マレー作戦とは? わかりやすく解説

マレー作戦

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マレー作戦(マレーさくせん、馬来作戦)は、1941年12月8日太平洋戦争/大東亜戦争日本軍が実施した南方作戦内のイギリス領マレー方面の作戦。マレー作戦では本戦争において全ての他の作戦に先行して攻撃が開始された[8]


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マレー作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/17 00:03 UTC 版)

東雲 (吹雪型駆逐艦)」の記事における「マレー作戦」の解説

詳細は「南方作戦」および「マレー作戦」を参照 太平洋戦争直前第三水雷戦隊は、マレー半島東南アジア方面担当する馬來部隊所属していた(馬來部隊の編成南遣艦隊参照)。1941年昭和16年11月20日第三水雷戦隊は呉を出港し11月26日馬來部隊集結港である海南島三亜港に到着したマレー半島攻略担当する第25軍輸送船団三亜集結完了した東雲叢雲三亜港の湾外哨戒任務従事した12月4日南遣艦隊主力陸軍第25軍第25軍司令官山下奉文中将第25軍作戦主任参謀辻政信中佐)などを乗せた竜城丸下日本軍輸送船団三亜出撃マレー半島向かった第三水雷戦隊第1掃海隊掃海艇6隻)、第11駆潜隊駆潜艇3隻)は第一次上陸部隊第一護衛隊となり、第三水雷戦隊司令官橋本信太郎少将部隊指揮した12月7日午前10時30分輸送船団護衛艦隊洋上分散した。第12駆逐隊司令小川延喜中佐)と第20駆逐隊司令山田雄二大佐)、掃海艇4隻、第8号駆潜艇敷設艦初鷹などがマレー半島北部へ、小沢長官直率の重巡洋艦および川内と第19駆逐隊などが侘美支隊輸送船3隻を護衛しコタバル向かった午後10時頃、東雲など第12駆逐隊安藤支隊歩兵第42連隊)を乗せた輸送船6隻はパタニとターペ方面向かいシンゴラに向かう山下中将および第5師団主力部隊らの輸送船団分離した12月8日午前0時35分、東雲輸送船2隻(阿蘇山丸、鬼怒川丸)がターペに向かい安藤雄大佐直率のパタニ上陸船団分離した午前3時、ターペ・パタニの両部隊が上陸始め大きな抵抗はなく上陸成功した12月8日午前1時30分に上陸始まったコタバル激し抵抗遭った。朝までに第1陣の上陸に成功したが、空襲で「淡路山丸」が炎上して放棄され、「佐倉丸」や「綾戸丸」にも爆弾命中して損傷上陸船団はいったん揚陸中止して退避した東雲などマレー半島北部展開した駆逐隊は、合流のためコタバル方面移動した12月9日午前1時30分に護衛隊集結し再上陸決行し成功した12月9日午前1125分、橋本ボルネオ島攻略作戦派遣する予定駆逐艦4隻(白雲叢雲東雲朝霧)にカムラン湾への帰投命じた同日夕刻南遣艦隊旗艦重巡鳥海から イギリス東洋艦隊出現連絡があり、橋本第三水雷戦隊の再合流命じたイギリス東洋艦隊出現時、南方部隊本隊馬来部隊主力部隊馬来部隊水雷戦隊各方面作戦のため広範囲分散していたのである午後11時、東雲など4隻は川内合流した12月10日午前1時30分に第三水雷戦隊集結し鳥海など主力部隊との合流目指した。午前5時35分、馬來部隊指揮官第三水雷戦隊プロコンドル島での燃料補給命じ第三水雷戦隊午前8時に同島に向けて北上始めた東洋艦隊シンガポール方面反転したため、午前8時15分、南方部隊総指揮官が水上部隊追撃断念することを伝えた

※この「マレー作戦」の解説は、「東雲 (吹雪型駆逐艦)」の解説の一部です。
「マレー作戦」を含む「東雲 (吹雪型駆逐艦)」の記事については、「東雲 (吹雪型駆逐艦)」の概要を参照ください。


マレー作戦

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K XVI (潜水艦)」の記事における「マレー作戦」の解説

12月8日真珠湾攻撃により太平洋戦争大東亜戦争)が勃発しオランダ日本宣戦布告日本軍はマレー作戦を発動しマレー半島の上陸を開始した同日、K XVIIはスコールの中で国籍不明潜水艦発見し、急速潜航の後水中聴音器捕捉したが、タイランド湾日本軍出現の報があり、K XVIとK XIV、K XVタラカン出航しボルネオ島東方マカッサル海峡北側哨戒線を張った同日のうちに、3隻の哨戒海域スラバヤから南シナ海一帯拡大された。 12月11日大日本帝国海軍日本海軍)の航空母艦出現の報に伴いオランダ海軍東インド艦隊司令部は3隻にジャワ島急行するよう命じた12月13日には、11月18日以来補給の3隻に対しスラバヤ帰港し補給を受けるよう命令が発せられた。同日北緯11度 東経109度 / 北緯11度 東経109度 / 11; 109で1隻または2隻の空母巡洋艦潜水艦、そして100隻の輸送船からなる日本軍大艦発見知らせから、3隻には補給軽巡洋艦「デ・ロイヤル」「トロンプ」および駆逐艦と共に集結するよう命令追加された。 12月13日、K XVIとK XIV、K XVスラバヤ寄港し給油の上潤滑油果物中心に生鮮食料積載した。K XVIはトリムポンプが不調だったが、翌12月15日に3隻はスラバヤ出航した。3隻はガスパル海峡英語版オランダ語版)を経て南シナ海に向かう航路をとり、12月17日までに南シナ海南部南緯2度海域に向かうよう命じられた。 12月19日ボルネオ島西端ポンティアナック空襲された。付近240海里海域日本海軍空母がいる可能性が高いとして司令部はK XVIとK XIV、K XVポンティアナック近海哨戒命じた12月20日日本軍艦隊コンソン島付近発見され空母を含む別の艦隊ボルネオ島西方沖とマラッカ海峡見つかったことに伴い司令部は3隻に北緯04東経111度 / 北緯4度 東経111度 / 4; 111一帯海域哨戒命じ、K XVI哨戒海域西部担当し北緯0006東経10735分 / 北緯0.100度 東経107.583度 / 0.100; 107.583でK XV会合するよう通信した12月22日、3隻の哨戒海域赤道付近まで北上し、1隻がジャカルタ郊外タンジュンプリオク英語版オランダ語版)に待機する配置をとるよう命令出された。しかし、北緯0316東経110度36分 / 北緯3.267度 東経110.600度 / 3.267; 110.600で重巡洋艦2隻、駆逐艦3隻、商船10からなる日本艦隊出現の報から、この命令延期された。3隻は敵艦隊の攻撃向かい、K XIVクチン泊地にいた日本艦隊雷撃し、輸送船3隻を損傷、1隻を撃沈した12月23日3時20分、K XVI北緯0208東経10734分 / 北緯2.133度 東経107.567度 / 2.133; 107.567で国籍不明機遭遇した。K XVIはK XIVに自艦の位置無線報告し15時45分周辺海域での敵艦情報要求する無線発した12月24日、K XVIクチン北方20海里北緯0134東経110度21分 / 北緯1.567度 東経110.350度 / 1.567; 110.350)で、日本海軍駆逐艦狭霧」を雷撃した。2本の魚雷命中し、「狭霧」の魚雷にも誘爆して「狭霧」は15分で沈没した16時、K XVI無線吹雪型駆逐艦撃沈報告した。K XVI駆逐艦叢雲」を攻撃したが、21時15分発射した魚雷2発は回避され逆に爆雷による反撃受けた連日雷撃による艦船喪失泊地対戦警備厳重になったため、雷撃困難になっていた。 12月25日、K XVIにはバウェアン島経由してスラバヤに戻るよう命令下ったが、8本の魚雷が残るK XVI雷撃こだわり海域とどまった1145分、K XVIクチン北西97km地点付近北緯0230東経10950分 / 北緯2.500度 東経109.833度 / 2.500; 109.833)で日本海軍伊百六十五型潜水艦 「伊66」に発見された。「伊66」はK XVI魚雷発射し1本が命中、K XVI沈没して乗員36全員死亡した

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「マレー作戦」を含む「K XVI (潜水艦)」の記事については、「K XVI (潜水艦)」の概要を参照ください。


マレー作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 04:35 UTC 版)

第5師団 (日本軍)」の記事における「マレー作戦」の解説

詳細は「マレー作戦」を参照 12月8日開戦とともにイギリス領マラヤに向けタイ領のシンゴラとバタニから上陸して、主にインド11歩兵師団戦い12月11日のジットラの戦いで勝利したものの、12月30日のカンパルの戦いでかなりの損害を受け、翌1942年昭和17年1月6日スリム川の戦いにおいて勝利したスリム川の戦いでは、戦車支援受けた第5師団歩兵第41連隊が、16マイルわたって英軍防御陣地前進しインド11歩兵師団粉砕し推定で3,000人の損害与えた1月11日にはクアラルンプール占領した。ムアールの戦いの中で第5師団はGemensahオーストラリア第8師団頑強な抵抗排して1月22日シンガポールへの道を開いた

※この「マレー作戦」の解説は、「第5師団 (日本軍)」の解説の一部です。
「マレー作戦」を含む「第5師団 (日本軍)」の記事については、「第5師団 (日本軍)」の概要を参照ください。


マレー作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 01:36 UTC 版)

南方作戦」の記事における「マレー作戦」の解説

詳細は「マレー作戦」を参照 1941年6月よりマレー半島攻略向けた訓練行っていた日本軍による、太平洋戦争における最初の攻撃となった日本時間12月8日午前1時30分、第25軍イギリス領マレー北端奇襲上陸した詳細は「マレー沖海戦」を参照 イギリス海軍プリンス・オブ・ウェールズレパルス上陸部隊撃滅すべくシンガポール出撃したが、海軍航空隊マレー沖海戦で両戦艦航空攻撃撃沈第25軍マレー半島西側シンガポール目指し快進撃続け1942年1月31日マレー半島最南端のジョホール・バル突入した詳細は「シンガポールの戦い」を参照 第25軍2月8日ジョホール海峡渡河シンガポール島上陸した11日にはブキッ・ティマ高地突入するが、イギリス軍砲火を受け動けなくなった15日攻撃中止やむなし考えられていたとき、イギリス軍降伏使者到着した水源破壊され給水停止したことが抗戦断念した理由であったイギリス軍10万人が捕虜となった

※この「マレー作戦」の解説は、「南方作戦」の解説の一部です。
「マレー作戦」を含む「南方作戦」の記事については、「南方作戦」の概要を参照ください。


マレー作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 00:44 UTC 版)

太平洋戦争」の記事における「マレー作戦」の解説

詳細は「マレー作戦」を参照 最初に日本陸軍の上部隊載せた船団日本時間12月8日未明イギリス領マレー半島東北端のコタ・バル接近日本時間午前2時15分(現地時間午前1時30分)に上陸し海岸線英印軍交戦イギリス政府対す宣戦布告前の奇襲によって太平洋戦争戦端開かれた日本軍はほぼ同時にタイにも上陸しタイ側と戦闘行っている(→日本軍のタイ進駐)。また近衛師団8日仏印から陸路タイ侵入した日本軍迎撃ようとしたイギリス海軍の戦艦プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦レパルス」は、仏印から発進した日本海軍陸上攻撃機による雷撃爆撃撃沈された(マレー沖海戦)。

※この「マレー作戦」の解説は、「太平洋戦争」の解説の一部です。
「マレー作戦」を含む「太平洋戦争」の記事については、「太平洋戦争」の概要を参照ください。


マレー作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:18 UTC 版)

「神州丸」記事における「マレー作戦」の解説

「マレー作戦」も参照 日中戦争活躍した神州丸は、当然1941年開戦予定太平洋戦争南方作戦)にも投入される事となった。12月8日太平洋戦争作戦第1号であるマレー作戦、タイシンゴラへの第25軍軍司令官山下奉文陸軍中将、軍参謀長鈴木宗作陸軍中将司令部の上陸に携わった本作戦において神州丸は「龍城丸」の秘匿名称で呼ばれており、山下奉文第二十五軍司令官作戦主任参謀要員辻政信陸軍中佐乗船していた。辻中佐大本営陸軍部参謀本部作戦戦力班長だったが、マレー作戦にあたり第二十五軍作戦主任参謀要員任命されていた。 マレー半島上陸する陸軍輸送船団護衛していたのは、馬来部隊指揮官小沢治三郎南遣艦隊司令長官旗艦鳥海」)麾下第三水雷戦隊司令官橋本信太郎少将軽巡川内、第11駆逐隊、第12駆逐隊、第19駆逐隊第20駆逐隊)、練習巡洋艦香椎海防艦占守第七戦隊熊野鈴谷三隈最上)などであった

※この「マレー作戦」の解説は、「神州丸」の解説の一部です。
「マレー作戦」を含む「神州丸」の記事については、「神州丸」の概要を参照ください。

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