第三次とは? わかりやすく解説

第三次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/03 07:30 UTC 版)

塚山遺跡」の記事における「第三次」の解説

1935年昭和10年)秋、杉並区教育委員会教育長大石金一竪穴式住居地下にあることを確信し1936年昭和11年)頃に阿玉台式の土器を炉ぶちに使用した竪穴式住居発掘

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第三次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/29 17:39 UTC 版)

ケ号作戦」の記事における「第三次」の解説

第三次作戦前夜作戦会議(恐らく鳥海艦上開かれた思われる)で、この作戦直接指揮した第八艦隊司令部駆逐艦出撃渋った。二回の撤収で既にアメリカ軍作戦見破られたとの懸念加え連合艦隊駆逐艦喪失激減悩んでおり、第三次作戦方式変更して駆逐艦ではなく大発などの舟艇により島伝い脱出させようとの意見出された。これに対し陸軍側は、田沼参謀次長第17軍宮崎参謀長らが海軍の作戦会議出席し舟艇による脱出成功可能性が下がるとして駆逐艦出撃要請議論平行線辿った時、駆逐艦雪風」の菅間艦長と「浜風の上艦長から「予定通り駆逐艦でやるべき」との発言があり、臨席していた駆逐艦長全員もこれに賛同し第三次作戦駆逐艦隊で行う事が決定した陸軍第17軍小沼治夫少将は、会議結果受けて作戦当日駆逐艦隊の行動対する不安を拭う事ができず、第一連隊旗白雪乗船する橋本信太郎少将作戦完遂するよう直談判し橋本少将の「艦隊司令部意向がどうであれ我々は任務邁進するので安心されよ」との言葉得てやっと安堵している。 最後撤収2月7日行われた部隊駆逐艦18隻で7日ショートランド出発した途中空襲磯風被爆し引き返した。同夜、ガダルカナル島到着しカミンボから殿軍とされた松田部隊中心とする海軍25名、陸軍2224名を収容しエレベンタに帰還した。また駆逐艦での撤収失敗した場合備えてラッセル諸島1月28日進出していた海軍38名、陸軍352名を収容した第一連隊(カミンボからの収容及び警戒一番隊黒潮白雪 二番隊朝雲五月雨 三番隊輸送隊):時津風雪風皐月文月 第二連隊ラッセル諸島からの収容及び警戒第10駆逐隊風雲夕雲秋雲17駆逐隊谷風浦風浜風磯風 第8駆逐隊大潮荒潮22駆逐隊長月艦長証言ではカミンボで収容

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第三次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 15:58 UTC 版)

ガダルカナル島撤収作戦」の記事における「第三次」の解説

第三次作戦前夜2月6日午後ブーゲンビル島で第三次輸送に関する作戦会議開かれた第三水雷戦隊会議列席した第八艦隊司令部駆逐艦出撃渋った。二回の撤収で既にアメリカ軍作戦見破られたとの懸念加え連合艦隊駆逐艦喪失激減悩んでおり、第三次作戦方式変更して駆逐艦ではなく大発などの舟艇により島伝い脱出させようとの意見出された。これに対し陸軍側は、田沼参謀次長第17軍宮崎参謀長らが海軍の作戦会議出席し舟艇による脱出成功可能性が下がるとして駆逐艦出撃要請した議論平行線辿った時、駆逐艦雪風」の菅間艦長と「浜風の上艦長から「予定通り駆逐艦でやるべき」との発言があり、臨席していた駆逐艦長全員もこれに賛同し第三次作戦駆逐艦隊で行う事が決定した第17軍会議結果受けて作戦当日駆逐艦隊の行動対する不安を拭う事ができず、宮崎参謀長小沼治夫陸軍少将艦隊派遣する小沼第三水雷戦隊司令官橋本信太郎海軍少将旗艦白雪」)に作戦完遂するよう直談判し橋本少将の「艦隊司令部意向がどうであれ我々は任務邁進するので安心されよ」との言葉得てやっと安堵している。宮崎第十七軍参謀長)は会議様子陣中日誌に以下のように記録している。 午後ハ明七日朝第三次輸送ノ為出航スヘキ第三水雷戦隊会議参列ス、議既ニ了ラントシ結論ハ「第三次入泊ノ困難性ニ鑑ミ乗艦部隊ハ予メ舟艇、筏等ニヨリ泊地付近待機シ各艦ハ小発ヲ携行シ之ヲ泛スヘキモ陸岸ニ迎ヘニ行クハ状況之ヲ許ス場合ノミ前項ヲ以テ本則トス」ト第八艦隊司令長官三川中将列席シアリ、結論低声メテ透徹ヲ欠キ積極的ノ状ヲ認ムルハス、恐ラク聯合艦隊方面艦隊ヨリ特別示達ニ接シアルナラン、之ニ実行部隊参謀又ハ艦長意見比較積極ニシテ上長決定不明確ノ点ヲ確ムルニ努ムル状ヲ認ム、予茲ニ於テ長官ニ断リ一言全般ニ対シ今次協力ヲ謝スルト共ニ明日積極行動念願シ特ニ「カミンボ」収容担任指揮官東海林大佐以下ニ熱意ヲ以テ懇望ス同夜「ガ」島ノ山本ヨリ松田大佐ノ名ヲ以テ)一般状況ニシテ敵ハ依然積極行動ニ出テサルヲ報ス、依テ早朝小沼ヲシテ第三水雷戦隊長ニ将ニ出発直前其艦ニ至テ通報シ、重ネテ積極行動要望ス — 大本営陸軍部作戦部長宮崎周一中日記 366-367ページ昭和18年2月6日記事最後撤収2月7日行われた第一次作戦第二次作戦参加した駆逐艦江風(第24駆逐隊)は修理のため外された。第三水雷戦隊司令官第十戦隊司令官指揮する駆逐艦18隻は、7日ショートランド出発した途中空襲磯風被爆長月護衛され引き返した磯風護衛役は途中で江風交代し長月撤収部隊戻った。同夜、ガダルカナル島到着しカミンボから殿軍とされた松田部隊中心とする海軍25名、陸軍2224名を収容しエレベンタに帰還した。また駆逐艦での撤収失敗した場合備えてラッセル諸島1月28日進出していた海軍38名、陸軍352名を収容した2月8日午前撤収部隊ショートランド泊地到着した第一連隊(カミンボからの収容及び警戒指揮官橋本信太郎第三水雷戦隊司令官一番隊白雪三水戦旗艦〉、黒潮 二番隊朝雲五月雨 三番隊輸送隊):時津風雪風皐月文月 第二連隊ラッセル諸島からの収容及び警戒指揮官小柳冨次第十戦隊司令官第10駆逐隊風雲第十戦隊旗艦〉、夕雲秋雲17駆逐隊谷風浦風浜風磯風 第8駆逐隊大潮荒潮22駆逐隊長月艦長証言ではカミンボで収容

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第三次(2003年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 21:40 UTC 版)

ダイナマイト打線」の記事における「第三次(2003年)」の解説

打順守備選手打席打率本塁打打点盗塁備考1 二 今岡誠 右 .340 12 72 1 首位打者ベストナイン(二) 2 中 赤星憲広 左 .312 1 35 61 打率リーグ8位、盗塁王ベストナイン(外) 3 左 金本知憲 左 .289 19 77 18 打率リーグ16位 4 右/一 桧山進次郎 左 .278 16 63 1 打率リーグ22位 5 一/三 ジョージ・アリアス 右 .265 38 107 2 打率リーグ25位、ベストナイン(一) 6 三 片岡篤史 左 .296 12 55 1 規定打席未到達 7 捕 矢野輝弘 右 .328 14 79 1 打率リーグ3位ベストナイン(捕) 8 遊 藤本敦士 左 .301 0 36 9 打率リーグ11位 9 投 控え選手守備選手打席打率本塁打打点盗塁濱中おさむ 右 .273 11 48 3 一 広澤克実 右 .306 4 15 0 二/三/遊 沖原佳典 右 .341 1 17 3 一 八木裕 右 .286 0 21 0 捕 野口寿浩 右 .271 1 5 1太字はリーグトップ 広島東洋カープから金本FA移籍入団し打線中核担ったことで打線の厚みが増し、強力打線形成赤星金本2、3コンビが「金星ライン」と呼ばれ高い得点力誇った他、矢野藤本2人下位打線であるにも関わらず3割を超える打率残したことで他球団から「恐怖下位打線」と恐れられた。また代打切り札として八木活躍後半チーム失速時には広澤4番務め今岡怪我離脱した際は沖原が代役務めるなど控えの層も厚かった結果として140試合728得点1試合5点以上を獲る得点力発揮し18年ぶりとなるリーグ優勝原動力となった打順変更やポジションコンバートの他、アリアス片岡退団鳥谷敬アンディ・シーツ入団などにより多少変更点はあったものの、この年になった「第三次ダイナマイト打線としての基本型2007年頃まで引き継がれた。

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第三次 (2006年 - 現在)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/20 09:07 UTC 版)

バチカンのユーロ硬貨」の記事における「第三次 (2006年 - 現在)」の解説

新ローマ教皇ベネディクト16世選出に伴い2006年4月27日よりベネディクト16世肖像画描かれ硬貨新たに発行されている。イタリア語で「バチカン市」を意味するCITTÀ DEL VATICANO と、12の星をかたどっている。 第三次バチカンのユーロ硬貨裏面€ 0.01 € 0.02 € 0.05 ベネディクト16世肖像画 € 0.10 € 0.20 € 0.50 ベネディクト16世肖像画 € 1.00 € 2.00 € 2 の縁(へり) € 硬貨側面部には、"2" と 6つの"*" ベネディクト16世肖像画

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第三次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/30 21:03 UTC 版)

湊騒動」の記事における「第三次」の解説

愛季は戦国大名としての地位確立しつつあったが、天正15年1587年)、角館城戸沢盛安戦った際、仙北淀川の陣中病死したことで、均衡くずれた。 愛季の嫡子実季が後を継ぐと、茂季の子である高季(豊島通季)は「湊安東氏復興」を唱えて南部氏小野寺氏連絡し戸沢氏とも手を結んで天正17年1589年2月、実季に対し反乱起こした史料によっては天正16年1588年)とするものもある。 高季を擁する豊島勢は一時湊城奪い八柳氏永井氏などの秋田郡一帯国人衆組織し、実季を檜山城籠城させるなど窮地追い込んだ。実季側は鉄砲わずか300挺で檜山城守り抜いている。檜山籠城は5か月あまりにおよんだが、南部氏比内秋田県内陸北部侵攻際し一旦和睦となった。この隙に実季方に赤尾津氏羽根川氏ら由利十二頭勢力参戦し湊城攻め動き見せたことから、豊島勢は挟み撃ち会い壊滅湊城は再び実季の手落ちた豊島勢の残党は「寺内合戦」に勝利し一矢報いたものの高季(通季)が敗走したことから四散したその後戸沢小野寺連合軍との「峰の山合戦」を経て和議まとまり、実季は秋田郡域を確固とした支配下に置くこととなった。通季は南部氏のもとへ逃れてその家臣となった。 この戦い惣無事令違反豊臣秀吉に見なされたが、実季の石田三成への工作により家の存続許され出羽秋田5万2,000石の安堵認められた。また、没収され領地のうち25,000石は太閤蔵入地とされ、実季はその代官となった一方、通季も小田原征伐の際に南部信直伴われ家名再興願い出たが、増田長盛によって出仕阻まれた。実季は、居城湊城移し、「秋田城介」を名乗り安東から秋田改姓した

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第三次

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落語研究会 (落語会)」の記事における「第三次」の解説

1946年2月3日1946年8月 旗揚げ1946年2月3日 社団法人生命保険協会講堂 会長 久保田万太郎 顧問渋沢秀雄 遠藤為春 参与正岡容 安藤鶴夫 発起人8代目桂文治 4代目柳家小さん 8代目桂文楽 第二次発起人 2代目三遊亭円歌 3代目三遊亭金馬 初代柳家権太楼 2代目桂小文治 5代目柳亭左楽 5代目春風亭柳好 幹事林家彦六 5代目古今亭今輔 「第三次落語研究会は、第一次第二次時のように、一部有志集合でなく、全落語家結束であります」(第一回プログラム幹部落語家(=一部有志?)の合議による選抜廃止した

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第三次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 08:59 UTC 版)

日本フェビアン協会」の記事における「第三次」の解説

1947年(昭和22年)に八木秀次発起人として結成される

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第三次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 14:02 UTC 版)

清・ジュンガル戦争」の記事における「第三次」の解説

1745年ガルダンツェリン亡くなると、ジュンガル部およびオイラト部族連合はたちまち分裂状態となった1750年息子のラマダルジャー(モンゴル語版、ロシア語版)が継いだが、庶出異母兄幽閉され1752年にはホイト部長のアムルサナー(中国語版ロシア語版ドイツ語版)によってバートル・ホンタイジ玄孫であるダワチモンゴル語版、ロシア語版)が擁立された。翌1753年からドルベト部などが清に投降するようになり、1754年にはダワチ不和になったアムルサナーまでも清に投降した1755年、清の乾隆帝この機に乗じてモンゴル軍満州軍動員した大軍ジュンガル進軍させ、わずか100日でタリム盆地逃げ込んだダワチ捕獲しジュンガル帝国滅ぼした清朝四オイラトにちなん帰属しオイラト人々四部分け各部ハーンを置き、アムルサナーは四ハーン一人となった。 しかし、1757年、アムルサナーがこれに不満を抱いてホンタイジ称し印璽勝手に使用して清朝に叛き、独立宣言した同年2月乾隆帝オイラト掃滅絶滅命令発した。アムルサナーは清軍の追撃受けてカザフ中ジュズ逃げ込んだが、ザイサン湖到着した時、天然痘発病しトボリスク死んだ。 清軍は反乱断固とした態度をとり、非戦闘員全て捕獲男性殺害婦女子ハルハ部与えられた。ジュンガル残党はしばしば清軍を襲撃する抵抗どしたが、それを掃討する清軍によって持ち込まれ天然痘により、オイラト人口激減し、特にジュンガル人々はほぼ全滅した虐殺疫病により数十人々死亡したと言われている。 1759年、清はジュンガル平定しジュンガル旧領天山山脈北部接収したその後1762年天山山脈北部イリ将軍府を設置し旗人による軍政敷きウイグル族の住む地域合わせ、「新し土地」を意味するイチェ・ジェチェン(ice jecen、新疆)と呼んだ

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