ガダルカナル島の戦いとは? わかりやすく解説

【ガダルカナル島の戦い】(がだるかなるじまのたたかい)

太平洋戦争(大東亜戦争)において、1942年8月以降日本軍アメリカ軍の間で、西太平洋ソロモン諸島ガダルカナル島支配権巡って生起し一連の戦闘

概要

1942年6月初めに勃発したミッドウェー海戦で、連合艦隊壊滅的打撃を蒙ったことにより、日本海上航空戦力大幅に失った
この大敗受けて大本営は、今後守勢となるであろう戦局に対応すべく、ソロモン諸島における制空権確保為にニューブリテン島ラバウル基地以南前哨基地建設する事を考案する
そして同月中にガダルカナル島での飛行場建設正式に決定した

同年8月アメリカ軍日本軍飛行場建設しているガダルカナル島上陸、同島の海岸線を占拠した
対す大本営は島の奪回命令10月末までに3次にわたる陸上兵力による攻撃実施された。
しかし兵站に勝るアメリカ軍前にいずれも失敗に終わる。
加えて物資不足に兵士等のマラリア感染などが重なって翌年1943年2月日本軍撤退しガダルカナル島アメリカ軍占領された。

関連東京急行 

結果

この島での攻防戦を境に戦局アメリカ軍優勢確定する
この間にも日本軍ソロモン海戦南太平洋海戦といった海戦航空戦戦力消耗している。
その結果制空権及び制海権アメリカ軍奪われ、更に補給線断ち切られた事で多く餓死者、病死者を出す羽目陥る
度重なる消耗戦経て陸海空全域における戦力大幅に欠損し日本軍以後連合国軍対す大規模な攻勢をかける事が不可能になった。


ガダルカナル島の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/20 09:08 UTC 版)

ガダルカナル島の戦い(ガダルカナルとうのたたかい、: Battle of Guadalcanal)は、第二次世界大戦において1942年8月以降日本軍連合軍が西太平洋ソロモン諸島ガダルカナル島を巡って繰り広げた戦いである。ミッドウェー海戦と共に太平洋戦争における攻守の転換点となった。日本側は激しい消耗戦により、戦死者だけでなく兵員に多数の餓死者を発生させたうえ、軍艦航空機、燃料、武器等多くを失った。


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  8. ^ Tucker 2014, p. 213
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  10. ^ Frank, pp. 598–618; and Lundstrom, p. 456. 第一次ソロモン海戦でオーストラリア兵85人が死亡。ソロモン諸島住民の死者数は不明。残りの死者の多くはアメリカ人である。数字には戦闘、疾病、事故などあらゆる原因を含む。死者の内訳は地上部隊1,768人、海上4,911人、航空420人。南太平洋海戦ではアメリカの航空兵4人が日本軍の捕虜となり、戦後まで生き残った。ほかのアメリカ軍兵士(陸海空を合わせて)の捕虜数は日本側記録でも不明だが、いずれも生き残らず、死亡の時期や原因もほとんどが不明である(Jersey, pp. 346, 449)。捕獲した日本軍の文書によると、捕虜となった2人の海兵隊斥候は日本陸軍の軍医によって木に縛り付けられ、生きたまま解剖されたという (Clemens, p. 295)。軍艦の損失には軍艦と大型の特務艦を含む。航空機の損失には戦闘と事故の両方を含む。
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「ガダルカナル島の戦い」の続きの解説一覧

ガダルカナル島の戦い(11月まで)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/17 02:46 UTC 版)

村雨 (白露型駆逐艦)」の記事における「ガダルカナル島の戦い(11月まで)」の解説

8月24日以降第二次ソロモン海戦では、第2駆逐隊村雨春雨五月雨)の3隻で長門型戦艦2番陸奥護衛した9月8日村雨特設水上機母艦國川丸護衛してショートランド泊地進出ブーゲンビル島ブイン飛行場建設のための資材設営隊揚陸した。9月10日東方哨戒隊(村雨國川丸)としてショートランド泊地出撃サンタクルーズ諸島北東400附近行動して飛行哨戒実施前進部隊第二艦隊)や南雲機動部隊側面警戒した9月11日國川丸所属零式観測機2機が.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}南緯0140東経160度00分 / 南緯1.667度 東経160.000度 / -1.667; 160.000地点飛行艇1機を撃墜村雨搭乗員8名を捕虜とする。同日午後村雨前進部隊合流國川丸護衛任務姉妹艦春雨交替した。また村雨重巡愛宕前進部隊指揮官近藤信竹第二艦隊司令長官座乗)に飛行艇搭乗員8名を引き渡した9月17日、第2駆逐隊第1小隊村雨五月雨)は特別奇襲隊となり、前進部隊から分離してヌデニ島向かった9月19日夜にヌデニ島到着アメリカ軍艦艇飛行艇部隊捜索した敵影はなく、引き揚げた。20日連合艦隊第四水雷戦隊大部分國川丸外南洋部隊第八艦隊編入発令する第四水雷戦隊由良時雨白露)は22日ショートランド泊地進出、第2駆逐隊村雨五月雨春雨)は前進部隊と共にトラック泊地帰投したあと、輸送船団護衛して9月下旬までにショートランド泊地進出した10月2日、第9駆逐隊司令佐藤康夫大佐司令駆逐艦朝雲指揮下の駆逐艦5隻(朝雲夏雲峯雲村雨春雨)は零式水上観測機少数援護を受け、ガ島輸送成功した10月5日佐藤司令指揮駆逐艦6隻(朝雲夏雲峯雲村雨春雨夕立)はショートランド泊地出撃午後3時過ぎ、急降下爆撃機SBDドーントレス9機の空襲により、まず峯雲至近弾を受け浸水により速力低下夏雲峯雲護衛して避退した。つづいて村雨至近弾による浸水被害を受け、負傷者10数名速力21ノット低下し揚陸断念して避退した。佐藤司令ひきつづき3隻(朝雲夕立春雨)を率いてガ島突入揚陸無事に完了した。なお米軍は駆逐艦1隻撃沈、1隻大破(おそらく沈没)を報告している。10月6日朝、夏雲峯雲ショートランド帰投した。増援部隊指揮官橋本信太郎第三水雷戦隊司令官は、損傷した2隻(村雨峯雲)のラバウル回航指示する村雨トラック泊地応急修理をすませ戦線復帰したが、峯雲長期修理余儀なくされ、夏雲10月12日サボ島沖海戦沈没、第9駆逐隊健在艦は朝雲のみとなった10月12日夕刻第四水雷戦隊司令官高間少将大規模輸送作戦そなえて秋月型駆逐艦1番艦秋月移乗し第四水雷戦隊旗艦とした。村雨トラック泊地からショートランド泊地直行し13日17時到着その後ラバウルショートランド出撃した護衛部隊・輸送船団合流してガダルカナル島向かった10月14日増援部隊指揮官橋本信太郎第三水雷戦隊司令官指揮下のもと、軽巡3隻(川内由良龍田)と駆逐艦4隻(朝雲白雪、暁、)は、それぞれガダルカナル島への揚陸成功翌日、四水戦秋月村雨五月雨夕立春雨時雨白露有明)等の護衛による輸送船団6隻は、アメリカ軍機の空襲輸送船3隻(笹子丸、九州丸、吾妻山丸)が座礁するかろうじて輸送任務成功した。だが日中アメリカ軍艦砲射撃空襲により、揚陸地点集積されていた物資大部分焼き払われてしまった。 10月16日連合艦隊水上機母艦日進千歳千代田)による輸送をやめ、軽巡洋艦及び駆逐艦での輸送下令した。高間少将秋月水雷戦隊旗艦として、第1小隊:第9駆逐隊朝雲)・第11駆逐隊白雪)・第6駆逐隊(暁、)、第2小隊:第2駆逐隊村雨夕立春雨五月雨)、第3小隊:第19駆逐隊浦波敷波綾波)、第4小隊第27駆逐隊時雨白露有明)を指揮する17日午前2時以降ショートランド泊地出撃した軽巡戦隊川内由良龍田)と水雷戦隊は、同日午後10時ガダルカナル島到着駆逐艦2隻(時雨村雨)が警戒及び陸上砲撃を行う中、各艦・各部隊陸軍兵2159名、大砲18門、軍需物資揚陸成功した由良アメリカ潜水艦グランパス)から発射した魚雷1本が命中だったが、不発のため損害軽微だった。 詳細は「由良 (軽巡洋艦)#沈没」を参照 10月24-25日、南太平洋海戦および陸軍ガダルカナル第二次総攻撃の際、第四水雷戦隊秋月旗艦〕、由良村雨春雨五月雨夕立)は陸軍支援のためガダルカナル島ルンガ泊地突入すべく行動開始した先行して泊地突入した突撃隊指揮官山田勇助大佐/兼第6駆逐隊司令 駆逐艦3隻《暁、白露》)に続行してツラギ北方(インディスパンサブル海峡)を通過中、米軍機による攻撃を受ける。10月25日午前10時55分、SBDドーントレス急降下爆撃により由良命中弾を受け速力低下秋月至近弾を受けた秋月最大発揮速力23ノット低下第二攻撃隊は北方への退避開始するドーントレスF4Fワイルドキャット戦闘機B-17爆撃機による波状攻撃をうけて由良復旧見込みなくなり第2小隊春雨夕立)により処分され午後7時沈没秋月は各艦が救助した由良乗組員収容すると、旗艦村雨移譲し撤退開始したその後第四水雷戦隊旗艦村雨から朝潮型駆逐艦朝雲移った

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ガダルカナル島の戦い(11月以降)

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村雨 (白露型駆逐艦)」の記事における「ガダルカナル島の戦い(11月以降)」の解説

11月上旬橋本信太郎三水司令官指揮下の外南洋部隊増援部隊全力ガ島輸送作戦実施する11月1日三水司令官重巡衣笠」に将旗掲げた同日夜、甲増援隊(朝雲《四水戦旗艦》、軽巡天龍》、駆逐艦村雨春雨夕立時雨白露有明夕暮、暁、》)、第一攻撃隊(巡洋艦衣笠川内》、駆逐艦天霧初雪》)、乙増援隊は順次ショートランド泊地出撃した。白雪艦底触接して多少浸水被害受けたほか、揚陸地点悪天候により艦載艇多数喪失物資一部揚陸できなかった。 11月4日増援部隊指揮官三水司令官)は戦力再編将旗衣笠から駆逐艦浦波移し天龍加えた増援隊を直率する。同日深夜、甲増援隊(朝雲旗艦》、村雨春雨夕立時雨白露有明夕暮朝潮満潮)、乙増援隊(浦波三水司令官旗艦》、敷波綾波白雪望月天龍)はショートランド泊地出撃5日揚陸成功し各艦ともに損害はなかった。ショートランド泊地帰投後、三水司令官川内移動し外南洋部隊増援部隊指揮官職務第二水雷戦隊司令官田中頼三少将引き継いだ6日夕刻川内以下第三水雷戦隊各艦はトラック泊地向かった11月7日高間(四水戦司令官)少将旗艦駆逐艦朝雲から軽巡天龍変更となった。第9駆逐隊司令旗艦朝雲指揮下の乙増援隊(警戒隊《朝雲望月》、輸送隊村雨夕立時雨白露夕暮朝潮満潮》)は同日深夜ショートランド泊地出撃8日夜半揚陸成功被害望月アメリカ軍魚雷艇発射した魚雷1本が命中不発)のみである。11月9日前進部隊指揮官第二艦隊長官)は第四水雷戦隊対し原隊への復帰と、飛行場砲撃を行う第十一戦隊の警戒隊として同戦隊指揮下に入るよう命じた。四水戦旗艦天龍から朝雲戻った詳細は「第三次ソロモン海戦」を参照 11月12日第四水雷戦隊朝雲村雨五月雨夕立春雨)は、ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場対す戦艦艦砲射撃企図する挺身攻撃隊(指揮官第十一戦隊司令官阿部弘毅少将金剛型戦艦2隻《比叡霧島》)を護衛してアイアンボトム・サウンド進入した。だがスコールの中で幾度も針路変更したため、寄せ集め部隊挺身攻撃隊は陣形乱した金剛型戦艦2隻の前方警戒を行うはずの第四水雷戦隊は3隻(朝雲、第2駆逐隊第1小隊村雨五月雨》)と、第2駆逐隊第2小隊夕立春雨)の二群に分離し、四水戦3隻が旗艦比叡」の近距離航行第2小隊夕立春雨)が挺身攻撃前方突出する格好になった挺身攻撃隊(比叡霧島長良雪風天津風、暁、、電、照月)を待ち構えていたアメリカ軍巡洋艦部隊指揮官ダニエル・J・キャラハン少将)の誤判断第2小隊夕立春雨)の突入により第三次ソロモン海戦第一夜戦生起海戦史上まれに見る大混戦となり、両軍とも大きな被害受けた五月雨率いて旗艦朝雲続行していた村雨魚雷7本を発射3本命中により敵巡洋艦轟沈認定された。だが村雨にも高角砲弾1発が命中し機関部損傷受けた。そのため村雨13日比叡護衛や、五月雨参加した14日第三次ソロモン海戦第二夜戦には加わらなかった。本戦闘で乗組員5名が負傷したまた、春雨分離後も単艦で米艦隊突入した夕立損傷して航行不能となり、五月雨雷撃処分放棄)されたあと米重巡洋艦砲撃沈没し、第2駆逐隊から初めての沈没艦となった11月18日、四水戦各艦はトラック泊地帰投した。21日、四水戦旗艦長良型軽巡洋艦長良変更22日僚艦五月雨日進隊(日進高雄と共に内地出発春雨は既にニューギニア戦線投入されていたため、トラック泊地の第2駆逐隊村雨1隻となった28日駆逐艦2隻(村雨初雪)はブイン基地派遣されていた空母飛鷹航空隊撤収命じられた。29日、2隻(村雨初雪)はトラック泊地出発12月1日ラバウル立ち寄り輸送物件搭載2日ショートランド泊地到着して飛鷹基地物件収容4日、2隻(村雨初雪)はトラック帰投飛鷹物件を移載して任務終了した12月8日、第2駆逐隊司令駆逐艦春雨から村雨戻ったガダルカナル島激戦が続く一方日本軍ニューギニア方面作戦進展させるためニューギニア島北岸マダンウェワク占領して飛行場設置しラエモロベ州州都)、サラモア対す後方基地として強化することにした(「ム」号作戦)。だがポートモレスビー連合軍基地から激し空襲を受ける可能性があり、外南洋部隊指揮官三川軍一第八艦隊司令長官ウエワク攻略部隊の上警戒のため、第二航空戦隊司令官角田覚治少将空母隼鷹》)と護衛部隊(阿賀野型軽巡洋艦阿賀野》、駆逐艦3隻《磯風浜風村雨》)を派遣した12月13日附で第二航空戦隊第十戦隊各部隊南東方面部隊編入ウェワク攻略部隊駆逐艦巻雲夕雲風雲》、輸送船清澄丸》)は12月16日12時ラバウル出撃マダン攻略部隊軽巡天龍》、駆逐艦4隻《荒潮涼風磯波、電》、輸送船2隻《愛国丸、護国丸》)は同日18時にラバウル出撃した。母艦航空部隊隼鷹阿賀野磯風浜風村雨)もトラック泊地出撃、同部隊援護受けたウェワク攻略部隊は、特に大きな戦闘もなく18日夜にウェワク揚陸成功した一方マダン攻略部隊12月18日空襲護国丸中破アメリカ潜水艦アルバコア雷撃天龍喪失した12月20日第二航空戦隊および第十戦隊各艦は前進部隊指揮官近藤信竹中将)への復帰下令された。同日村雨トラック泊地到着した12月21日長良内地帰投にともない第四水雷戦隊旗艦村雨変更される24日五月雨トラック泊地帰着30日司令駆逐艦五月雨変更1943年昭和18年1月中旬より、村雨大鷹型航空母艦3番冲鷹護衛任務従事した8日駆逐艦2隻(朝雲時雨)に護衛され冲鷹トラック泊地到着した1月10日、3隻(冲鷹村雨第四水雷戦隊旗艦〕、浦波)はトラック泊地出発1月12日ニューアイルランド島カビエン北方駆逐艦秋風合同し基地人員物件を移載。13日冲鷹搭載航空機発艦させ、14日トラック帰着燃料補給後の3隻はただちにトラック出発20日横須賀帰投村雨整備補修および対空火器換装毘式四十粍機銃九六式二十五粍高角機銃換装)等を実施28日により浦賀船渠入渠した。

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ガダルカナル島の戦い(8月)

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江風 (白露型駆逐艦)」の記事における「ガダルカナル島の戦い(8月)」の解説

8月7日連合軍ウォッチタワー作戦発動してガダルカナル島フロリダ諸島上陸開始、ガダルカナル島の戦いがはじまった8月11日、第24駆逐隊海風江風涼風)はその他の艦艇と共に横須賀出港本艦は第9駆逐隊朝雲夏雲峯雲)と行動を共にし、前進部隊第二艦隊本隊との合同目指した。また僚艦2隻(海風涼風)は千歳型水上機母艦千歳」を護衛した8月16日陸軍一木支隊先遣隊乗せた駆逐艦6隻がトラック出撃してガダルカナル島向かったまた、同日一木支隊残りを運ぶ船団トラックより出撃した。第二十四駆逐隊8月17日トラック到着即日出撃し、翌日船団合流したまた、第二十四駆逐隊8月17日外南洋部隊編入されている。8月20日、「江風」はガダルカナル島方面行動中の駆逐艦陽炎」との交替命じられた。しかし、ガダルカナル島飛行場への敵機進出の報により、翌日には「江風」はオントンジャワ環礁南西40付近での待機となった同日ガダルカナル島への増援補給のためと思われる輸送船団発見により、「江風」とレカタにあった駆逐艦夕凪」にその攻撃命じられた。だが、「夕凪」は波浪大のため高速出せ間に合わないことから、「江風単独での突入となった。「江風」は8月22日1時(日本時間)にルンガ泊地着き、2時に駆逐艦2隻(アメリカ駆逐艦ブルー」と「ヘンリー」)を発見して魚雷6本、砲弾6発を発射した。この攻撃で「ブルー」に魚雷1本が命中。「ブルー」は処分されている。攻撃後、北上中にアメリカ軍機2機に襲撃され重傷者1名を出したが、「行動関し指令を乞ふ」と発信した若林艦長至急入院要する状態)に対し宇垣纏連合艦隊参謀長は『中佐艦長にして何たる覚悟ぞ』と賞賛している。その後、「江風」は「夕凪」と合流して燃料補給を行うべくショートランド諸島ショートランド泊地)へ向かった

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ガダルカナル島の戦い(9月)

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江風 (白露型駆逐艦)」の記事における「ガダルカナル島の戦い(9月)」の解説

1942年昭和17年8月下旬から9月にかけて、第24駆逐隊海風江風涼風)は外南洋部隊第八艦隊)に所属し駆逐艦によるガダルカナル島への高速輸送作戦鼠輸送』に従事した8月27日ガ島揚陸予定部隊徹夜輸送船2隻から駆逐艦3隻(海風江風磯風)に移乗し、第24駆逐隊司令村上暢之助大佐指揮のもと、同日5時30分ショートランド泊地出撃する陽炎12番艦「磯風」は第17駆逐隊所属だが、臨時に第24駆逐隊指揮下に入った。しかし川口支隊第20駆逐隊便乗中)との合流めぐって混乱生じ上級部隊命令従い24駆逐隊ショートランド泊地引き返した17時30分着)。8月28日増援部隊指揮官田中頼三第二水雷戦隊司令官は、旗艦重巡衣笠」に変更午前6時、第24駆逐隊海風江風磯風)はショートランド泊地出撃してガ島向かい、また北方からも第20駆逐隊天霧朝霧夕霧白雲)が南下してガ島揚陸目指す。だが第20駆逐隊アメリカ軍機の空襲大損害(朝霧沈没夕霧白雲大破駆逐隊司令山田雄二大佐江風初代艦長戦死)を受け、救援のために駆逐艦陽炎」が派遣された。航空支援がない限り揚陸成功見込みなしと判断した村上24司令は「本日揚陸断念シ引返ス、28日1925」を打電し独断反転する田中司令官駆逐艦輸送作戦消極となったが、外南洋部隊第八艦隊司令部は『「カ」号作戦駆逐艦を以て陸兵輸送し任務強行する今更方法なきを以て引続き既定方針決行せしめらるる方針なり』を通知した8月29日、「磯風」で発電機故障発生したため輸送作戦参加できなくなり駆逐艦5隻(第24駆逐隊海風江風》、第11駆逐隊初雪吹雪白雪》)はガ島揚陸作戦実施することになった陸兵揚陸には成功したが、第24駆逐隊司令撃滅命じられていたルンガ泊地方面アメリカ軍艦艇輸送船2隻、巡洋艦1隻、駆逐艦2隻)を攻撃することなく帰途につき、上級司令部激怒させた。8月31日午前6時第三水雷戦隊司令官橋本信太郎少将指揮下の三水戦各艦(軽巡洋艦川内、第19駆逐隊浦波敷波》)がショートランド泊地到着これをもって田中二水司令官増援部隊指揮官更迭され発令8月29日)、駆逐艦夕霧」に乗艦してトラック泊地戻った以降橋本三水司令官軽巡川内旗艦として、ガダルカナル島への輸送作戦指揮するこの間、第24駆逐隊司令指揮下の8隻(海風江風涼風陽炎初雪吹雪白雪天霧)はガ島への輸送作戦実施し2130分に川口清健陸軍少将川口支隊長)を含む陸兵1200名の揚陸成功9月1日ショートランド泊地戻った9月4日陸軍青葉支隊ガ島輸送するため、増援部隊各隊ショートランド泊地出撃輸送隊浦波隊《浦波敷波有明》、夕立隊《夕立初雪叢雲》)と川内隊(川内海風江風涼風)は21時から23時にかけてガ島揚陸実施する川内隊は陸軍部隊大発動艇輸送作戦舟艇機動)を掩護する役目与えられており、4日深夜から5日午前1時頃まで掩護実施した。また夕立隊はルンガ泊地突入してアメリカ軍輸送駆逐艦2隻を撃沈する宇垣纏連合艦隊参謀長は『曩の二十四駆隊司令比し雲壌の差あり。矢張り攻撃精神旺盛なるものはよく勝を収む』と戦藻録記載し夕立指揮官吉川潔中佐夕立駆逐艦長)を絶賛している。9月5日附で駆逐艦4隻(海風江風涼風夕立)および山陽丸外南洋部隊第八艦隊)に編入された。 9月7日駆逐艦5隻(海風江風涼風初雪叢雲)はガ島揚陸作戦実施した本作戦における各艦は大発動艇曳航していたが、波浪為に上手くいかなかった。第24駆逐隊揚陸成功後、ルンガ泊地突入した敵艦艇を発見できず、対地砲撃実施したのち、9月8日14時帰投した(アメリカ軍によるとYPボート1隻炎上)。7日揚陸により、川口一木支隊輸送終了。また村上大佐は9月2日附で第24駆逐隊司令更迭され、新司令中原義一郎中佐陽炎10番艦「時津風駆逐艦長)は9月10日着任した9月9日、第24駆逐隊海風江風涼風)はフロリダ諸島ツラギ湾内)に敵輸送船6隻発見偵察報告受けてガ島突入哨戒艇1隻を撃破した輸送船団存在しなかった。ツラギ陸上砲台から砲撃されたが、被害なく無事に帰投した。9月11日駆逐艦3隻(海風江風夕立)は陸軍青葉支隊ガ島輸送実施悪天候悩まされつつ揚陸完了した9月13日ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場対す日本陸軍総攻撃呼応して外南洋部隊支援行動にあたる。主隊・支援隊(鳥海青葉古鷹衣笠天霧)等は囮船団と共に適宜行動し奇襲隊(川内敷波吹雪涼風)、陽炎隊(陽炎白雪)、第7駆逐隊(漣、潮)、第19駆逐隊部隊浦波叢雲夕立)、第24駆逐隊海風江風)もガダルカナル島向かった。しかし日本軍飛行場占領失敗し駆逐隊海風江風浦波叢雲夕立)は対地砲撃実施したあと帰途についたガ島戦局に不安を感じた日本陸軍第十七軍は、輸送船佐渡丸(護衛駆逐艦嵐)に乗船してソロモン諸島到着した陸軍青葉支隊ガ島投入決定する奇襲部隊指揮官橋本三水司令官は、増援輸送ガ島突入をかねて部隊編成駆逐艦4隻(漣、潮、吹雪涼風)は14日夜にルンガ泊地突入した続いて奇襲隊(川内海風江風浦波敷波、嵐、叢雲白雪)もガ島へ向かうが、ヘンダーソン飛行場占領という事態をうけて「川内」はショートランド泊地帰投駆逐艦部隊のみて揚陸実施した川口支隊攻撃失敗により外南洋部隊各隊・各艦はラバウルショートランド泊地帰投し、奇襲隊も増援部隊という区分戻された。 9月中旬日本軍ガダルカナル島対す増援輸送強化することになった9月18日増援部隊指揮官アメリカ軍輸送船団ルンガ泊地侵入情報により直率隊(川内浦波白雪叢雲浜風)による出撃決意し同時に有賀幸作第4駆逐隊司令駆逐艦4隻(嵐、海風江風涼風)によるガ島輸送命じた幾度か計画変更の末、輸送隊18日夜のガ島揚陸成功したこの頃ソロモン諸島月明期に入ったため、アメリカ軍機による夜間空襲を受ける可能性高まっていた。9月24日中原義一郎24司令指揮下の駆逐艦4隻(白露型3隻《海風江風涼風》、陽炎型《浦風》)は、陸兵道路構築用の土木用具搭載してガ島へ向かうが、アメリカ軍機の夜間空襲受けて揚陸断念する至った。この戦闘で、駆逐艦2隻(海風浦風)が小破増援部隊鼠輸送一時中止至った再開10月1日より)。9月26日、第17駆逐隊谷風浦風浜風磯風)と第24駆逐隊海風江風涼風)は外南洋部隊第八艦隊)から除かれた。また同日附で第二水雷戦隊旗艦も、川内型軽巡2番艦「神通」から長良型軽巡洋艦2番艦「五十鈴」に変更されている。前進部隊第二艦隊第二水雷戦隊)に復帰した24駆逐隊は、順次トラック泊地戻った10月10日までトラック泊地待機次期作戦準備をおこなう。

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ガダルカナル島の戦い(10月以降)

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江風 (白露型駆逐艦)」の記事における「ガダルカナル島の戦い(10月以降)」の解説

10月11日二水司令官田中頼三少将指揮する第二水雷戦隊軽巡洋艦五十鈴二水戦旗艦》、第15駆逐隊親潮黒潮早潮》、第24駆逐隊海風江風涼風》、第31駆逐隊高波巻波長波》)はガダルカナル島ヘンダーソン飛行場対し艦砲射撃実施予定第三戦隊(金剛型戦艦金剛榛名》〔司令官栗田健男中将海兵38期〕)を護衛してトラック出撃対すアメリカ軍10月11日-12日サボ島沖海戦勝利して外南洋部隊支援隊(第六戦隊)を撃退したが、大小損害受けて消耗した艦隊指揮官ノーマン・スコット少将)もガ島海域から撤収した10月13日から14日にかけての深夜行われたヘンダーソン基地艦砲射撃で、第15駆逐隊・第24駆逐隊第三戦隊(金剛榛名)の直衛、第31駆逐隊警戒隊、応援派遣された第19駆逐隊ガ島ルッセル諸島哨戒隊として行動長波アメリカ軍魚雷艇撃退したヘンダーソン飛行場かなりの損害受けたが、航空機42機とB-17重爆6機、さらに日本軍知らなかった新造滑走路戦闘機用)が健在だったこのため第四水雷戦隊司令官高間少将旗艦秋月、第2駆逐隊村雨五月雨夕立春雨》、第27駆逐隊時雨白露有明夕暮》)が護衛してした高速輸送船団吾妻山丸、南海丸九州丸、佐渡丸、笹子丸、埼戸丸)は、10月15日ガ島揚陸中に空襲を受け輸送船3隻を喪失揚陸した物資大部分焼き払われてしまった。 10月26日南太平洋海戦における第二水雷戦隊は、前進部隊指揮官近藤信竹第二艦隊司令長官旗艦愛宕)に所属し第四戦隊愛宕高雄)、第三戦隊(金剛榛名)、第五戦隊妙高摩耶)、第二航空戦隊司令官角田覚治少将空母隼鷹と共にアメリカ軍機動部隊交戦した11月上旬第二水雷戦隊ショートランド泊地進出し5日附で田中少将二水司令官)は橋本信太郎少将三水司令官)より増援部隊指揮官職務引き継ぐ第二水雷戦隊は再びガダルカナル島への強行輸送作戦従事することになった11月6日深夜、甲増援隊(第15駆逐隊親潮早潮陽炎》、第24駆逐隊海風江風涼風》、第31駆逐隊巻波高波長波》、第10駆逐隊夕雲風雲》)はショートランド出撃途中でアメリカ軍機の空襲を受け、駆逐艦2隻(高波長波)が若干損傷受けた輸送隊深夜にタサファロング沖に到着して糧食降ろし傷病兵便乗者を乗せて帰投した。 11月13日以降増援部隊早潮田中司令官座乗》、親潮陽炎海風江風涼風高波巻波長波天霧望月)は輸送船11隻を護衛しガダルカナル島向かった第三次ソロモン海戦)。だがアメリカ軍機の波状攻撃を受け輸送船6隻が沈没、1隻が大破して駆逐艦2隻(天霧望月護衛下で退避する江風沈没輸送船より生存者550名を救助した田中司令官残存輸送船4隻と駆逐艦9隻を指揮してガ島への進撃続行11月15日未明輸送船4隻(廣川丸、山浦丸、鬼怒川丸、山東丸)はガダルカナル島タサファンログ泊地座礁揚陸強行するが、アメリカ軍機と米艦艇攻撃全滅した増援部隊各艦は15日22時になりショートランド泊地戻った第三次ソロモン海戦勝利により、ガダルカナル島への日本軍増援阻止した連合軍は、パプアニューギニアブナ地区上陸作戦敢行反攻乗り出した外南洋部隊第三次ソロモン海戦終えて帰投たばかりの各艦・各隊対しブナ方面増援輸送下令南東方面は、従来ガダルカナル島加え東部ニューギニア方面でも連合軍対処せまられる。外南洋部隊指揮官三川軍一第八艦隊司令長官麾下艦船ラバウル回航下令し、第24駆逐隊ラバウル回航された。11月18日第8駆逐隊司令指揮下の駆逐艦部隊朝潮江風海風)でブナ輸送作戦実施中B-17爆撃を受け「海風」が大破、「江風」も損傷した。「海風」は「朝潮」に曳航されてラバウル戻り本艦は単艦でラバウル戻ったこのためラバウル停泊中だった第15駆逐隊2隻(親潮陽炎)が海風救援のため出動している。 11月25日中原(第24駆逐隊司令)は司令駆逐艦を「海風」から「江風」に変更11月28日附で、江風駆逐艦長柳瀬善雄少佐柳瀬10月30日まで神風型駆逐艦6番艦追風駆逐艦長)に交代した詳細は「ルンガ沖夜戦」を参照 11月30日、第24駆逐隊江風涼風)はルンガ沖夜戦参加する第二水雷戦隊司令官田中頼三少将旗艦長波)の指揮下、駆逐艦8隻(長波高波黒潮親潮陽炎巻波江風涼風)という戦力で、輸送任務のためガダルカナル島突入第二輸送隊江風涼風)も魚雷発射して艦隊撃破貢献単縦陣江風長波涼風)で戦場離脱した日本側は駆逐艦1隻(高波)が沈没しアメリカ側重巡ノーザンプトン喪失重巡3隻(ミネアポリスペンサコラニューオーリンズ)も大破という損害だった。一方でドラム罐輸送作戦自体失敗し外南洋部隊第二次ドラム罐輸送作戦を行うよう指導する12月3日田中二水司令官長波指揮下、第二次輸送作戦親潮黒潮陽炎巻波長波江風涼風、嵐、野分夕暮)が実施されるが、「巻波」が空襲により損傷した投下ドラム罐1500個のうち回収されたのは310個だった。 12月7日午前11時、第15駆逐隊司令佐藤寅治大佐黒潮座乗)の指揮下、駆逐艦11隻(嵐、野分長波親潮黒潮陽炎浦風谷風江風涼風有明)による第三次輸送作戦実施されるが、午後4時以降空襲で「野分」が被弾し航行不能となる。駆逐艦4隻(野分長波野分曳航担当〕、嵐、有明)がショートランド引き返した健在だった駆逐艦部隊ガ島附近アメリカ軍魚雷艇航空機迎撃されて引返し輸送作戦失敗した詳細は「照月 (駆逐艦)」を参照 ガダルカナル島戦況悪化する一方であり、山本五十六連合艦隊司令長官は「今次駆逐艦輸送期待スルトコロメテナリアラユル手段ヲ講ジ任務達成ニ努メヨ」と訓示する。12月11日1330分、田中司令官最新鋭秋月型駆逐艦2番艦「照月」を旗艦とし、警戒隊(照月、嵐、長波江風涼風)、輸送隊陽炎黒潮親潮谷風浦風有明)、合計駆逐艦11隻という戦力揃えてショートランド泊地出撃した。ガダルカナル島揚陸中、外側哨区警戒隊だった第24駆逐隊江風涼風)はアメリカ軍魚雷艇2隻撃沈・1隻大破擱座報告した。だが警戒隊(長波、嵐、照月)は魚雷艇雷撃を受け、被雷した「照月」は沈没旗艦長波変更)。輸送作戦成功したとはいえず、この戦闘最後に田中司令官地上勤務まわされた。 12月21日駆逐艦2隻(江風有明)は輸送船宏山丸を護衛してコロンバンガラ方面輸送ニュージョージア島ムンダ)を実施ムンダ飛行場設営強化協力したが、同基地は常に激し空襲さらされ効果的な基地にはならなかったという。12月30日新任第二水雷戦隊司令官として小柳冨次少将着任し駆逐艦長波」に将旗掲げた

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ガダルカナル島の戦い(八月〜九月)

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川内 (軽巡洋艦)」の記事における「ガダルカナル島の戦い(八月九月)」の解説

8月24日第三水雷戦隊川内天霧夕霧朝霧白雲)は輸送船2隻(佐渡丸、浅香山丸、〔指揮官川口清健陸軍少将川口支隊主力5000名〕)を護衛してトラック泊地出撃ガ島にむけて南下開始した同時期に生起し第二次ソロモン海戦日本海軍空母龍驤駆逐艦睦月輸送船金龍丸を喪失輸送船団護衛していた姉妹艦神通第二水雷戦隊旗艦)も中破した(トラック泊地回航)。輸送船団によるガ島突入中止され駆逐艦による強行輸送作戦がはじまる。上層部命令受けて第20駆逐隊天霧朝霧夕霧白雲)は輸送船佐渡丸、浅香山丸)から陸兵受け入れると、川内分離先行してガ島突入目指す。だがショートランド諸島ショートランド泊地)からガ島突入企図する24駆逐隊海風江風磯風)との合同作戦手間取るうち、8月28日空襲を受け朝霧沈没夕霧白雲大破駆逐隊司令山田雄二大佐戦死第20駆逐隊大打撃受けてしまった(10月1日附で解隊)。川内輸送船2隻(佐渡丸、浅香山丸)を護衛し、一旦ラバウル向かった増援部隊指揮官田中頼三第二水雷戦隊司令官重巡衣笠臨時旗艦としてブーゲンビル島ブイン近くショートランド諸島ショートランド泊地)から指揮とっていたが、作戦方針めぐって陸軍第八艦隊司令長官三川軍一中将)と対立した8月31日午前8時、第三水雷戦隊川内、第19駆逐隊浦波敷波》および第17駆逐隊浦風谷風》)がショートランド泊地到着これをもって田中少将増援部隊の任務解かれ第三水雷戦隊司令官橋本信太郎少将がその任を引き継いだ。 これ以降川内ソロモン諸島活動行った第三水雷戦隊基幹とする増援部隊ブーゲンビル島ショートランド泊地からガダルカナル島への強行輸送作戦鼠輸送/東京急行)に従事した9月4日増援部隊指揮官直率隊(川内海風江風涼風)、夕立隊(夕立初雪叢雲)、浦波隊(浦波敷波有明)はガ島輸送のため、それぞれショートランド泊地出撃川内隊は大発動艇ガ島輸送作戦蟻輸送)を掩護した。夕立隊は輸送終了後にルンガ泊地突入しアメリカ軍輸送駆逐艦2隻を撃沈している。 9月8日午前3時アメリカ軍輸送駆逐艦2隻・特設哨戒艇2隻(漁船改造)を投入してアメリカ海兵隊2個大隊ガ島上陸させ、ガ島ヘンダーソン飛行場のため展開中の日本陸軍部隊打撃与えた陸軍より『八日0800巡洋艦一隻駆逐艦六隻輸送船四隻『タイボ』岬附近上陸開始セリ』の報告を受け、外南洋部隊指揮官三川軍一第八艦隊司令長官増援部隊三水戦)等にアメリカ軍輸送船団攻撃指示する川内および駆逐艦部隊白雪吹雪陽炎天霧夕暮)はガ島ルンガ泊地突入。だが、アメリカ軍輸送船団はすでに存在せず掃海艇1隻を被弾座哨させたにとどまった9月12日三水司令官ひきいる艦艇奇襲隊(川内敷波吹雪涼風)はガ島ルンガ泊地突入したが米艦艇認めずヘンダーソン飛行場砲撃した。このほかにも外南洋部隊主力艦鳥海青葉古鷹衣笠)と囮部隊が行動していたが、日本陸軍飛行場攻撃延期により、各隊ガ島から距離をとった。ガ島飛行場攻撃の展開に不安をもった日本陸軍第十七軍)は、輸送船佐渡丸(護衛駆逐艦嵐)に乗ってラバウル到着した陸軍青葉支隊を、ただちにガ島投入する増援部隊各艦はガ島輸送兼ねてショートランド泊地出撃ガ島突入することになった9月14日夜、駆逐艦4隻(漣、潮、涼風吹雪)はガ島輸送実施奇襲隊(川内海風江風浦波敷波、嵐、叢雲白雪)もガ島向かったが、ヘンダーソン飛行場健在情報により昼間のガ島揚陸中止され川内ショートランド戻ったこのため駆逐隊のみでガ島輸送実施したガ島総攻撃失敗した日本軍は、同島所在陸軍兵力物資弾薬重火器糧食増強することになり増援部隊第三水雷戦隊および編入部隊・艦)は引続きガ島強行輸送作戦従事した9月18日増援部隊指揮官直率隊(川内浦波白雪叢雲浜風)はアメリカ軍輸送船団ガ島守備隊報告によると輸送船6、巡洋艦3、駆逐艦10)を攻撃するためショートランド泊地出撃各隊合流命じた。しかしガ島守備隊よりアメリカ軍輸送船団全隻撤収報告を受け、輸送隊海風江風涼風、嵐)は予定とおり揚陸実施川内下直率隊はルンガ泊地桟橋付近砲撃したが、効果不明だった

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ガダルカナル島の戦い(十月〜十一月)

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川内 (軽巡洋艦)」の記事における「ガダルカナル島の戦い(十月十一月)」の解説

詳細は「サボ島沖海戦」を参照 10月11日ガダルカナル島飛行場砲撃向かった外南洋部隊支援指揮官五藤存知第六戦隊司令官指揮下の飛行場砲撃隊(第六戦隊青葉古鷹衣笠》、第11駆逐隊第2小隊吹雪初雪》)は米艦隊迎撃され、2隻(古鷹吹雪)を喪失したサボ島沖海戦)。並行して実施され水上機母艦2隻(日進千歳)、駆逐艦6隻(秋月綾波白雪叢雲朝雲夏雲)による輸送作戦も、第六戦隊救援むかった駆逐艦2隻(叢雲夏雲)を空襲により喪失した10月12日午前2時、増援部隊指揮官橋本信太郎第三水雷戦隊司令官は米艦隊脅威さらされ日進輸送隊収容するため直率隊(川内由良天霧浦波磯波時雨白露)をひきいてショートランド泊地出撃した。橋本司令官日進隊と合流後、4隻(由良天霧時雨白露)に日進隊の護衛命じ自身は第9駆逐隊・第11駆逐隊救援のためガ島方面向かった川内隊は朝雲(第9駆逐隊司令佐藤康夫大佐)と白雪(第11駆逐隊司令杉野修一大佐)と合流このあと2隻(朝雲白雪)のみ航行不能となった叢雲救援のために引き返し、同艦を処分した三水戦の出撃並行しておこなわれた甲標的母艦千代田軽巡龍田出撃ガ島甲標的基地建設)は中断された。 10月13日夜間第三戦隊司令官栗田健男少将指揮下、金剛型戦艦2隻(金剛榛名)によるヘンダーソン基地艦砲射撃実施された際には、水上偵察機2(川内由良)が弾着観測を、偵2(衣笠古鷹)が照明弾投下となって艦砲射撃支援した10月14日重巡2隻(妙高摩耶)と第二水雷戦隊旗艦五十鈴)によるガダルカナル島飛行場砲撃が行われ、この間軽巡部隊川内由良龍田)、駆逐艦部隊朝雲白雪甲標的物件》、暁、)による輸送作戦が行われた。並行しておこわなれた千代田、暁のガ島甲標的基地設置途中で中断された。また外南洋部隊主隊(鳥海衣笠天霧望月)がガ島ヘンダーソン飛行場艦砲射撃おこなったものの、飛行場戦力健在だった第四水雷戦隊秋月村雨五月雨夕立春雨時雨白露有明夕暮)が護衛する輸送船6隻は、アメリカ軍機の空襲輸送船3隻(吾妻山丸、笹子丸、九州丸)が炎上喪失揚陸した物件アメリカ軍機の空襲艦砲射撃焼き払われてしまったという。 10月16日増援部隊指揮官直率の軽巡洋艦戦隊川内由良龍田)と、第四水雷戦隊司令官高間少将旗艦秋月)が指揮する水雷戦隊第1小隊秋月・第9駆逐隊朝雲)・第6駆逐隊(暁、)、第2小隊:第2駆逐隊村雨夕立春雨五月雨)、第3小隊:第19駆逐隊浦波敷波綾波)、第4小隊第27駆逐隊時雨白露有明)によるガダルカナル島輸送作戦陸兵2159名、野砲6門、速射砲12門、軍需物資が行われることになった17日夜、軽巡戦隊ガ島エスペランス岬にて、水雷戦隊タサファロング岬にて揚陸成功231名を救助したが、この中サボ島沖海戦沈没した吹雪航海長以下数名含まれていた。本作戦で由良が米潜水艦グランパス雷撃されたが、命中魚雷不発だったため損害軽微だった。 11月2日増援部隊指揮官橋本信太郎第三水雷戦隊司令官旗艦軽巡川内から重巡衣笠変更第一攻撃隊(衣笠川内天霧初雪)を率いて増援隊(旗艦朝雲)と乙増援隊(旗艦浦波)のガ島輸送作戦支援した。乙増援隊の輸送成功したが、甲増援隊は揚陸地点悪天候により一部物資揚陸できなかった。つづいて増援部隊指揮官橋本少将)は旗艦衣笠から浦波変更し、乙増援隊(浦波敷波綾波白雪望月天龍)を指揮して11月5日ガ島輸送実施したショートランド泊地帰投後の11月6日橋本少将将旗川内戻し同時に増援部隊指揮官職務第二水雷戦隊司令官田中頼三少将引き継いだ川内以下第三水雷戦隊各艦はトラック泊地へ向かうが、この際橋本少将ガ島輸送作戦において常に上空直掩あたったR方面航空部隊水上機部隊)を訪問し謝意述べている。 詳細は「第三次ソロモン海戦」を参照 11月中旬川内以下第三水雷戦隊第三次ソロモン海戦参加11月13日第1夜戦は後方掩護に留まった。11月15日第2夜戦における本艦は、第二艦隊司令長官近藤信竹中将旗艦愛宕)の指揮下で行動した近藤艦隊戦力は、戦艦1隻(霧島)、重巡2隻(愛宕艦隊旗艦》、高雄)、軽巡2隻(川内長良)、駆逐艦9隻(照月朝雲、電、五月雨白雪初雪浦波敷波綾波)。橋本司令官第二部隊/掃蕩隊(川内浦波敷波綾波)を指揮して本隊前方進んだ。これに対しアメリカ軍戦力ウィリス・A・リー少将率い戦艦2隻(ワシントンサウスダコタ)、米駆逐艦4隻(ウォークグウィンベンハムプレストンであった掃蕩隊(川内浦波敷波)はワシントン主砲による砲撃受けたが、煙幕を張って退避したため命中弾はなかった。分離していた綾波雷撃後に集中砲撃を受け沈没。また近藤中将愛宕座乗)は掃蕩隊(川内浦波敷波)を敵艦錯覚し砲戦魚雷用意発令した射撃前に味方川内)と判明している。この後戦闘で、第四戦隊第三水雷戦隊長良隊が発射した酸素魚雷はほとんど自爆しアメリカ新型戦艦2隻を取り逃がした掃蕩隊はルンガ泊地先行して「ルンガ方面敵を見ず射撃可能と認む」と報じたものの、前進部隊指揮官より敵戦艦攻撃命令があって反転する。だが戦果はなかった。また増援部隊指揮官田中頼三第二水雷戦隊司令官)が護衛していた輸送船団昼間の空襲壊滅状態となっており、日本軍ガダルカナル島奪回企図は完全に頓挫したトラック泊地戻った川内はしばらく待機した

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ガダルカナル島の戦い(9月)

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海風 (白露型駆逐艦)」の記事における「ガダルカナル島の戦い(9月)」の解説

1942年昭和17年8月下旬から9月にかけて、第24駆逐隊海風江風涼風)は外南洋部隊第八艦隊)に所属し駆逐艦によるガダルカナル島への高速輸送作戦鼠輸送』に従事した8月27日ガ島揚陸予定部隊輸送船2隻(ぼすとん丸、大福丸)から徹夜駆逐艦3隻(海風江風磯風)に移乗し、第24駆逐隊司令村上暢之助大佐指揮のもと、同日5時30分ショートランド泊地出撃する陽炎12番艦「磯風」は第17駆逐隊所属だが、臨時24駆の指揮下に入った。しかし川口支隊第20駆逐隊便乗中)との合流めぐって帝国海軍混乱し上級部隊命令従い24駆逐隊ショートランド泊地引き返した17時30分着)。8月28日増援部隊指揮官田中頼三第二水雷戦隊司令官は、旗艦青葉型重巡洋艦2番艦「衣笠」に変更した午前6時、第24駆逐隊海風江風磯風)はショートランド泊地出撃してガ島向かい、また北方からも第20駆逐隊天霧朝霧夕霧白雲)が南下してガ島揚陸目指す。だが第20駆逐隊アメリカ軍機の空襲大損害(朝霧沈没夕霧白雲大破駆逐隊司令山田雄二大佐戦死)を受け救援のために「陽炎」が派遣された。航空支援がない限り揚陸成功見込みなしと判断した村上大佐(24司令)は「本日揚陸断念シ引返ス、28日1925」を打電し独断反転する田中司令官駆逐艦輸送作戦消極となったが、外南洋部隊第八艦隊司令部は『「カ」号作戦駆逐艦を以て陸兵輸送し任務強行する今更方法なきを以て引続き既定方針決行せしめらるる方針なり』を通知した8月29日、「磯風」で発電機故障発生したため輸送作戦参加できなくなり駆逐艦5隻(第24駆逐隊海風江風》、第11駆逐隊初雪吹雪白雪》)はガ島揚陸作戦実施する陸兵揚陸には成功したが、第24駆逐隊司令撃滅命じられていたルンガ泊地方面米軍艦艇輸送船2隻、巡洋艦1隻、駆逐艦2隻)を攻撃することなく帰途につき、上級司令部激怒させた。当事軍令部将校だった高松宮宣仁親王は、第二次ソロモン海戦時の田中頼三二水司令官村上24司令について『コウナルト田中司令官遠山先任参謀ハマルデ駄目ダト云フ札付ニナル。第二十四駆逐隊司令村上大佐仝ジ様ナ駄目ナリ。困難ナリト云ツテモヨイガ、ソレヲヤレト云ハレタラヤツテノケルダケノ断行力ガナクテハナラヌ。』と評している。 8月31日午前6時第三水雷戦隊司令官橋本信太郎少将指揮下の三水戦各艦(軽巡洋艦川内、第19駆逐隊浦波敷波》)がショートランド泊地到着これをもって田中二水司令官増援部隊指揮官更迭され発令8月29日)、駆逐艦夕霧」に乗艦してトラック泊地戻った以降橋本三水司令官軽巡川内旗艦として、ガダルカナル島への輸送作戦指揮するこの間神通護衛のためトラック泊地向かっていた「涼風」がショートランド泊地到着24駆逐隊司令指揮下の8隻(海風江風涼風陽炎初雪吹雪白雪天霧)はガ島への輸送作戦実施し2130分に川口清健陸軍少将川口支隊長)を含む陸兵1200名の揚陸成功した9月1日ショートランド泊地戻った9月2日上層部連合艦隊第八艦隊)の不興買っていた村上大佐は第24駆逐隊司令解任された。9月3日、第24駆逐隊司令陽炎型駆逐艦10番艦「時津風駆逐艦長中原義一郎中佐白露4番夕立初代駆逐艦長)をあてる人事が決まる。中原中着任までの間、暫定的に村上大佐が指揮継続することになった9月4日陸軍青葉支隊ガ島輸送するため、増援部隊各隊ショートランド泊地出撃した。輸送隊浦波隊《浦波敷波有明》、夕立隊《夕立初雪叢雲》)と川内隊(川内海風江風涼風)は21時から23時にかけてガ島揚陸実施する川内隊は、陸軍部隊大発動艇輸送作戦舟艇機動)を掩護する役目与えられており、4日深夜から5日午前1時頃まで掩護実施した。また夕立隊はルンガ泊地突入して米軍輸送駆逐艦2隻を撃沈する宇垣纏連合艦隊参謀長は『曩の二十四駆隊司令比し雲壌の差あり。矢張り攻撃精神旺盛なるものはよく勝を収む』と戦藻録記載し夕立指揮官吉川潔中佐夕立駆逐艦長)を絶賛している。9月5日附で駆逐艦4隻(海風江風涼風夕立)および特設水上機母艦山陽丸外南洋部隊第八艦隊)に編入された。 9月7日駆逐艦5隻(海風江風涼風初雪叢雲)はガ島揚陸作戦実施した本作戦における各艦は大発動艇曳航していたが、波浪為に上手くいかなかった。第24駆逐隊揚陸成功後、ルンガ泊地突入した敵艦艇を発見できず、対地砲撃実施したのち、9月8日14時帰投した(アメリカ軍によるとYPボート1隻炎上)。7日揚陸により、川口一木支隊輸送終了前述のように、上級司令部不興買っていた村上大佐は9月2日附で第24駆逐隊司令更迭され後任中原義一郎中佐9月3日発令)は9月10日着任した。なお、村上大佐は第二砲艦隊司令、第11特別根拠地隊附、永福砲艦長等歴任し最前線に立つ事はなかった。 9月9日、第24駆逐隊海風江風涼風)はフロリダ諸島ツラギ湾内)に敵輸送船6隻発見偵察報告受けてガ島突入哨戒艇1隻を撃破した輸送船団存在しなかった。ツラギ陸上砲台から砲撃されたが、被害無く無事に帰投した。9月11日駆逐艦3隻(海風江風夕立)は陸軍青葉支隊ガ島輸送実施悪天候悩まされつつ揚陸完了した9月13日ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場対す日本陸軍総攻撃呼応して外南洋部隊支援行動にあたる。主隊・支援隊(鳥海青葉古鷹衣笠天霧)等は囮船団と共に適宜行動し奇襲隊(川内敷波吹雪涼風)、陽炎隊(陽炎白雪)、第7駆逐隊(漣、潮)、第19駆逐隊部隊浦波叢雲夕立)、第24駆逐隊海風江風)もガダルカナル島向かった。しかし日本軍飛行場占領失敗し駆逐隊海風江風浦波叢雲夕立)は対地砲撃実施したあと帰途についたガ島戦局に不安を感じた日本陸軍第十七軍は、輸送船佐渡丸(護衛駆逐艦嵐)に乗船してソロモン諸島到着した陸軍青葉支隊ガ島投入決定する奇襲部隊指揮官橋本三水司令官)は、増援輸送ガ島突入をかねて部隊編成駆逐艦4隻(漣、潮、吹雪涼風)は14日夜にルンガ泊地突入した続いて奇襲隊(川内海風江風浦波敷波、嵐、叢雲白雪)もガ島へ向かうが、ヘンダーソン飛行場占領という事態をうけて川内ショートランド泊地帰投駆逐艦部隊のみて揚陸実施した川口支隊攻撃失敗により外南洋部隊各隊・各艦はラバウルショートランド泊地帰投し、奇襲隊も増援部隊という区分戻された。 9月中旬日本軍ガダルカナル島対す増援輸送強化することになった9月18日増援部隊指揮官アメリカ軍輸送船団ルンガ泊地侵入情報により直率隊(川内浦波白雪叢雲浜風)による出撃決意し同時に有賀幸作第4駆逐隊司令駆逐艦4隻(嵐、海風江風涼風)によるガ島輸送命じた幾度か計画変更の末、輸送隊18日夜のガ島揚陸成功したこの頃ソロモン諸島月明期に入ったため、アメリカ軍機による夜間空襲を受ける可能性高まっていた。9月24日、第24駆逐隊司令中原義一郎中佐海風座乗指揮下の駆逐艦4隻(海風江風涼風浦風)は、陸兵道路構築用の土木用具搭載してガ島へ向かうが、アメリカ軍機の夜間空襲受けて揚陸断念する至った。この戦闘で「海風」と陽炎11番艦「浦風」が小破増援部隊鼠輸送一時中止至った再開10月1日より)。9月26日、第17駆逐隊谷風浦風浜風磯風)と第24駆逐隊海風江風涼風)は外南洋部隊第八艦隊)から除かれた。また、同日附で第二水雷戦隊旗艦川内型2番艦「神通」から長良型軽巡洋艦2番艦「五十鈴」に変更されている。前進部隊第二艦隊第二水雷戦隊)に復帰した24駆逐隊は、順次トラック泊地戻った。「海風」は工作艦明石」に横付して修理従事したその後10月10日までトラック泊地待機次期作戦準備をおこなう。

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ガダルカナル島の戦い(10月以降)

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海風 (白露型駆逐艦)」の記事における「ガダルカナル島の戦い(10月以降)」の解説

10月11日二水司令官田中頼三少将指揮する第二水雷戦隊軽巡五十鈴二水戦旗艦〕、第15駆逐隊親潮黒潮早潮》、第24駆逐隊海風江風涼風》、第31駆逐隊高波巻波長波》)はガダルカナル島ヘンダーソン飛行場対し艦砲射撃実施予定第三戦隊(金剛型戦艦金剛榛名》〔三戦隊司令官栗田健男中将海兵38期〕)を護衛してトラック出撃対すアメリカ軍10月11日-12日サボ島沖海戦勝利して外南洋部隊支援隊(第六戦隊)を撃退したが、大小損害受けて消耗した艦隊指揮官ノーマン・スコット少将)もガ島海域から撤収した10月13日から14日にかけての深夜行われたヘンダーソン基地艦砲射撃で、第15駆逐隊・第24駆逐隊第三戦隊(金剛榛名)の直衛、第31駆逐隊警戒隊、応援派遣された第19駆逐隊ガ島ルッセル諸島哨戒隊として行動長波アメリカ軍魚雷艇撃退したヘンダーソン飛行場かなりの損害受けたが、航空隊および日本軍知らなかった新造滑走路戦闘機用)が健在だったこのため第四水雷戦隊司令官高間少将旗艦秋月、第2駆逐隊村雨五月雨夕立春雨》、第27駆逐隊時雨白露有明夕暮》)が護衛してした高速輸送船団吾妻山丸、南海丸九州丸、佐渡丸、笹子丸、埼戸丸)は、10月15日ガ島揚陸中に空襲を受け輸送船3隻を喪失し揚陸した物資大部分焼き払われてしまった。 10月26日南太平洋海戦における第二水雷戦隊は、前進部隊指揮官近藤信竹第二艦隊司令長官旗艦愛宕)に所属し第四戦隊愛宕高雄)、第三戦隊(金剛榛名)、第五戦隊妙高摩耶)、第二航空戦隊司令官角田覚治少将空母隼鷹と共に米軍機部隊交戦した11月上旬第二水雷戦隊ショートランド泊地進出し5日附で田中二水司令官橋本信太郎三水司令官より増援部隊指揮官職務引き継ぐ第二水雷戦隊は再びガダルカナル島への強行輸送作戦従事することになった11月6日深夜、甲増援隊(第15駆逐隊親潮早潮陽炎》、第24駆逐隊海風江風涼風》、第31駆逐隊巻波高波長波》、第10駆逐隊夕雲風雲》)はショートランド出撃途中でアメリカ軍機の空襲を受け駆逐艦2隻(高波長波)が若干損傷受けた輸送隊深夜にタサファロング沖に到着して糧食降ろし傷病兵便乗者を乗せて帰投した。 11月13日以降増援部隊早潮田中司令官座乗》、親潮陽炎海風江風涼風高波巻波長波天霧望月)は輸送船11隻を護衛しガダルカナル島向かった第三次ソロモン海戦)。だがアメリカ軍機の波状攻撃を受け輸送船6隻が沈没、1隻が大破して駆逐艦2隻(天霧望月護衛下で退避する田中司令官残存輸送船4隻と駆逐艦9隻を指揮してガ島への進撃続行11月15日未明輸送船4隻(廣川丸、山浦丸、鬼怒川丸、山東丸)はガダルカナル島タサファンログ泊地座礁揚陸強行するが、アメリカ軍機と米艦艇攻撃全滅した増援部隊各艦は15日22時になりショートランド泊地戻った第三次ソロモン海戦勝利により、ガダルカナル島への日本軍増援阻止した連合軍は、パプアニューギニアブナ地区上陸作戦敢行反攻乗り出した外南洋部隊第三次ソロモン海戦終えて帰投たばかりの各艦・各隊対しブナ方面増援輸送下令南東方面は、従来ガダルカナル島加え東部ニューギニア方面でも連合軍対処せまられる。外南洋部隊指揮官三川軍一第八艦隊司令長官麾下艦船ラバウル回航下令し、第24駆逐隊ラバウル回航された。11月18日第8駆逐隊司令指揮下の駆逐艦部隊第8駆逐隊朝潮》、第24駆逐隊江風海風》)は、鴻型水雷艇2隻と共にブナおよびラエ輸送作戦実施中B-17爆撃を受け「海風」は大破航行不能となる。江風荒潮にも若干被害があった。「海風」は「朝潮」に曳航されてラバウル戻ったラバウル停泊中だった第15駆逐隊2隻(親潮陽炎)も海風救援のため出撃している。「海風」は11月23日外南洋部隊附属となり、11月12月中は応急修理従事した外南洋部隊より前進部隊復帰後の12月26日ラバウル出発してトラック泊地回航される(28日着)。30日高雄型重巡洋艦4番艦「摩耶」を護衛して横須賀向かった同時に第二水雷戦隊司令官田中頼三少将から小柳冨次少将海軍兵学校42期)に交代した

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