ブーゲンビル島とは? わかりやすく解説

ブーゲンビル‐とう〔‐タウ〕【ブーゲンビル島】

読み方:ぶーげんびるとう

Bougainville Islandパプアニューギニア東部の島。地理的にソロモン諸島属す中心地南東部アラワ。ココア・ココヤシや産出第二次大戦中日本軍占領連合軍との激戦地になった。名称は、フランス航海者L=Aブーゲンビル17291811)にちなむ。


ブーゲンビル島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 14:15 UTC 版)

ブーゲンビル島(ブーゲンビルとう、Bougainville Island)は、パプアニューギニアブーゲンビル自治州の島である。島名はフランスの探検家ブーガンヴィルから命名された。




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ブーゲンビル島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 04:38 UTC 版)

ソロモン諸島の戦い」の記事における「ブーゲンビル島」の解説

詳細は「ブーゲンビル島の戦い」を参照 北部ソロモンのブーゲンビル島では日本軍ブイン等に飛行場建設しガダルカナル島の戦いのときはガダルカナル島への中継基地として活用したまた、コロンバンガラ島からの撤退が行われた頃に策定され絶対国防圏構想では、ソロモン方面前衛線はブーゲンビル島とした。アメリカ軍ラバウル向けてさらに前進するためにブーゲンビル島に飛行場を必要としたが、ニュージョージア島攻略苦い経験から、ブーゲンビル島の日本軍飛行場占領せず、同島に新たな飛行場建設することにした。飛行場建設地タロキナ決定し1943年11月1日アメリカ軍は同島のタロキナ岬上陸した日本軍上陸したアメリカ軍対し攻撃第一次タロキナ攻撃)を行った失敗終わり12月タロキナ飛行場完成したアメリカ軍以後それまで大きく上回る規模ラバウル空襲行った翌年3月日本軍は再びタロキナ攻撃第二次タロキナ攻撃)したがこれも失敗し以後日本軍食糧不足熱帯病のためその状況は「墓島」と呼ばれるものになった戦闘オーストラリア軍による掃討日本軍抵抗)は終戦まで続き日本軍1945年9月3日降伏した

※この「ブーゲンビル島」の解説は、「ソロモン諸島の戦い」の解説の一部です。
「ブーゲンビル島」を含む「ソロモン諸島の戦い」の記事については、「ソロモン諸島の戦い」の概要を参照ください。

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