ダグラス・マッカーサーとは?

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 軍人・武士 > 日本の歴史上の人物 > 太平洋戦争の人物 > ダグラス・マッカーサーの意味・解説 

【ダグラス・マッカーサー】(だぐらす・まっかーさー)

Douglas Macarthur(1880年1964年)
20世紀前半活躍したアメリカ陸軍将軍最終階級アメリカ陸軍(及びフィリピン陸軍元帥

第二次世界大戦後半、海軍ニミッツ提督と共に対日反攻作戦指導し、終戦後対日占領政策実施機関GHQ」の初代最高司令官として、日本対す占領行政を行った。

その後1950年朝鮮戦争勃発すると、これに呼応して編成された国連軍総司令官兼務
北朝鮮軍猛攻釜山まで押し込まれた韓国軍国連軍戦線立て直し反攻開始し、一時平壌奪取して中国との国境まで迫る勢い見せた。
しかし、1951年になると国連軍義勇軍名目介入してきた中国軍に押されて戦線北緯38度線近辺膠着
この戦況打開すべく、中国軍兵站拠点だった満州への戦略爆撃核兵器使用主張して連邦政府対立してしまい最終的には国連軍総司令官及びGHQ最高司令官の職を解任され、アメリカ本土帰国することになった。

この時に語ったのが「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」という言葉である。

これ以後軍人としての活動をすることはなく、1952年タイプライター及びコンピュータメーカー「レミントン・ランド社」の会長として迎えられて余生を過ごし、1964年老衰により死去した。


ダグラス・マッカーサー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/18 14:56 UTC 版)

ダグラス・マッカーサーDouglas MacArthur1880年1月26日 - 1964年4月5日)は、アメリカ軍人陸軍元帥連合国軍最高司令官を務めた。コーンパイプがトレードマークであった。




[ヘルプ]

注釈

  1. ^ フィリピン防衛計画作成の作業料という名目で、7年間にわたり多額の金をコミッションとして渡す契約。マッカーサーはアメリカ軍人の任務として防衛計画を作成するのであり、その見返りを受け取ることはアメリカ国内法で違反だった。
  2. ^ アジア艦隊のトップが大将なのは、上海などで砲艦外交をする上で仕事をやりやすくするためという理由があった。
  3. ^ マッカーサーがウェストポイント校長時代、アナポリス校長はハートであった。
  4. ^ リパブリック讃歌の替え歌)ダグアウト・ダグ・マッカーサー 岩の上に寝そべって震えてる。どんな 爆撃機にも突然のショックにも安全だって言うのにさ。ダグアウト・ダグ・マッカーサーはバターンで一番うまいもの食っている。兵隊は飢え死にしようってのにさ。
  5. ^ 1日の兵員1,000名に対する平均死傷者数 ○太平洋戦域 戦死、行方不明1.95名 戦傷 5.50名 総死傷7.45名 ○ヨーロッパ戦域 戦死、行方不明0.42名 戦傷1.74名 総死傷2.16名
  6. ^ マッカーサーは原爆の投下は必要なかったと公言しているが、1950年10月にアメリカで出版された『マッカーサー=行動の人』の著者ケリィとライアンの取材に対し、マッカーサーが「自分は統合参謀本部に対し、広島と長崎はどちらもキリスト教活動の中心だから投下に反対だと言い、代わりに瀬戸内海に落として津波による被害を与えるか、京都に落とすべきと提案した。」と話したと記述している。ただしマッカーサーは後日にGHQのスポークスマンを通じ、そのような発言はしていないと否定している。
  7. ^ : Supreme Commander for the Allied Powers、略称 SCAP
  8. ^ 1945年にアメリカで行われた世論調査では、天皇が有罪であるという意見が合計70%、うち死刑まで求めていたのが33%、それを受けて9月10日にアメリカ上院で「天皇を戦犯裁判にかけることをアメリカの方針とする」という決議がなされている。
  9. ^ 児島襄の『東京裁判』によれば民間情報教育局局長カーミット・R・ダイク准将がマッカーサーの意思を汲んで日本側にはたらきかけたという証言がある。
  10. ^ : General Head Quarters of the Supreme Commander for the Allied Powers、略称 GHQ/SCAP
  11. ^ トルーマン側に示された正式な理由は「マッカーサーが長い期間、東京を離れるのは危険である」とされた。
  12. ^ マッカーサーが12月24日に提出した「進行妨害標的リスト」には原爆投下目標として26か所が示されているとともに、敵地上軍への使用として4発、中国東北部にある敵航空機基地に4発の原爆使用が要請されていた。
  13. ^ : Old soldiers never die; they just fade away.
  14. ^ 松井は出版する気であったが出版に至らず、遺族の意向により全面的な公開はされておらず、一部が『朝日新聞』で記事となった。
  15. ^ 手塚治虫の漫画『どついたれ』でマッカーサーを恨む山下哲が、第一生命館前の人ごみに紛れてマッカーサーを暗殺しようとする描写がある。
  16. ^ 父アーサーも南北戦争で叙勲されており、2016年時点で親子揃って名誉勲章を受けたのはマッカーサー親子だけとなる
  17. ^ 側近2名の回想だが、研究が進んだ今日では、双方とも(回想録と同様に人物研究以外では)史料としての価値は低いとされる。
  18. ^ ラッセル・ブラインズは、当時AP通信東京支局長で、マッカーサーに最も近いジャーナリストと言われた。

出典

  1. ^ 終戦直後の日本 -教科書には載っていない占領下の日本p131 彩図社
  2. ^ 津島 訳 1964, p. 13.
  3. ^ マンチェスター 1985, p. 29, 上巻.
  4. ^ 津島 訳 1964, pp. 32-33.
  5. ^ 津島 訳 1964, p. 50.
  6. ^ 津島 訳 1964, pp. 36-39.
  7. ^ ブレア Jr. 1978, p. 18.
  8. ^ 袖井 1982, p. 12.
  9. ^ マンチェスター 1985, p. 64, 上巻.
  10. ^ ブレア Jr. 1978, p. 20.
  11. ^ マンチェスター 1985, p. 67, 上巻.
  12. ^ ブレア Jr. 1978, p. 21.
  13. ^ シャラー 1996, p. 22.
  14. ^ 津島 訳 1964, p. 61.
  15. ^ 袖井 2004, p. 22.
  16. ^ a b c 袖井 2004, p. 23
  17. ^ ペレット 2014, p. 104.
  18. ^ ペレット 2014, pp. 108-114.
  19. ^ ペレット 2014, p. 120.
  20. ^ The Tampico Incident": Wilson's Message to Congress [April 20, 1914] 2016年5月26日閲覧
  21. ^ ペレット 2014, pp. 134-137.
  22. ^ ペレット 2014, p. 144.
  23. ^ a b 袖井 & 福嶋 2003, p. 17.
  24. ^ マンチェスター 1985, pp. 90-91, 上巻.
  25. ^ ペレット 2014, p. 146.
  26. ^ ポール・ブレイン『The Test of Battle』P.149
  27. ^ 袖井 & 福嶋 2003, p. 18.
  28. ^ ペレット 2014, p. 202.
  29. ^ マンチェスター 1985, p. 124, 上巻.
  30. ^ ハルバースタム 2012, kindle版, 上巻, 位置No.2655.
  31. ^ ブレア Jr. 1978, p. 28.
  32. ^ 袖井 2004, pp. 28-31.
  33. ^ メイヤー 1971, p. 52.
  34. ^ 『マッカーサーの謎 日本・朝鮮・極東』 P.49
  35. ^ ペレット 2014, p. 230.
  36. ^ 増田 2009, p. 5.
  37. ^ ペレット 2014, p. 237.
  38. ^ ブレア Jr. 1978, p. 32.
  39. ^ メイヤー 1971, p. 56.
  40. ^ マンチェスター 1985, p. 151, 上巻.
  41. ^ 袖井 2004, pp. 33-34.
  42. ^ マンチェスター 1985, p. 147, 154, 上巻.
  43. ^ シャラー 1996, pp. 26-29.
  44. ^ a b マンチェスター 1985, p. 154, 上巻.
  45. ^ シャラー 1996, p. 28.
  46. ^ マンチェスター 1985, p. 156, 上巻.
  47. ^ シャラー 1996, p. 29.
  48. ^ 工藤 2001, p. 45.
  49. ^ 袖井 2004, p. 38.
  50. ^ a b マンチェスター 1985, p. 170, 上巻
  51. ^ シャラー 1996, p. 33.
  52. ^ 袖井 2004, p. 39.
  53. ^ a b シャラー 1996, p. 36
  54. ^ 袖井 2004, p. 40.
  55. ^ マンチェスター 1985, p. 177, 上巻.
  56. ^ シャラー 1996, p. 50.
  57. ^ マンチェスター 1985, p. 178, 上巻.
  58. ^ 工藤 2001, pp. 58-62.
  59. ^ 袖井 2004, p. 45.
  60. ^ マンチェスター 1985, p. 185, 上巻.
  61. ^ 『歴史読本臨時増刊 世界 謎の秘密結社』「フリーメーソンの全貌 占領政策」
  62. ^ シャラー 1996, pp. 67-69.
  63. ^ マンチェスター 1985, p. 211, 上巻.
  64. ^ ペレット 2014, p. 452.
  65. ^ マンチェスター 1985, p. 220, 上巻.
  66. ^ ペレット 2014, p. 464.
  67. ^ ボ―ルドウィン(1967年)p.144
  68. ^ ブレア Jr. 1978, pp. 53-55.
  69. ^ マンチェスター 1985, p. 217, 上巻.
  70. ^ メイヤー 1971, p. 90.
  71. ^ ペレット 2014, p. 459.
  72. ^ ペレット 2014, p. 460.
  73. ^ メイヤー 1971, p. 97.
  74. ^ NPO法人零戦の会公式サイト 第三節 太平洋戦争緒戦における栄光 2016年5月1日閲覧
  75. ^ a b メイヤー 1971, p. 100.
  76. ^ メイヤー 1971, p. 105.
  77. ^ ブレア Jr. 1978, p. 75.
  78. ^ マンチェスター 1985, p. 243, 上巻.
  79. ^ ペレット 2014, pp. 509-510.
  80. ^ マンチェスター 1985, p. 256, 上巻.
  81. ^ メイヤー 1971, p. 93.
  82. ^ メイヤー 1971, p. 114.
  83. ^ マンチェスター 1985, p. 254, 上巻.
  84. ^ 増田 2009, p. 114.
  85. ^ マンチェスター 1985, p. 274, 上巻.
  86. ^ a b c ペレット 2014, p. 520
  87. ^ メイヤー 1971, p. 74.
  88. ^ ペレット 2014, p. 521
  89. ^ ペレット 2014, pp. 522-523.
  90. ^ a b c ペレット 2014, p. 288
  91. ^ ペレット 2014, p. 524.
  92. ^ ブレア Jr. 1978, p. 83.
  93. ^ ボ―ルドウィン(1967年)p.160
  94. ^ 安延多計夫 1995, pp. 202
  95. ^ ボ―ルドウィン(1967年)p.161
  96. ^ ボ―ルドウィン(1967年)p.162
  97. ^ ペレット 2014, p. 525.
  98. ^ マンチェスター 1985, p. 318, 上巻.
  99. ^ マンチェスター 1985, p. 293, 上巻.
  100. ^ ペレット 2014, p. 545.
  101. ^ a b ペレット 2014, p. 546.
  102. ^ 袖井 1982, p. 247.
  103. ^ Dug-out Doug 2016年1月13日閲覧
  104. ^ 袖井 1982, p. 168.
  105. ^ ブレア Jr. 1978, p. 92.
  106. ^ ボ―ルドウィン(1967年)p.162
  107. ^ ボ―ルドウィン(1967年)p.163
  108. ^ メイヤー 1971, p. 122.
  109. ^ ブレア Jr. 1978, pp. 93-94.
  110. ^ メイヤー 1971, p. 98.
  111. ^ 津島 訳 2014, p. 122.
  112. ^ マンチェスター 1985, p. 23, 下巻.
  113. ^ マンチェスター 1985, p. 55, 下巻.
  114. ^ 津島 訳 2014, p. 228.
  115. ^ 津島 訳 2014, p. 443.
  116. ^ 袖井 2004, p. 162.
  117. ^ マンチェスター 1985, p. 430, 上巻.
  118. ^ "Luzon" 2016年1月8日閲覧
  119. ^ "Leyte" 2015年1月8日閲覧
  120. ^ "6th Infantry Division:" 2016年1月8日閲覧
  121. ^ 津島 訳 2014, pp. 243-245.
  122. ^ 津島 訳 2014, p. 318.
  123. ^ "ww2museum" 2015年1月8日閲覧
  124. ^ 津島 訳 2014, p. 337.
  125. ^ 津島 訳 2014, p. 344.
  126. ^ 『ドキュメント神風(下)』 P.255
  127. ^ マンチェスター 1985, p. 82, 下巻.
  128. ^ 『ドキュメント神風(下)』 P.239
  129. ^ a b マンチェスター 1985, p. 84, 下巻.
  130. ^ Frank, No Bomb: No End P.374-375 2016年1月10日閲覧
  131. ^ a b 袖井 1982, p. 164
  132. ^ 西 2005, 電子版, 位置No.903.
  133. ^ 『占領戦後史』 P.61-.67
  134. ^ 増田 2009, p. 328.
  135. ^ 増田 2009, p. 332.
  136. ^ 袖井 2004, p. 144.
  137. ^ マンチェスター 1985, p. 139, 下巻.
  138. ^ 『レイテ戦記(下)』中公文庫 309頁
  139. ^ 津島 訳 1964, p. 442.
  140. ^ 袖井 2004, p. 170.
  141. ^ 『朝日新聞』1946年1月12日朝刊2面
  142. ^ 津島 訳 2014, p. 444.
  143. ^ a b 「悲劇の将軍・本間雅晴と共に」
  144. ^ マンチェスター 1985, p. 142, 下巻.
  145. ^ 袖井 2004, p. 153.
  146. ^ 津島 訳 2014, p. 424.
  147. ^ 袖井 2004, p. 106, マッカーサーの副官フォービオン・バワーズ少佐回想.
  148. ^ 江藤淳編 『占領史録 (降伏文書調印経緯)』第1巻 講談社、1981年、290頁。ISBN 4061275550 
  149. ^ 増田 2009, p. 334.
  150. ^ 袖井 2004, p. 111.
  151. ^ 巣鴨日記
  152. ^ 袖井 2004, pp. 146-147.
  153. ^ 毎日新聞1945:相次ぐ暴露記事 GHQの戦略利用」毎日新聞2015年11月16日
  154. ^ 西 2005, 電子版, 位置No.2538.
  155. ^ 西 2005, 電子版, 位置No.2513.
  156. ^ 『ザ・フィフティーズ 第1部』
  157. ^ 『マッカーサーの謎 日本・朝鮮・極東』 P.52
  158. ^ マンチェスター 1985, p. 188, 下巻.
  159. ^ マンチェスター 1985, p. 186, 下巻.
  160. ^ 『マッカーサーの謎 日本・朝鮮・極東』 P.106
  161. ^ 『ザ・フィフティーズ 第1部』、『ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争』[出典無効]
  162. ^ GHQ外交局長だったウィリアム・シーボルト『日本占領外交の回想』による。
  163. ^ マンチェスター 1985, p. 263, 下巻.
  164. ^ リッジウェイ 1976, p. 69.
  165. ^ ハルバースタム 2009, p. 36, 下巻.
  166. ^ ハルバースタム 2009, p. 37, 下巻.
  167. ^ 袖井 2004, pp. 374-375.
  168. ^ 袖井 2004, pp. 375-376.
  169. ^ ハルバースタム 2009, p. 31, 下巻.
  170. ^ ハルバースタム 2009, p. 34, 下巻.
  171. ^ シャラー 1996, p. 318.
  172. ^ リッジウェイ 1976, p. 70.
  173. ^ ハルバースタム 2009, p. 49, 下巻.
  174. ^ リッジウェイ 1976, p. 81.
  175. ^ マンチェスター 1985, p. 290, 下巻.
  176. ^ a b リッジウェイ 1976, p. 71.
  177. ^ ハルバースタム 2009, p. 51, 下巻.
  178. ^ ブレア Jr. 1978, p. 253.
  179. ^ リッジウェイ 1976, p. 92.
  180. ^ シャラー 1996, p. 311.
  181. ^ トーランド 1997, p. 18.
  182. ^ リッジウェイ 1976, p. 93.
  183. ^ トーランド 1997, p. 98.
  184. ^ リッジウェイ 1976, p. 127.
  185. ^ ハルバースタム 2009, p. 226, 下巻.
  186. ^ トーランド 1997, p. 115.
  187. ^ シャラー 1996, p. 327.
  188. ^ ブレア Jr. 1978, p. 264.
  189. ^ a b c 『朝日新聞』1951年4月12日朝刊1面
  190. ^ ハルバースタム 2009, p. 265, 下巻.
  191. ^ シャラー 1996, p. 338.
  192. ^ ブレア Jr. 1978, p. 269.
  193. ^ リッジウェイ 1976, p. 170.
  194. ^ 「シーボルト文書」ウィリアム・ジョセフ・シーボルド日誌 1951年2月8日、17日
  195. ^ マンチェスター 1985, p. 393, 下巻.
  196. ^ リッジウェイ 1976, p. 145.
  197. ^ a b ブレア Jr. 1978, p. 273
  198. ^ a b シャラー 1996, p. 352
  199. ^ ブレア Jr. 1978, p. 276.
  200. ^ 『朝日新聞』1951年5月14日朝刊1面
  201. ^ 『A General's Life: An Autobiography』 P.630-631
  202. ^ マンチェスター 1985, p. 334, 下巻.
  203. ^ 袖井 2004, p. 422.
  204. ^ 厚木の凱旋将軍 「マッカーサーは失禁していた」『歴史通』 2014年9月号 2016年8月11日閲覧
  205. ^ 西 2005, 電子版, 位置No.7394.
  206. ^ 袖井 2004, p. 389.
  207. ^ マンチェスター 1985, p. 397, 下巻.
  208. ^ 西 2005, 電子版, 位置No.7433.
  209. ^ マンチェスター 1985, p. 359, 下巻.
  210. ^ ハルバースタム 2012, kindle版, 上巻, 位置No.6323.
  211. ^ ペレット 2014, p. 1117.
  212. ^ マンチェスター 1985, p. 364, 下巻.
  213. ^ ハルバースタム 2012, kindle版, 下巻, 位置No.6432.
  214. ^ 『Among friends: Personal letters of Dean Acheson』P.103
  215. ^ ハルバースタム 2012, kindle版, 下巻, 位置No.6533.
  216. ^ マンチェスター 1985, p. 361, 下巻.
  217. ^ 『朝日新聞』1964年4月6日夕刊記事
  218. ^ a b マンチェスター 1985, p. 389, 下巻
  219. ^ a b マンチェスター 1985, p. 386, 下巻.
  220. ^ マンチェスター 1985, p. 388, 下巻.
  221. ^ ブレア Jr. 1978, p. 294.
  222. ^ ペレット 2014, p. 1126.
  223. ^ 袖井 1982, p. 122.
  224. ^ ペレット 2014, p. 1132.
  225. ^ マンチェスター 1985, p. 399, 下巻.
  226. ^ マンチェスター 1985, p. 295, 下巻.
  227. ^ 津島 訳 2014, p. 427.
  228. ^ 吉田茂『回想十年』(初版 新潮社 全4巻 1957年-1959年/東京白川書院と中公文庫 各全4巻で再刊)
  229. ^ 「マッカーサー戦記・虚構と真実」『文藝春秋』1964年6月号特集記事
  230. ^ 津島 訳 2014, p. 426.
  231. ^ 豊下 2008, p. 3.
  232. ^ ロジャー・エグバーグ 『裸のマッカーサー 側近軍医50年後の証言』 林茂雄・北村哲男共訳、図書出版社、1995年 P.254
  233. ^ 工藤 2001, pp. 11-19.
  234. ^ 『憲法100年 天皇はどう位置づけられてきたか』NHK 1989年5月3日放送
  235. ^ 「かくて天皇は無罪となった」『文藝春秋』1965年8月号
  236. ^ 伊藤隆・渡遺行男『続重光葵手記』 中央公論社、1988年 P.732
  237. ^ 泰郁彦『裕仁天皇五つの決断』講談社、1984年、P.84
  238. ^ 豊下 2008, p. 8.
  239. ^ 児島襄「天皇とアメリカと太平洋戦争」『文藝春秋』1975年11月号
  240. ^ 豊下 2008, p. 90.
  241. ^ 藤田尚徳 『侍従長の回想』 中公文庫、1987年
  242. ^ 豊下 2008, p. 28.
  243. ^ 豊下 2008, p. 27.
  244. ^ 西 2005, 電子版, 位置No.1490-1514.
  245. ^ 中島茂の点描 マッカーサー 2016年5月10日閲覧
  246. ^ 袖井 & 福嶋 2003, p. 78.
  247. ^ 『日米戦争と戦後日本』 P.177
  248. ^ 西 2005, 電子版, 位置No.3739.
  249. ^ 山本 2013, p. 199.
  250. ^ a b 袖井 & 福嶋 2003, p. 79.
  251. ^ 『読売新聞』埼玉版 1951年4月12日
  252. ^ a b 袖井 1982, p. 175
  253. ^ マンチェスター 1985, p. 127, 下巻.
  254. ^ 山本 2013, p. 201.
  255. ^ 山本 2013, p. 203.
  256. ^ a b 山本 2013, p. 200.
  257. ^ 袖井 2002, p. 12.
  258. ^ 『敗戦 占領軍への50万通の手紙』P.22
  259. ^ 函館市史 通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み アメリカ軍による軍政開始 P64-P66 2016年5月10日閲覧
  260. ^ 『敗戦 占領軍への50万通の手紙』P.22
  261. ^ 袖井 2002, p. 9.
  262. ^ 『毎日新聞』1946年10月15日
  263. ^ 袖井 2002, p. 77.
  264. ^ 『敗戦 占領軍への50万通の手紙』P.152 -P.153
  265. ^ 袖井 & 福嶋 2003, p. 102.
  266. ^ 『敗戦 占領軍への50万通の手紙』P.152
  267. ^ 袖井 2002, p. 331.
  268. ^ 『マッカーサーへの100通の手紙』P.133
  269. ^ 袖井 2002, p. 340.
  270. ^ 『マッカーサーへの100通の手紙』P.340
  271. ^ 袖井 2002, p. 327.
  272. ^ NHK ETV特集「マッカーサーへの手紙」1999年5月24日、午後10時放映
  273. ^ 『マッカーサーへの100通の手紙』P.186 -P.188
  274. ^ 袖井 2002, p. 367.
  275. ^ 袖井 2002, p. 3.
  276. ^ 絶望よりも反省よりも『拝啓マッカーサー元帥様』 -我々は権力者を信じることで、何かを忘れようとする 尹 雄大 2016年5月10日閲覧
  277. ^ 袖井 2002, p. 10.
  278. ^ 『マッカーサーへの100通の手紙』P.8
  279. ^ 山本 2013, p. 174.
  280. ^ 『北海道新聞』「時評」1951年4月22日夕刊
  281. ^ 『朝日新聞』「天声人語」1951年4月21日
  282. ^ 『毎日新聞』1951年4月17日夕刊
  283. ^ 『敗北を抱きしめて 下』 P.404
  284. ^ 『朝日新聞』「天声人語」1951年5月16日朝刊1面
  285. ^ 『朝日新聞』「天声人語」1951年5月17日
  286. ^ 『敗北を抱きしめて 下』 P.407
  287. ^ 特集 広告からみた占領下の日本-広告からうかびあがる占領下の日本の姿- 2016年5月14日閲覧
  288. ^ 袖井 2004, p. 13.
  289. ^ ハルバースタム 2012, kindle版, 上巻, 位置No.2552.
  290. ^ マンチェスター 1985, p. 55, 上巻.
  291. ^ ペレット 2014, p. 40.
  292. ^ ペレット 2014, p. 41.
  293. ^ ハルバースタム 2012, kindle版, 上巻, 位置No.2598.
  294. ^ ハルバースタム 2012, kindle版, 上巻, 位置No.2580.
  295. ^ マンチェスター 1985, p. 143, 上巻.
  296. ^ ペレット 2014, p. 322.
  297. ^ ペレット 2014, p. 327.
  298. ^ ペレット 2014, p. 371.
  299. ^ マンチェスター 1985, p. 179, 上巻.
  300. ^ マンチェスター 1985, p. 402, 下巻.
  301. ^ a b 袖井 1982, p. 171
  302. ^ p.57, Military situation in the Far East. pt. 1 Published: Washington, U. S. Govt. Print. Off., 1951.
  303. ^ General Macarthur Speeches & Reports: 1908-1964 出版社: Turner Pub Co (2000/06)、 ISBN 1563115891ISBN 978-1563115899、 発売日: 2000/06
  304. ^ 秦郁彦 『陰謀史観』、2012年、136-137頁。ISBN 978-4-10-610465-7
  305. ^ 小堀『東京裁判 日本の弁明』、講談社学術文庫、1995年8月
  306. ^ 『正論』1月号解説 牛田久美(原文41項 -65項)
  307. ^ 【反撃せよ!ニッポン】創作された「歴史」の修正を主張する時期に来た K・ギルバート氏(1/2ページ)2014.11.18 夕刊フジ
  308. ^ p.204, Military situation in the Far East. pt. 1 Published: Washington, U. S. Govt. Print. Off., 1951.
  309. ^ p.234, Military situation in the Far East. pt. 1 Published: Washington, U. S. Govt. Print. Off., 1951.
  310. ^ 『「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった 誤解と誤訳の近現代史』 P.26
  311. ^ Military situation in the Far East. pt. 1 Published: Washington, U. S. Govt. Print. Off., 1951.
  312. ^ 『マッカーサーの二千日』1976年版 佐藤忠男巻尾解説文
  313. ^ 袖井 2004, p. 392.
  314. ^ 『「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった 誤解と誤訳の近現代史』 P.17
  315. ^ 西 2005, 電子版, 位置No.1252.
  316. ^ 『「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった 誤解と誤訳の近現代史』 P.35
  317. ^ 吉田茂『回想十年』第1巻 中公文庫 1998年
  318. ^ Home. MacArthur Memorial.
  319. ^ Museum. MacArthur Memorial.
  320. ^ Virginia Landmarks Register, National Register of Historic Places. p.12. Virginia Department of Historic Resources, Commonwealth of Virginia. 2011年4月8日. (PDFファイル)
  321. ^ 西 2005, 電子版, 位置No.7427.
  322. ^ 『マッカーサーと日本占領』P.40
  323. ^ 袖井 & 福嶋 2003, p. 140.
  324. ^ 袖井 1982, p. 174.
  325. ^ サンデー毎日』1953年6月28日号
  326. ^ 高田保 第三ブラリひょうたん 銅像 2016年1月6日閲覧
  327. ^ a b マンチェスター 1985, p. 174, 下巻.
  328. ^ a b ハルバースタム 2012, kindle版, 上巻, 位置No.2747.
  329. ^ 『The Years of MacArthur, Volume 1: 1880-1941』P.411
  330. ^ ハルバースタム 2012, kindle版, 上巻, 位置No.2865.
  331. ^ 津島 訳 1964, p. 96.
  332. ^ 『Off the Record: The Private Papers of Harry S. Truman』P.47
  333. ^ ペレット 2014, p. 918.
  334. ^ 『Lucius D. Clay: An American Life』P.525
  335. ^ リッジウェイ 1976, p. 171.
  336. ^ a b マンチェスター 1985, p. 14, 上巻.
  337. ^ ハルバースタム 2012, kindle版, 上巻, 位置No.1194.
  338. ^ 『Origins of the Korean War, Vol. 1: Liberation and the Emergence of Separate Regimes, 1945-1947』 P.106
  339. ^ ハルバースタム 2012, kindle版, 上巻, 位置No.2737.
  340. ^ ハルバースタム 2012, kindle版, 上巻, 位置No.2742.
  341. ^ マンチェスター 1985, p. 163, 上巻.
  342. ^ ペレット 2014, p. 410.
  343. ^ ペレット 2014, p. 412.
  344. ^ 『アイゼンハワー』P.79
  345. ^ ペレット 2014, p. 417.
  346. ^ ペレット 2014, p. 970.
  347. ^ マンチェスター 1985, p. 395, 下巻.
  348. ^ 袖井 1982, p. 106.
  349. ^ シャラー 1996, p. 182.
  350. ^ ペレット 2014, p. 993.
  351. ^ 「フジヤマの飛び魚が見た昭和とこれから」 2016年1月6日閲覧
  352. ^ ペレット 2014, p. 998.
  353. ^ マンチェスター 1985, p. 180, 下巻.
  354. ^ 袖井 2002, p. 169.
  355. ^ 『ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争 (上下)』[出典無効]
  356. ^ 『横浜の歴史』(横浜市教育委員会編)より
  357. ^ ホテル・ノスタルジア 第20回:マッカーサー元帥のホテル秘話 富田昭次 2016年1月9日閲覧
  358. ^ 025.1. A Japanese lady who worked for GEN MacArthur / マッカーサー元帥の思い出 USArmyInJapan
  359. ^ ロジャー・エグバーグ 『裸のマッカーサー 側近軍医50年後の証言』 林茂雄・北村哲男共訳、図書出版社、1995年 P.235
  360. ^ 津島 訳 2014, p. 381.
  361. ^ 『一すじの道 -池田政三の八十年-』P.614
  362. ^ 『第1回マックアーサー元帥杯競技大会報告書』マ杯委員会 P.7-8
  363. ^ 『第一回マックアーサー元帥杯競技大会報告書』マ杯委員会 P.34
  364. ^ 埼玉県議会議員 岡しげお活動日記 2014年4月11日 2016年5月25日閲覧
  365. ^ マッカーサー元帥杯スポーツ競技会の成立と廃止 金沢大学 2016年5月25日閲覧
  366. ^ 『第8回マックアーサー元帥杯競技大会報告書』マ杯委員会 P.33-34
  367. ^ ニッタクヒストリー ニッタクの歩み 2016年9月27日閲覧
  368. ^ 全日本都市対抗テニス大会 主管(長野県開催大会) 長野県テニス協会 2016年9月27日閲覧
  369. ^ マンチェスター 1985, p. 171, 上巻.
  370. ^ 『ザ・フィフティーズ 第1部』
  371. ^ 竹田恒徳「この道」(『雲の上、下 思い出話』 東京新聞社、1987年)。
  372. ^ ジョン・ダワー 『敗北を抱きしめて』 岩波書店、2001年
  373. ^ リチャード・ニクソン 『指導者とは』 徳岡孝夫訳、文藝春秋、1986年
  374. ^ 松本健一『昭和天皇伝説 たった一人のたたかい』 河出書房新社、pp.123-130。朝日文庫で再刊
  375. ^ LIFE 1945年5月7日号 2016年6月1日閲覧
  376. ^ 「GHQ日系通訳官が初めて語った『素顔のマッカーサー元帥』」『週刊新潮』2014年6月20日号 P.62
  377. ^ 袖井 & 福嶋 2003, p. 36.
  378. ^ たばこワールド コーンパイプの立役者 日本たばこ 2016年1月19日閲覧
  379. ^ 西 2005, 電子版, 位置No.1112-1118.
  380. ^ 袖井 2004, p. 255.
  381. ^ シャラー 1996, p. 194.
  382. ^ 袖井 2004, p. 257.
  383. ^ シャラー 1996, p. 195.
  384. ^ 袖井 2004, p. 256.
  385. ^ 西 2005, 電子版, 位置No.1123.
  386. ^ 西 2005, 電子版, 位置No.1739.
  387. ^ 袖井 2004, p. 261.
  388. ^ シャラー 1996, p. 196.
  389. ^ 西 2005, 電子版, 位置No.1139.
  390. ^ 袖井 2004, pp. 261-263.
  391. ^ Our History - JAPAN ICU FOUNDATION 2011年11月9日閲覧
  392. ^ 「ルーズベルトは狂気の男」 フーバー元大統領が批判 『産経新聞』2011年12月7日
  393. ^ Denslow, W., 10,000 Famous Freemasons from K to Z, p 112
  394. ^ Famous Freemasons M-Z
  395. ^ a b James, D. Clayton (1970). Volume 1, 1880–1941. Boston: Houghton Mifflin. p. 505. ISBN 0-395-10948-5. OCLC 60070186. 
  396. ^ 袖井 1982, p. 163.







固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

カテゴリ一覧

全て

ビジネス

業界用語

コンピュータ

電車

自動車・バイク

工学

建築・不動産

学問

文化

生活

ヘルスケア

趣味

スポーツ

生物

食品

人名

方言

辞書・百科事典

すべての辞書の索引

「ダグラス・マッカーサー」の関連用語

ダグラス・マッカーサーのお隣キーワード

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   
検索ランキング

画像から探す

たかなみ

浜松広報館

施条砲

T尾翼

近接航空支援

迫撃砲

EC135

V-22





ダグラス・マッカーサーのページの著作権
Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。

  
航空軍事用語辞典++航空軍事用語辞典++
この記事はMASDF 航空軍事用語辞典++の記事を転載しております。
MASDFでは航空及び軍事についての様々なコンテンツをご覧頂けます。
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのダグラス・マッカーサー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2017 Weblio RSS