安堵とは? わかりやすく解説

安堵

安堵(あんど)とは、心配や不安が解消されて心が落ち着く状態を指す言葉である。この言葉は、問題解決した後や、期待通り結果得られた時などに用いられるまた、安堵感とも言い、これは安心感満足感といった心の状態を表す表現として使われることが多い。例えば、「試験結果良くて安堵した」や、「無事に帰宅できて安堵感覚えた」などと用いられる。安堵は、人間感情一つであり、その人直面している状況問題解消され時に感じるものである

安堵

読み方:あんど
別表記:安ど

不安や心配が解消されて、ほっとすること。安心すること。「胸をなで下ろす」とも表現する

あん‐ど【安×堵】

読み方:あんど

[名](スル)《「堵」は垣根の意》

気がかりなことが除かれ安心すること。「—の胸をなでおろす」「無事を聞いて—した」

垣根内の土地安心して生活すること。また、その場所。

それより八幡にも—せずなりて、かかる身となりにけるとぞ」〈著聞集一二

中世土地所有権領有権知行権などを幕府・領主が公認したこと。


安堵

読み方:アンド(ando)

安心すること


安堵

読み方:アンド(ando)

中世近世所領所職領有権知行権などを確認あるいは承認すること。


安堵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/15 08:35 UTC 版)

安堵(あんど)とは、日本史において、主人が従者との主従関係や従者のもつ所領知行を承認する行為を指す概念[1]。特に鎌倉後期以降は、その支配領域内人々の規制、所領知行の公的な認定を意味した[1]


  1. ^ a b c d e f g h i j 松園潤一朗「室町幕府安堵の様式変化について」『人文』第8巻、学習院大学人文科学研究所、2010年3月、268-248頁、hdl:10959/1337ISSN 1881-7920CRID 10502826779114981122023年6月15日閲覧 
  2. ^ 近藤成一 「本領安堵と当知行安堵」(初出:石井進 編『都と鄙の中世史』(吉川弘文館、1992年)/所収:近藤『鎌倉時代政治構造の研究』(校倉書房、2016年) ISBN 978-4-7517-4650-9


「安堵」の続きの解説一覧

安堵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 19:04 UTC 版)

関ヶ原の戦いの戦後処理」の記事における「安堵」の解説

所領を安堵された武将は、大別する徳川秀忠による信濃上田城の戦い従軍した徳川氏譜代大名外様、および本戦やその前後において東軍寝返った大名がほとんどを占める。前者秀忠失策公になり、家康大幅な加増を行うのをためらったとも考えられる。ただし程なくして従軍した大名大半は、石高加増恩恵あずかっている。一方後者小早川秀秋寝返り呼応したり、大垣城犬山城守備していたが工作によって降りその後東軍の将として働いた大名達である。敵対の罪を帳消しにするため懸命な奉公行って辛うじて本領の安堵に漕ぎ着けている。 また、親子や一族が対立した陣営についた場合東軍側の戦功重視された。例としては息子生駒一正蜂須賀至鎮東軍についたため、自らは出陣しなかったものの西軍側に兵を送った父親生駒親正蜂須賀家政隠居するだけの処分とどまり本領は安堵されている。 なお、出羽大名転封となっているが、これは反覆観望の咎で常陸より減知転封となった佐竹義宣出羽久保田移封されるため、替地として常陸移封されたものであるまた、松浦鎮信大村喜前2人は「中立とされることが多いが、松浦大村らは加藤清正と共に小西行長居城宇土城攻撃し、その功を賞され安堵が決まった経緯から、便宜上東軍として掲載する武将領地石高(石)合戦での動向備考安藤直次 武蔵国内 1,000 本戦 徳川譜代 生駒一正 讃岐高松 (171,800) 本戦 父・親正は西軍生駒利豊 尾張国内 2,000 本戦 東軍福島正則の陣に属して戦う。戦後幕臣格となり、のち松平忠吉尾張徳川家)に仕官石川貞政 - 2,000 本戦 石川康勝 信濃仁科 15,000 信濃上田城攻撃 石川数正二男石川康次 信濃国内 5,000 信濃上田城攻撃 石川数正三男石川康長 信濃松本 80,000 信濃上田城攻撃 石川数正長男伊東祐慶 日向飫肥 (57,000) 宮崎城攻撃 父・祐兵は西軍伊奈忠次 武蔵小室 13,000 本戦 徳川譜代 猪子一時 摂津近江国内 2,700 本戦 大久保忠隣 相模小田原 65,000 信濃上田城攻撃 徳川譜代 大友義乗 常陸武蔵国内 3,300 信濃上田城攻撃 父・義統は西軍徳川家旗本大村喜前 肥前大村 21,000 肥後宇土城攻撃 小笠原信之 武蔵本庄 10,000 信濃上田城攻撃 徳川譜代 岡部長盛 下総山崎 12,000上杉守備隊 徳川譜代 岡本保真 下野塩谷 1,000上杉守備隊 義保弟。塩谷惣十郎とも。 織田信重 伊勢 10,000 本戦 父・信包は西軍 吉良義定 武蔵国内 3,000 本戦 三河幡豆郡吉良移封桑山重晴 紀伊和歌山 10,000 紀伊新宮城攻撃 二男・元晴は東軍本戦参加孫・一晴は西軍だったが重晴と共に新宮城攻撃参加し所領安堵。 高力忠房 武蔵岩槻 20,000 信濃上田城攻撃 徳川譜代 近藤重勝 越後国10,000 上杉一揆交戦 堀家酒井家次 下総臼井 30,000 信濃上田城攻撃 徳川譜代 榊原康政 上野館林 100,000 信濃上田城攻撃 徳川譜代 佐野信吉 下野佐野 39,000上杉守備隊 菅沼定利 上野吉井 20,000上杉守備隊 徳川譜代 仙石秀久 信濃小諸 57,000 信濃上田城攻撃 子・秀範は西軍滝川一時 下総国内 2,000 本戦 津田信成 山城御牧 13,000 本戦 筒井定次 伊賀上野 200,000 本戦 土岐定義 下総守10,000 信濃上田城攻撃 徳川譜代 戸沢政盛 出羽角館 40,000上杉守備隊 常陸松岡転封南部利直 陸奥盛岡 100,000 上杉景勝交戦 伊達政宗策謀による和賀忠親一揆とも戦う。 蜂須賀至鎮 阿波徳島 (173,000) 本戦 父・家政西軍平野長泰 大和田原本 5,000 本戦 北条氏勝 下総岩富 10,000 三河岡崎城守備 徳川譜代 北条氏盛 河内狭山 11,000 本戦 堀親良 越後蔵王堂 30,000 上杉一揆交戦 秀治堀直政 越後三条 50,000 上杉一揆交戦 堀直寄 越後坂戸 20,000 上杉一揆交戦 直政二男 堀秀重 越後国10,400 上杉一揆交戦 秀治祖父 堀秀治 越後春日山 300,000 上杉一揆交戦 本多忠勝 上総大多喜 100,000 本戦 徳川譜代伊勢桑名転封嫡男・忠政は徳川秀忠従軍本多俊政 大和高取 25,000 本戦 本多正信 相模玉縄 10,000 信濃上田城攻撃 徳川譜代嫡男・正純は本戦参加二男正木左兵衛宇喜多秀家配下西軍本堂茂親 出羽本堂 9,000 上杉一揆交戦 常陸志筑移封 牧野康成 上野大胡 20,000 信濃上田城攻撃 徳川譜代 松浦鎮信 肥前平戸 62,000 肥後宇土城攻撃 松下重綱 遠江久野 16,000 美濃曽根に在陣 松平家信 上総五井 5,000 江戸城留守居 徳川譜代 松平忠利 下総小見川 10,000 徳川譜代、父・家忠は山城伏見城の戦い戦死松平康元 下総関宿 40,000 江戸城留守居 徳川譜代 水野勝成 三河刈谷 30,000 美濃大垣城攻撃 徳川譜代加賀井重望により刺殺された忠重長男水野重央 武蔵国内 7,000 本戦 水谷勝俊 常陸下館 25,000佐竹守備隊 溝口秀勝 越後新発田 60,000 上杉一揆交戦 皆川広照 下野皆川 13,000上杉守備隊 徳川譜代 村上頼勝 越後村上 90,000 上杉一揆交戦 森忠政 信濃川中島 137,000 信濃上田城攻撃 小早川秀秋死後の1603年美作津山186,000石に加増転封

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安堵

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関ヶ原の戦いの戦後処理」の記事における「安堵」の解説

武将領地石高(石)合戦での動向備考秋月種長 日向財部 30,000 美濃大垣城攻撃 大垣城内部木村由信などを謀殺有馬晴信 肥前日野江 40,000 肥後宇土城攻撃 眼病理由宇土城攻めには参加せず嫡男・直純を参加させる稲葉通重 美濃清水 12,000 近江水口城攻撃 叔父稲葉貞通同様に岐阜城陥落時に降伏し以後東軍加藤貞泰 美濃黒野 40,000 美濃大垣城攻撃 犬山城将だったが井伊直政誘いで降る。 相良長毎 肥後人吉 22,000 美濃大垣城攻撃 秋月種長と共に大垣城内で木村由信らを謀殺関一政 美濃多良 30,000 美濃大垣城攻撃 加藤貞泰と共に井伊直政誘い応じ降る。 高橋元種 日向.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}縣(あがた) 50,000 美濃大垣城攻撃 秋月種長と共に大垣城内で木村由信らを謀殺竹中重門 美濃菩提 6,000 本戦 加藤貞泰と共に降る。小西行長捕縛長谷川守知 美濃国内など 10,000 佐和山城諜報活動 内通者。父・宗仁西軍丹後田辺城攻撃参加本戦後の佐和山城の戦い東軍の兵を誘引鍋島直茂 肥前佐賀 357,000 伊勢守備 東軍早くから内応嫡男・勝茂の行軍中止させ家康直ち謝罪柳河城攻撃条件所領安堵。 脇坂安治 淡路洲33,000 本戦 小早川秀秋と共に本戦寝返る

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関ヶ原の戦いの戦後処理」の記事における「安堵」の解説

戦中立場曖昧、あるいは不明ながら所領を安堵された武将以下の通りである。 木下家定秀吉正室高台院の兄であり、豊臣家とは縁の深い人物であった家定は、当初大坂城居留守務めていたが、伏見城の戦いの前頃に大坂離れ、京の高台院屋敷警護兵力集めたまま動くことはなく、戦後家康から高台院警護賞され所領安堵を受けた。これは東軍西軍どちらが勝って家名を残すための行動思われる。 そして家康弾劾状に名を連ねた前田玄以については、合戦時に厳正中立貫いたことや田辺城開城における嗣子前田茂勝働きなどが評価されたのか、本領安堵されている。正確な理由不明であるが西軍加担した五奉行の中で唯一身上全うしている。織田信長豊臣秀吉仕えた玄以は家康力量評価しており、『徳川実紀』にも玄以の家康評が残されている。 武将領地石高(石)合戦での動向備考木下家定 播磨姫路 25,000 高台院警護 息子の内、勝俊・小早川秀秋東軍。利房・延俊・利定は西軍備中足守移封五島玄雅 肥前福江 15,000 在国観望 1603年家康謁し15,000石の所領認め朱印状下賜される。 前田玄以 丹波亀山 50,000 大坂城留守居 嗣子・茂勝は丹後田辺城派遣され後陽成天皇勅使一行供奉開城交渉に当たる。 松前慶広 蝦夷松前 (無高) 在国観望

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安堵

出典:『Wiktionary』 (2021/03/26 11:17 UTC 版)

名詞

  (あんど)

  1. (古)居所安住すること。
  2. 日本史封建領主領地支配権について、将軍などが承認すること。
  3. 安心すること。安らかになること。

対義語


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