水雷戦隊とは? わかりやすく解説

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水雷戦隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/15 22:37 UTC 版)

水雷戦隊(すいらいせんたい)は、機雷魚雷爆雷などを使った水雷戦を行うことを目的に編成された、大日本帝国海軍の部隊の一つ。略字はSd[注 1]


注釈

  1. ^ 第一水雷戦隊は1Sd、第二水雷戦隊は2Sdとなる。以下、三水戦は3Sd、四水戦は4Sd、五水戦は5Sd、六水戦は6Sd、十一水戦は11Sdと表記した[1]
  2. ^ 戦隊[3]艦隊は編制に応じ戦隊に区分する。戦隊は軍艦2隻以上または軍艦と駆逐隊・もしくは潜水隊をもって編成し、或は航空隊2隊以上をもって編成し、主たる構成兵力によってその名称を定め、同一名称のときは更に番号を冠称する。例えば第1戦隊、第1水雷戦隊、第2航空戦隊、第3潜水戦隊等。陸軍航空においても空中戦闘部隊が戦隊の名称を用いた。例えば第98戦隊。
  3. ^ 艦隊 帝國海軍の組織は、前記の如く海上及び陸上の兩部に大別されてゐるが、海上武力の根幹は、艦隊である。艦隊は、各種の艦艇を一系亂れざる統制の下に結合し、各々その特性を十分に發揮せしめ、全隊としての能力を作戰の要求に適合せしめ、而も均衡のとれたものとして、その戰闘力を最高度に發揮せしめるために編成されるもので、一般に、戰隊・水雷戰隊・潜水戰隊・航空戰隊に、特務艦その他の艦種を附属として編成される。/以上の内容中、戰隊とは、戰艦又は巡洋艦各二隻以上を以て編成するもの、水雷戰隊とは、軍艦一隻と驅逐隊(驅逐艦二隻以上を編成せるもの)二隊以上を以て編成するもの、潜水戰隊とは軍艦及び潜水隊(潜水艦二隻以上を編成せるもの)二隊以上を以て編成するもの、航空戰隊とは航空母艦を以て編成するものをいふのである。但し、艦隊の内容は、時の状況によって異る場合もあるが、少くとも、獨立して一方面の戰闘に從事し得る内容を持つことを必要とする。/現在、帝國海軍の平時編制は、第一艦隊・第二艦隊・第三艦隊・練習艦隊の四隊であるが、この中各科少尉候補生實務練習のための練習艦隊及び支那沿岸揚子江流域の警備の任にある第三艦隊は、その特殊任務の關係上、第一、第二の兩艦隊とは、編制の内容が著しく異ってゐる。/第一、第二の兩艦隊は、誰でも知ってゐる如く、聯合艦隊を形成するものであって、帝國海上國防の根幹をなし、一朝有事に際しては、直ちに戰線に臨み得るの用意が常になされてゐるものである[4]
  4. ^ 五、水雷戰隊 驅逐艦は、分離別働し得べき最少單位ではありますが、其の戰闘力は小さすぎて、一隻丈では成功の望みが少ないために、其の幾隻かを集めて一隊を編制し、其の兵力を集合して有力なる戰闘單位としなければなりません。これが即ち驅逐隊であります。そして驅逐艦の本務は水雷戰を其の職分とし、特に夜間の接戰を任務とする關係上、之に適するやうな編制が必要であります。現今四隻編制が最も良いと考へらえてゐますが、三隻編制としてゐる處もあります。/そして多數の驅逐艦を運用、指揮統率し、協同動作を遂げさせるために編制せられたものを、水雷戰隊と稱するのであります。通常一隻の旗艦と數隊の驅逐隊とから編成せられ、その指揮統率のため将官を配し、別に快速巡洋艦一隻を其の旗艦とし全隊の指揮統率を司るのであります[10]
  5. ^ 朝潮型駆逐艦多号作戦、一水戦旗艦)、夕雲型駆逐艦長波ルンガ沖夜戦、二水戦旗艦)[12]、島風型駆逐艦島風多号作戦、二水戦旗艦)[13]、吹雪型駆逐艦白雪ビスマルク海海戦、三水戦旗艦)、秋月型駆逐艦新月クラ湾夜戦、三水戦旗艦)[14]、陽炎型駆逐艦秋雲第二次ベララベラ海戦、三水戦旗艦)[15]、秋月型駆逐艦秋月南太平洋海戦、四水戦旗艦)、朝潮型駆逐艦朝雲第三次ソロモン海戦、四水戦旗艦)など。
  6. ^ 一等驅逐艦 “白雪 しらゆき”“初雪 はつゆき”“吹雪 ふぶき”[2](要目略)驅逐艦と云ふものは同型艦が3隻又は4隻で1個の驅逐隊を編成してゐる。そして艦の艦首附近兩側にその驅逐隊の番號を白く現はしてゐる。こゝに竝んだ3隻が各11の數字を入れてゐるのがそれで、即ちこれは第十一驅逐隊に属する諸艦である。
    この驅逐隊はその中の一艦を司令驅逐艦に定めそれには通例大佐級の人が司令として座乗する。右端初雪の檣頭に翻へつてゐるのがその司令驅逐艦たることを示す司令旗である。この3隻は共に1,700頓級の特型驅逐艦で浦波と同一威力を誇る我が海軍の驅逐艦中の新鋭である。この雪級(ゆきクラス)でもう1隻“深雪 みゆき”があつたが昭和9年艦隊に属して訓練中不慮の災厄により夭折したのは返へす返へすも殘念であつた。
  7. ^ 水雷戰隊の猛進[18] 果てしなき洋上の陽も已に水平線上から全く没し、宵闇次第に迫らうとするとき、礫の如く猛進して行く水雷戰隊。水雷戰隊は數個の驅逐隊を以て編成され巡洋艦が旗艦となつてこれを指揮統率する。/防禦力の薄弱な驅逐艦を以て編成されてゐる水雷戰隊が夜襲を最も得意とすることは當然のことである。勝れた速力と優つた魚雷力を以て夜暗に乗じて奇襲する捨身の戰法、しかも必ず敵を倒さずば已まぬ緻密周到な行動。水雷戰隊は主力艦隊にとつて最も大きな夜の脅威でなくてはならぬ。/3萬噸の巨體に36糎又は40糎の威力を載せ警戒怠りなく航行中の敵主力艦隊の眞只中に向つて、銘刀の鞘を拂つて敵大軍に飛び込んで行つたあの白虎隊の如く、奮迅的猛襲を敢行する水雷戰隊は實に勇壮極まりなきものであり、これぞ勇敢機敏を以て自負する我等日本人の傳統的精神と最もよく合致したものであらう。この寫眞の先頭を切るのは水雷戰隊の旗艦神通で以下これにつゞくは麾下の各驅逐艦である。
  8. ^ 第一水雷戦隊(第一艦隊所属。1944年11月20日解隊)。第二水雷戦隊(第二艦隊所属。1945年4月20日解隊)。第三水雷戦隊(第一艦隊所属。1940年5月1日新編[19]。1944年8月15日解隊)。第四水雷戦隊(第二艦隊所属。1939年11月15日新編。1943年7月20日解隊)。第五水雷戦隊(第三艦隊所属。1940年11月15日新編、1942年3月10日解隊)。第六水雷戦隊(第四艦隊所属。1939年11月15日新編、1942年7月10日解隊)。第十一水雷戦隊(連合艦隊付属。1943年4月1日新編、1945年7月15日解隊)。
  9. ^ 坊ノ岬沖海戦で大和を護衛した駆逐艦は、第17駆逐隊(磯風、雪風、浜風)、第21駆逐隊(朝霜、初霜、霞)、第41駆逐隊(冬月、涼月)。戦闘で4隻(磯風、浜風、朝霜、霞)が沈没し、3隻(涼月、冬月、雪風)が損傷した[21]
  10. ^ 太平洋戦争開戦時の第24駆逐隊は第四水雷戦隊所属で、1942年(昭和17年)4月10日付の再編で四水戦から一水戦に編入された[49]
  11. ^ 1942年(昭和17年)6月12日、空襲で駆逐艦が損傷[56]7月5日、潜水艦により駆逐艦子日が沈没し不知火が大破[57]。10月17日の空襲でが沈没し初春が大破[58]。1944年(昭和19年)3月16日、潜水艦により白雲が沈没[59]。同年7月7日、潜水艦により薄雲が沈没[60]
  12. ^ 10月1日時点の第一航空艦隊[95]第一航空戦隊赤城加賀、第7駆逐隊〈〉)、第二航空戦隊蒼龍飛龍、第23駆逐隊〈菊月夕月卯月〉)、第四航空戦隊龍驤春日丸、第3駆逐隊〈汐風帆風〉)、第五航空戦隊翔鶴瑞鶴、駆逐艦〈秋雲〉)。
  13. ^ 第九駆逐隊は第四水雷戦隊に所属してガダルカナル島攻防戦に従事したが、サボ島沖海戦夏雲が沈没[101]ビラ・スタンモーア夜戦峯雲が沈没し[102]、第一水雷戦隊に転籍した[61]。峯雲の除籍とともに白雲と薄雲を編入し[103]朝潮型駆逐艦吹雪型駆逐艦の混成部隊となった。
  14. ^ 濃霧により本隊と逸れた「国後」が「阿武隈」と衝突、この影響により撤収部隊の単縦陣は大混乱となり、陣形後方にいた「初霜」と「若葉」と「長波」の衝突事故を誘発した[106]「若葉」は単独で、「初霜」は「国後」の指揮の下「日本丸」の護衛に付き、補給隊と共に離脱した[107]
  15. ^ 第五戦隊は1940年(昭和15年)5月1日付で、重巡那智羽黒で新編された[112]。妙高型重巡3番艦足柄第二遣支艦隊旗艦を務めていたが[113]、太平洋戦争開戦前に第三艦隊・第十六戦隊に編入された[45]
  16. ^ 最終時の第十戦隊は、軽巡洋艦矢矧、第17駆逐隊(浦風、磯風、浜風、雪風)、第41駆逐隊(霜月、冬月、涼月)であった[86]。駆逐艦浦風は11月21日に、駆逐艦霜月は11月25日に、潜水艦の雷撃で沈没した[125][60]
  17. ^ 山風は6月下旬に潜水艦ノーチラスに撃沈されており[128]、二水戦編入は書類上の措置。8月20日付で除籍[129]
  18. ^ 外南洋部隊増援部隊指揮官は、当初田中頼三第二水雷戦隊司令官だったが、8月下旬に増援部隊指揮官の職務を更迭されてしまう[135]。第三水雷戦隊司令官の橋本信太郎少将が、外南洋部隊増援部隊の指揮官となった[136]。11月初旬、増援部隊指揮官の職務は二水戦司令官に復帰した[137]。翌年1月19日に増援部隊指揮官木村進第十戦隊司令官が負傷したため[138]、第三水雷戦隊司令官が外南洋部隊増援部隊指揮官となった[139]。日本軍によるガダルカナル島撤収作戦は成功した。
  19. ^ 三水戦司令官橋本信太郎少将(外南洋部隊増援部隊指揮官)は夕雲型駆逐艦巻波を旗艦として作戦にのぞみ[139]、巻波が第一次撤収作戦で損傷後すると吹雪型駆逐艦白雪に将旗を掲げた[140][141]
  20. ^ 当時の伊集院大佐は戦艦金剛艦長であった[158]。11月1日付で海軍少将へ進級した[159]
  21. ^ 吹雪型駆逐艦の薄雲日中戦争で損傷し舞鶴海軍工廠で修理中、復帰後は第六駆逐隊や第二十一駆逐隊に編入されたあと、1943年4月1日付で第九駆逐隊へ編入された[103]
  22. ^ 開戦から間もなく東雲が沈没し[60]、1942年(昭和17年)1月15日付で第十二駆逐隊より削除[182]、3月10日付で十二駆そのものが解隊された[183]。叢雲は第十一駆逐隊へ、白雲は第二十駆逐隊に編入された[183]
  23. ^ 12月24日、狭霧は潜水艦の雷撃で戦没した[60]。翌年1月15日付で第二十駆逐隊より削除[182]
  24. ^ 第20駆逐隊は942年8月下旬のガダルカナル島輸送作戦で空襲を受け朝霧が沈没、夕霧と白雲が大破し[184]、10月1日付で解隊された[185]。健在の天霧は第八艦隊に所属したあと第十一駆逐隊に、夕霧は修理を終えて第十一駆逐隊に編入された[186]。修理後の白雲は、第九駆逐隊に編入された[103]
  25. ^ 川内は4月10日にラバウルを出発してトラック泊地に後退、重巡青葉曳航任務を終えたあと[187]、5月4日から内地で修理と整備をおこなった。7月8日、ラバウルに到着した。
  26. ^ 夕張は7月5日にブイン機雷により損傷し、秋山少将は将旗を秋月型駆逐艦新月に掲げてクラ湾夜戦に参加した[162]。夕張は17日にラバウルを出発、7月下旬より内地で修理をおこなった[188]。修理完了後の11月3日、ラバウルに到着した[189]ブカ島輸送を実施後、11月8日より三水戦旗艦となった[170]
  27. ^ 7月以降のニュージョージア島の戦いで初雪が沈没し(10月15日付で除籍)[190]、11月下旬に夕霧がセント・ジョージ岬沖海戦で撃沈され、12月15日付で解隊された[191]
  28. ^ 第二十二駆逐隊は1942年(昭和17年)12月10日付で解隊されたが[192]、1943年2月25日付で新編された[186]
  29. ^ 第三十駆逐隊は1942年(昭和17年)12月1日付で解隊されたが[193]、1943年(昭和18年)3月31日付で新編された[194]
  30. ^ 同年12月5日付で、中川少将(当時、戦艦日向艦長)は南東方面艦隊司令部付となった[198]
  31. ^ 同年8月10日付で、江戸少将(当時、横須賀海軍警備隊司令官兼横須賀海兵団長)は軍令部出仕となった[200]
  32. ^ 攻略部隊本隊の編成[216]。第四戦隊第1小隊(愛宕〈第二艦隊旗艦〉、摩耶)、第五戦隊(妙高、羽黒)、第三戦隊第1小隊(金剛、比叡)、軽巡由良、第2駆逐隊、第9駆逐隊、空母瑞鳳、駆逐艦三日月、タンカー4隻。他に特務艦千代田日進[217]
  33. ^ 攻略部隊・支援隊の編成[221]。第七戦隊(熊野、鈴谷、三隈、最上)、第8駆逐隊(朝潮、荒潮)、タンカー日栄丸。
  34. ^ 那珂は潜水艦シーウルフの雷撃で大破しており[239]シンガポールで修理中[240]。四水戦の臨時旗艦は駆逐艦夏雲[240]、本土帰投後に軽巡由良[215]へ旗艦を変更した。6月15日、那珂は横須賀鎮守府予備艦となり、第四水雷戦隊から除かれた。
  35. ^ 第八駆逐隊所属の大潮満潮バリ島沖海戦で受けた損傷を修理するため、5月15日付で第8駆逐隊より除籍された[241]。満潮は同年10月[242]、大潮は同年12月に再編入された[243]
  36. ^ 山雲は触雷により修理中、1942年5月15日付で第9駆逐隊より削除された[241]。横須賀鎮守府を拠点に船団護衛任務に従事したあと、1943年9月15日付で第十戦隊隷下の第四駆逐隊に編入された[244]
  37. ^ 1933年(昭和8年)5月21日時点の第三艦隊(司令長官米内光政海軍中将)は[246]、第十戦隊(装甲巡洋艦出雲、軽巡天龍、第27駆逐隊)、第十一戦隊(海防艦対馬、砲艦安宅宇治隅田伏見鳥羽勢多堅田比良保津熱海二見、第24駆逐隊、浦風)。
  38. ^ 船団護衛のため分散行動が多く駆逐隊を編制する必要が薄れ[260]、第22駆逐隊は同年12月10日付で解隊された[192]。第5駆逐隊は1943年2月25日付で解隊された[186]
  39. ^ 第二海上護衛隊は1942年4月10日付で新編された[289]。第四根拠地隊司令官茂泉愼一中将が、二海護司令官を兼務した[290]。6月15日より武田盛治[291]少将であった。
  40. ^ 木村少将は1943年1月19日に第十戦隊旗艦の駆逐艦秋月が潜水艦に雷撃された際に負傷[138]、1月21日付で第二水雷戦隊司令官小柳冨次少将が第十戦隊司令官に横滑りした[297]
  41. ^ 龍田(東松二号船団旗艦、指揮官は十一水戦司令官)は3月13日にアメリカ軍潜水艦サンドランスの雷撃で沈没し[303][304]、十一水戦司令官は将旗を陽炎型駆逐艦野分に掲げ、引き続き東松二号船団を率いた[305]
  42. ^ サイパン島地上戦にともない、サイパン島を包囲する米軍を突破して同島に日本陸軍を上陸させる作戦。十一水戦(長良、駆逐艦冬月清霜等)のほか、戦艦山城第五艦隊で実施予定だった[66]
  43. ^ 機動部隊の軍隊区分においては、多摩艦長山本岩多大佐指揮下の巡洋艦戦隊(多摩、五十鈴)を編成していた[311]
  44. ^ 丁三号輸送作戦中の1943年10月1日付で第32駆逐隊に駆逐艦玉波が編入されたが[321]、この時点では別行動。

出典

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  236. ^ 昭和12年8月21日(土)海軍公報(部内限)第2695号 pp.6-7」 アジア歴史資料センター Ref.C12070367200 〔 ○郵便物發送先 軍艦摩耶、第五戰隊司令部、軍艦足柄、那智、羽黒、第二水雷戰隊司令部、軍艦神通、第七驅逐隊(曙、朧、潮)、第八驅逐隊(天霧、朝霧、夕霧)、第十九驅逐隊(綾波、磯波、浦波、敷波)、第二潜水戰隊司令部、軍艦迅鯨、第十二潜水隊(伊六八、伊六九、伊七〇)、第三十潜水隊(伊六五、伊六六、伊六七)、第二十九潜水隊(伊六一、伊六二、伊六四)、特務艦間宮、早鞆、第十一水雷隊(雉、鷺、鳩)、特務艦鳴戸、第二十一航空隊宛 自今 佐世保郵便局留置/第二艦隊司令部、軍艦高雄、第四水雷戰隊司令部、軍艦木曾、第六驅逐隊(雷、電、響)、第十驅逐隊(暁、狭霧、漣)、第十一驅逐隊(初雪、白雪、吹雪)、第二聯合航空隊司令部、第十二航空隊、第十三航空隊、軍艦長鯨、横須賀鎭守府第一特別陸戰隊、呉鎭守府第一特別陸戰隊 自今 旅順郵便局氣付 〕
  237. ^ 昭和14年12月21日(木)海軍公報(部内限)第3390号 p.1」 アジア歴史資料センター Ref.C12070382400 〔 ○将旗一時移揚 第四水雷戰隊司令官ハ十二月十八日将旗ヲ一時潮ニ移揚同日復歸セリ 〕
  238. ^ a b c 昭和14年11月28日(火)海軍公報(部内限)第3370号 pp.1-2」 アジア歴史資料センター Ref.C12070382100 〔 ○将旗撤去 第五水雷戰隊司令官ハ十一月二十五日将旗ヲ長良ヨリ撤去セリ|○司令驅逐艦變更 第七驅逐隊司令ハ十一月二十四日司令驅逐艦ヲ朧ヨリ潮ニ變更セリ/第二十三驅逐隊司令ハ十一月二十二日司令驅逐艦ヲ菊月ヨリ三日月ニ變更セリ|(中略)○書類送付ニ關スル件照會 本艦宛書類ニシテ第七驅逐隊ニ合送セラルヽモノ及既ニ解隊サレタルニモ不拘尚第十驅逐隊トシテ暁、狭霧、漣ノ分ヲ一括送付セラルル向有之候處本艦ハ單獨驅逐艦トシテ浦賀ニ於テ特定修理中ニ付書類送付上御留意相成度 追テ第十驅逐隊殘務整理ハ本艦内ニ於テ致居候(驅逐艦漣) 〕
  239. ^ 戦史叢書26 1969, pp. 615–622「那珂」被雷す
  240. ^ a b c #S1704四水戦日誌(1) p.9〔 本日附艦隊編制替ニ依リ二十四駆ハ一水戦ニ八駆ハ當隊ニ編入セラレタリ 昭南港ニ於テ朝日及101工作部ト協議シ那珂應急修理ニ関スル要務處浬ヲ終リ十二日1000将旗ヲ夏雲ニ移揚ノ上九駆一小隊ヲ率ヰ高雄ヲ経テ横須賀ニ向ヒタリ 途上十八日敵機動部隊ノ来襲ヲ聞キ我亦之ニ應ズル如ク増速セルモ荒天ノ為意ノ如クナラズ二十一日横須賀ニ歸着尓後整備作業ニ従事セリ 〕
  241. ^ a b #内令昭和17年5月(2) p.26〔 内令第八百五十號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年五月十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|第八驅逐隊ノ項中「大潮、満潮、」ヲ削ル|第九驅逐隊ノ項中「山雲、」ヲ削ル 〕
  242. ^ #内令昭和17年10月(4) pp.10-11〔 内令第千九百三十四號|驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年十月二十日 海軍大臣嶋田繁太郎|第八驅逐隊ノ項中「荒潮」ノ下ニ「、満潮」ヲ加フ|第三十驅逐隊ノ項中「弥生、」ヲ削ル 〕
  243. ^ #内令昭和17年12月(5) p.21〔 内令第二千四百二十九號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年十二月二十九日 海軍大臣嶋田繁太郎|第八驅逐隊ノ項中「満潮」ノ下ニ「、大潮」ヲ加フ 〕
  244. ^ #内令昭和18年9月(4) p.28〔 内令第千九百三十六號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年九月十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|第四驅逐隊ノ項中「舞風」ノ下ニ「、山雲」ヲ加フ 〕
  245. ^ 戦史叢書91 1975, pp. 256–258艦隊平時編制標準改定と聯合艦隊の常設 ― 昭和八年
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  247. ^ 昭和9年12月21日(金)海軍公報 第2352号 p.25」 アジア歴史資料センター Ref.C12070346000 〔 ○郵便物閉嚢交換開始 今次第五水雷戰隊南支方面行動中同隊司令部竝ニ麾下各艦各隊司令部ト基隆郵便局間ニ軍艦郵便ノ取扱ヲ開始セラレタリ(海軍省副官) 〕
  248. ^ a b c d 昭和15年11月15日(発令11月15日付)海軍辞令公報(部内限)第555号 p.47」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079400 
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  263. ^ a b c 昭和10年11月16日(土)海軍公報第2616号 p.1」 アジア歴史資料センター Ref.C12070352600 〔 ○旗艦變更 第二艦隊司令長官ハ鳥海ヨリ妙高ニ、第三艦隊司令長官ハ球磨ヨリ出雲ニ、第一潜水戰隊司令官ハ多摩ヨリ迅鯨ニ、第二水雷戰隊司令官ハ神通ヨリ那珂ニ、第二潜水戰隊司令官ハ由良ヨリ鬼怒ニ、第二航空戰隊司令官ハ赤城ヨリ加賀ニ、第五水雷戰隊司令官ハ龍田ヨリ夕張ニ旗艦ヲ昨十五日變更セリ|○殘務整理 第六水雷戰隊ノ殘務整理ハ佐世保警備戰隊司令部海軍中佐今泉喜次郎之ヲ行フ 〕
  264. ^ 昭和12年12月8日(水)海軍公報(部内限)第2784号 p.16」 アジア歴史資料センター Ref.C12070369000 〔 ○旗艦變更 第二潜水戰隊司令官ハ十二月一日旗艦ヲ迅鯨ヨリ五十鈴ニ變更セリ|第五水雷戰隊司令官ハ十二月七日旗艦ヲ夕張ヨリ多摩ニ變更セリ 〕
  265. ^ a b 昭和12年12月10日(金)海軍公報(部内限)第2786号 p.3」 アジア歴史資料センター Ref.C12070369100 〔 ○旗艦變更 第五水雷戰隊司令官ハ十二月七日旗艦ヲ夕張ヨリ長良ニ變更セリ 〕
  266. ^ 昭和12年1月15日(金)海軍公報第2953号 p.35」 アジア歴史資料センター Ref.C12070362300 〔 ○将旗移揚 第五水雷戰隊司令官ハ昨十四日将旗ヲ一時夕張ヨリ嵯峨ニ變更セリ 〕
  267. ^ 昭和12年1月20日(水)海軍公報第2957号 p.49」 アジア歴史資料センター Ref.C12070362300 〔 ○将旗移揚 第五水雷戰隊司令官ハ昨十八日将旗ヲ嵯峨ヨリ夕張ニ移揚セリ 〕
  268. ^ 昭和13年1月6日(木)海軍公報(部内限)第2804号 p.1」 アジア歴史資料センター Ref.C12070371400 〔 ○将旗移揚 第五水雷戰隊司令官ハ一月五日将旗ヲ一時長良ヨリ三日月ニ移揚シ同日長良ニ復歸セリ 〕
  269. ^ 昭和13年11月1日(火)海軍公報(部内限)第3051号 p.1」 アジア歴史資料センター Ref.C12070375700 〔 ○将旗移揚 第五水雷戰隊司令官ハ十月二十九日将旗ヲ長良ヨリ刈萱ニ移揚セリ 〕
  270. ^ 昭和13年11月7日(月)海軍公報(部内限)第3055号 p.35」 アジア歴史資料センター Ref.C12070375700 〔 ○将旗復歸 第五水雷戰隊司令官ハ十一月三日旗艦ヲ長良ニ復歸セリ|○郵便物發送先 第五水雷戰隊司令部宛 十一月二十五日迄ニ到達見込ノモノハ 軍艦多摩氣付 其ノ後ハ 軍艦長良氣付 〕
  271. ^ 昭和13年11月25日(金)海軍公報(部内限)第3070号 p.8」 アジア歴史資料センター Ref.C12070375900 〔 ○将旗移揚 第五水雷戰隊司令官ハ十一月二十二日将旗ヲ朝顔ニ移揚セリ 〕
  272. ^ 昭和13年11月30日(水)海軍公報(部内限)第3074号 p.28」 アジア歴史資料センター Ref.C12070375900 〔 ○旗艦變更 第五水雷戰隊司令官ハ十一月二十八日旗艦ヲ朝顔ヨリ長良ニ變更セリ 〕
  273. ^ 昭和16年5月29日(水)海軍公報(部内限)第3805号 p.28」 アジア歴史資料センター Ref.C12070395300 〔 ○将旗一時移揚(中略)第五水雷戰隊司令官ハ五月二十六日将旗ヲ一時水無月ニ移揚セリ 〕
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  319. ^ #内令昭和17年12月(3) pp.2-3〔 内令第二千二百九十號 驅逐隊編成中左ノ通改定セラル 昭和十七年十二月十五日 海軍大臣嶋田繁太郎 第二驅逐隊ノ項中「夕立、」ヲ削ル 第六驅逐隊ノ項中「、暁」ヲ削ル 第十九驅逐隊ノ項中「、綾波」ヲ削ル ]
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  321. ^ #内令昭和18年10月(1) p.11〔 内令第二千三十五號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年十月一日海軍大臣嶋田繁太郎|第二十七驅逐隊ノ項中「時雨」ノ下ニ「、五月雨」ヲ加フ|第三十二驅逐隊ノ項中「早波」ノ下ニ「、玉波」ヲ加フ 〕
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  323. ^ 戦史叢書17 1968, pp. 50–51第二航空艦隊(南西諸島空)の進出輸送
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  326. ^ a b 昭和20年7月12日(発令7月1日付)海軍辞令公報(甲)第1854号 p.11」 アジア歴史資料センター Ref.C13072106100 
  327. ^ 昭和20年7月25日(発令7月15日付)海軍辞令公報(甲)第1867号 p.10」 アジア歴史資料センター Ref.C13072106400 
  328. ^ 歴群51、真実の艦艇史(2) 2005, p. 81.
  329. ^ 戦史叢書43 1971, pp. 637–640第三艦隊の新設
  330. ^ 戦史叢書46 1971, p. 332.
  331. ^ 戦史叢書56 1972, pp. 78b-79第三十一戦隊
  332. ^ 戦史叢書93 1976, pp. 178–179第五艦隊の解隊
  333. ^ 戦史叢書93 1976, pp. 179–180第三十一戦隊の第二艦隊編入





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