきであると説く。そのために出家して、「五つの大誓戒」(マハーヴラタ、mahaavrata)である、不殺生、不妄語、不盗、不淫、無所有を守りながら、苦行を実践する。身体の壊滅によって完全な解脱が完成すると「業の身体」を捨てて、自身の固有の浮力によって一サマヤ(短い時間)の間に上昇し、まっすぐにイーシーパッバーラーという天界の上に存在する完成者(シッダ)たちの住処に達し、霊魂は過去の完成者たちの仲間に入るとしている。
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ジャイナ教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/26 16:59 UTC 版)
「ジャイナ宇宙論」も参照 ジャイナ教でも劫を認めるが、ヒンドゥー教と異なり、劫の終わりに世界が破壊されるとは考えない。ひとつの劫には世界の幸福が増す上昇相(ウトサルピニー)と、不幸と無秩序が増す下降相(アヴァサルピニー)に二分され、それぞれが6期に分かれる。下降相第3期の終わりに最初のティールタンカラであるリシャバが生まれ、第4期に残りの23人のティールタンカラが生まれる。最後のティールタンカラであるマハーヴィーラが解脱に達してから3年8か月後に下降相の第5期に入り、現在に続いている。第5期は21,000年続き、その後にもっと悪い第6期が21,000年続く。上昇相の第3期と第4期にも同様に24人のティールタンカラが生まれる。
※この「ジャイナ教」の解説は、「劫」の解説の一部です。
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ジャイナ教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 08:36 UTC 版)
ジャイナ教においては、デタッチメントはアヒンサーと共に最高の理想の一つとされる。無所有とデタッチメントは、ジャイナ教倫理(mahāvrata)の一つであり、ジャイナ教僧侶の5つの誓いの一つである。
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ジャイナ教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/25 23:47 UTC 版)
「ジャイナ教」も参照 ジャイナ教はインドの中でも最も古い宗教である。暴力を嫌い、全ての生命には霊魂が宿っていると考える。肉食だけでなく、根菜類も拒否する。又、ジャイナ教は創造論を否定する。
※この「ジャイナ教」の解説は、「インドの宗教」の解説の一部です。
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