無条件降伏とは? わかりやすく解説

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むじょうけん‐こうふく〔ムデウケンカウフク〕【無条件降伏】

読み方:むじょうけんこうふく

一切条件をつけずに降伏すること。


無条件降伏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/02 04:17 UTC 版)

無条件降伏(むじょうけんこうふく、unconditional surrender)とは、普通には軍事的意味で使用され、軍隊または艦隊が兵員・武器一切を挙げて条件を付することなく敵の権力に委ねることを言う[1]


注釈

  1. ^ ただしこの定義は1956年の野戦手引きのものである。
  2. ^ 一方で日本の無条件降伏について西村熊雄は昭和25年2月8日の第7回衆議院外務委員会で以下のような答弁をしている(発言者番号118)。 「御承知のように今度の戰争で、連合国は無條件降伏で戰争を終結させるという建前で一貫して参りました。日本に対しましても同様でございます。ただ日本の場合には他の国の場合と違いますが、降伏後の日本の取扱いにつきまして、米英華三国間で方針を決定いたしまして、ポツダム宣言といたしまして発表し、日本がこの宣言を受諾するならば、戰争終結の機会を與える、こう言つたのでございます。日本は20年8月14日にこの宣言を受諾いたしました。9月2日の降伏文書はこの受諾を確認したものでございます。この文書はごらんになりますとわかりますが、まず第一に日本の代表が、天皇、政府、大本営の名において、三国政府の首班が発布し、その後ソ連が参加いたしました。ポツダム宣言を受諾しますということをはつきり書いております。そのあとに日本側でとります措置、具体的に申しますと、軍隊の無條件降伏の布告をする。軍隊及び臣民の敵対行為の終止、各種資材の保存、政府機関の連合国よりの要求に応諾せよとの命令を出す。軍隊の無條件降伏の命令を出す。官庁、軍隊の職員は連合国最高司令官の命令を遵守しろという命令を出すということをうたつております。そうしてその次にポツダム宣言を日本は忠実に履行するということを約束いたしまして、日本の支配下にある連合国の捕虜及び抑留者の解放を命じますということをはつきりし、最後に天皇及び政府の統治権が連合国最高司令官のもとに立つものであるということをはつきりさせております。そういうふうな條項のあとに、日本代表が署名しております。そうしてそのあとに承諾する、アクセプタブル、承諾すると言つて、連合国軍の代表が九国のために署名しております。すなわち日本の降伏をよろしいと受諾した形式をとつておるのでございます。言いかえれば、8月14日のわが国のポツダム宣言受諾による無條件降伏の確諾であると考えます。【しかしながらわが国が受諾しましたポツダム宣言は、連合国の間で協定いたされました日本処理の基本原則を確定したものでございまして、自然連合国相互間には法的拘束力があると考えてよろしいでしょう。これを日本は受諾しているのでございますから、連合国が――これは全然ないと思いますが、かりにポツダム宣言の原則にもとるというようなことがありと――私の方から仮定するのはまことに恐縮でありますが――仮定しますれば、たとえば四国を日本の領土から離すというようなことをしようとする。あるいは日本兵の帰還を遅らすというようなことがあつたり、また日本人を奴隷化しようというような政策をとるということがあつたり、または日本経済を破壊する措置をとるというようなことがあつたり、または非民主主義的の政策を立てようということがあつた、こういうことがあつたとするならば、これは日本としてそれはポツダム宣言の條項と話は違います。私どもの了解とは違います。こういうことは言えるのであろうと、こう思います。】」
  3. ^ 一方南西諸島及び小笠原諸島は停戦時にすでにアメリカ軍の占領下ないし勢力下にあり、本土復帰まで米国施政権下の歴史を歩むことになる。大陸や南方、北方の旧領土および占領地の日本軍はそれぞれ現地の連合国軍に降伏し、領土および占領地の行政権は剥奪された。
  4. ^ 一部の判決文について裁判所判例検索システム[1]で閲覧可能
  5. ^ いわゆる判例として法的拘束力 (doctrine of stare decisis)を有する箇所に該当するかどうかはWikipedia編集者の調査では判然としておりません。読者が利用されるさいにはこの点を注意してください。
  6. ^ 同年八月六日広島に原爆投下、八月八日ソ連対日宣戦布告、八月九日長崎に原爆投下、八月一四日我が国はポツダム宣言を受諾して連合国に対して無条件降伏(もとより、カイロ宣言及びポツダム宣言記載の条件による降伏であって、形式的には条件付き降伏である。 しかし、一五項目にわたる条件を見ると、実質的にはほぼ無条件降伏に近い内容というほかない。本裁判においてポツダム宣言の受諾が無条件降伏というのは、その趣旨である。)
  7. ^ 『世人周知のごとく、わが国はポツダム宣言を受諾し、降伏文書に調印して、連合国に対して無条件降伏をした。』

出典

  1. ^ 新法律学辞典 第三版(有斐閣 平成元年10月30日発行)「無条件降伏」P.1368
  2. ^ 三省堂・大辞林の「無条件降伏」の説明の1つに「交戦国の一方が一定の降伏条件を無条件に受諾して降伏すること」とある
  3. ^ 昭和26年10月24日第12回衆議院、平和条約及び日米安全保障条約特別委員会において、西村熊雄条約局長は「日本は連合国がポツダム宣言という形で提示いたしました戦争終結の条件を無条件で受けて終戦いたしたのであります。無条件降伏というのは、戦勝国が提示した条件に何ら条件をつけずして降伏したという意味であります。」と、政府の公式見解を示した(出典:国会議事録)
  4. ^ 例えば、五百籏頭眞「米国の日本占領政策」上(中央公論社、1989年)、P.102
  5. ^ 藤田宏郎 2007, p. 2.
  6. ^ コンペル・ラドミール 2010, p. 4-5.
  7. ^ コンペル・ラドミール 2010.
  8. ^ 昭和26年2月21日、第10回衆議院外務委員会外務事務官条約局長 西村熊雄
  9. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)「無条件降伏」の項[2]
  10. ^ 一又正雄「グロチウス「戦争と平和の法」の研究-続篇3完-国際法理論を中心として」『早稲田法学』第25巻第1号、早稲田法学会、1949年6月、100-140頁、CRID 1050001202480568960NAID 120000788018 
  11. ^ a b 藤田宏郎 2007, p. 35.
  12. ^ 藤田宏郎 2007, p. 25-26.
  13. ^ a b 材木和雄 2007, pp. 32.
  14. ^ 材木和雄 2007, pp. 20.
  15. ^ 藤田宏郎 2007, p. 6-7.
  16. ^ a b 藤田宏郎 2007, p. 6.
  17. ^ 藤田宏郎 2007, p. 7-8.
  18. ^ 藤田宏郎 2007, p. 3.
  19. ^ a b c 藤田宏郎 2007, p. 3-4.
  20. ^ 藤田宏郎 2007, p. 19.
  21. ^ a b c 藤田宏郎 2007, p. 4.
  22. ^ 藤田宏郎 2007, p. 11.
  23. ^ 藤田宏郎 2007, p. 11-12.
  24. ^ 藤田宏郎 2007, p. 13-14.
  25. ^ 藤田宏郎 2007, p. 19-24.
  26. ^ a b 藤田宏郎 2007, p. 27.
  27. ^ 藤田宏郎 2007, p. 25-27.
  28. ^ イギリス下院議事録1944年2月22日[3]。邦訳は「東京裁判の正体」菅原裕(国際倫理調査会)P.39による
  29. ^ イタリア降伏関連文書 -- イェール大学
  30. ^ 藤田宏郎 2007, p. 33-34.
  31. ^ 藤田宏郎 2007, p. 22.
  32. ^ 藤田宏郎 2007, p. 22-23.
  33. ^ 藤田宏郎 2007, p. 24.
  34. ^ 藤田宏郎 2007, p. 16-17.
  35. ^ 井上茂子 2006, p. 241-242.
  36. ^ ベルリン宣言 -- ベルリン宣言
  37. ^ a b c 藤田宏郎 2007, p. 28.
  38. ^ 藤田宏郎 2007, p. 36.
  39. ^ 13項にthe unconditional surrender of all Japanese armed forcesと明記されている。
  40. ^ 波多野裕造 1999, p. 6-8.
  41. ^ 波多野裕造 1999, p. 12.
  42. ^ 「波紋呼ぶ無条件降伏論争」朝日新聞1978.9.16夕
  43. ^ 「無条件降伏論争の問題点(上)」朝日新聞1978.10.2夕9面
  44. ^ 「戦後の再検討」日本は無条件降伏はしていない(三田演説館での昭和53年10月26日の講演録より、インターネット三田会)
  45. ^ a b 大西洋憲章には民族自決権が謳われているが、降伏条件として国体護持を出し、日本国の最終の政治の形態は日本国民が自由に表明した意思で決めるとしたにもかかわらず、憲法改正を指示したり極東委員会による文民条項についての干渉(ソビエトの意向から極東委員会、GHQというラインを通じた干渉)をおこなっており、極東委員会とマッカーサー総司令部はポツダム宣言及び降伏文書に違反している(一部要約)。第147回衆議院憲法調査会 参考人青山武憲(日本大学法学部教授)平成12年2月24日
  46. ^ 第147国会衆議院憲法調査会(平成12年3月23日)参考人:高橋正俊香川大学法学部教授『日本が受諾いたしましたポツダム宣言というものは、実は本来、いわゆる条件つき休戦条約であったと考えられております。どうして条件つき休戦条約であったかといえば、これは実はポツダム宣言をアメリカ側で制定する過程を調べてまいりますと、特にその起草に深くかかわった国務省内で二つの勢力、いわゆる中国派と言われる人たちと、日本派もしくは知日派と言うべきなんでしょうが、知日派と一応名づけておきますが、その勢力が激しくぶつかっております。そして、その結果、ポツダム宣言が形成される段階におきまして、七月二十日のことだというふうに言われておりますが、それまで草案二項の中に、日本の無条件降伏までということがうたわれておったわけですけれども、それが、日本が抵抗をやめるまでというふうに変更されておりまして、国家としての無条件降伏という言葉が消えております。日本の軍隊の無条件降伏だけが残る、こういうことになるわけですね。実際、そのように意図したようでございまして、ここでは、したがってポツダム宣言というのは、本来、条件交渉を認めない条件つき休戦条約、そういうふうなものになった、そしてそのように理解されておったということでございます。』[4]
  47. ^ 第134回参議院予算委員会(平成7年10月27日)政府委員 大出峻郎内閣法制局長官
  48. ^ 渡部昇一 (2014-6). 戦後レジームの原点、日本「無条件降伏論」の虚妄. 月刊正論. http://ironna.jp/article/1809 
  49. ^ 第147回衆議院憲法調査会 参考人青山武憲(日本大学法学部教授)平成12年2月24日(発言番号91)
  50. ^ 杉田一次の回想-2-杉田一次著『情報なきミズリー号艦上の降伏調印 映像で見る占領期の日本-占領軍撮影フィルムを見る- 永井和京都大学教授
  51. ^ 米英連合軍総司令部・ドイツ問題担当政治顧問ロバートDマーフィの回想による。くわしくは 藤田宏郎 2007, p. 18および脚注参照
  52. ^ 1949年(昭和24年)11月26日、第6回衆議院予算委員会 内閣総理大臣 吉田茂
  53. ^ 平成十九年二月九日受領 答弁第二二号 内閣衆質一六六第二二号[5]
  54. ^ 大日本帝国議会第90回衆議院本会議7号昭和21年06月27日吉田茂(発言番号8)[6]
  55. ^ 焦点になる「契約的基礎」については第7回衆議院外務委員会昭和25年3号(2月8日並木芳雄・発言者番号117)6号(3月9日横田喜三郎・発言者番号3)、第10回参議院外務委員会昭和26年2号(1月31日黒田寿男・発言者番号83)などで論じられあるいは反論されている。第24回衆議院内閣委員会公聴会昭和31年1号(3月16日神川彦松)でも言及あり。
  56. ^ 「損害賠償請求併合訴訟事件」(東京地方裁判所判決/昭和30年(ワ)第2914号、昭和32年(ワ)第4177号 )、「不当利得返還請求事件」(東京地方裁判所昭和36年(行)第123号 )、「退職金請求事件」 東京地方裁判所昭和63年9月29日)
  57. ^ 昭和24年(れ)第685号・昭和23年政令第201号違反被告事件(参考:[7]
  58. ^ 『日本の官庁職員又び日本国民は、連合国最高司令官又は他の連合国官憲の発する一切の指示を誠実且つ迅速に遵守すべきことが命ぜられており、若しこれらの指示を遵守するに遅滞があり、又はこれを遵守しないときは、連合国軍官憲及び日本国政府は、厳重且つ迅速な制裁を加えるものとされている(指令第一号附属一般命令第一号一二項)。』(ただし少数意見あり)昭和20年ポツダム勅令・昭和23年政令201号・昭和24年(れ)第685号・昭和23年政令第201号違反被告事件(参考:[8]
  59. ^ 昭和24年(れ)第685号・昭和23年政令第201号違反被告事件)(参考:[9]
  60. ^ a b 昭和24年11月26日、第6回衆議院予算委員会 西村栄一
  61. ^ 昭和24年11月26日の第6回衆議院予算委員会で内閣総理大臣の吉田茂は「またこの間もよく申したのでありますが、日本国は無条件降伏をしたのである。そしてポツダム宣言その他は米国政府としては、無条件降伏をした日本がヤルタ協定あるいはポツダム宣言といいますか、それらに基いて権利を主張することは認められない、こう思つております」と答弁している。
  62. ^ 昭和24年11月26日、第6回衆議院予算委員会 内閣総理大臣 吉田茂
  63. ^ 「日本は無条件降伏していない 東工大教授・江藤淳」(産経新聞「正論」昭和53年8月10日掲載)


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