赤尾津氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/03 08:32 UTC 版)
由利郡赤尾津(現・由利本荘市松ヶ崎、岩城亀田)付近を中心に勢力があった武士団。仁賀保氏と同様に先祖は大井氏と称し、室町中期には小介川氏を称し、1450年(宝徳2年)に幕府から未進年貢等催促の遵行を促されている。所領とした赤尾津は、当時日本海側の主要港として知られていた。大宝寺氏が由利地方をほぼ傘下におさめたときも従わず、安東氏と誼を通じていたという。豊臣秀吉により由利地方で最大の約4,300石の所領を安堵されたと推定されているが 関ヶ原後に改易され、一族は大井氏、池田氏を名乗り最上氏に仕え、最上氏改易後は、一部が佐竹氏に仕えた。なお、後裔で矢島藩に仕えた一族は、小助川を名乗っている。
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