ふつ‐いん【仏印】
読み方:ふついん
「フランス領インドシナ」の略称。
フランス領インドシナ
(仏印 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/28 10:25 UTC 版)
インドシナ連邦(インドシナれんぽう)、通称フランス領インドシナ(フランスりょうインドシナ、フランス語: l'Indochine française、ベトナム語:Đông Dương thuộc Pháp / 東洋屬法、クメール語: សហភាពឥណ្ឌូចិន、ラーオ語: ຝຣັ່ງແຫຼັມອິນດູຈີນ、中国語: 法属印度支那)は、1887年から1954年にかけての東南アジアに存在したフランスの植民地である。現在のベトナム・ラオス・カンボジア・中国広東省湛江市に相当する地域で構成されていた。
- ^ 『広辞苑』(第六版)岩波書店、2008年11月11日。
- ^ a b c d e f g h i 桜井由躬雄「植民地化のベトナム」『東南アジア史 I 大陸部』、311頁。
- ^ a b 小倉 1997, p. 239
- ^ a b c 桜井由躬雄「ベトナム世界の成立」『東南アジア史 I 大陸部』、229頁。
- ^ a b 小倉 1997, p. 240-241
- ^ 桜井由躬雄「植民地化のベトナム」『東南アジア史 I 大陸部』、303頁。
- ^ a b 桜井由躬雄「ベトナム世界の成立」『東南アジア史 I 大陸部』、230頁。
- ^ 小倉 1997, p. 243
- ^ 北川香子「ポスト・アンコール」『東南アジア史 I 大陸部』、254頁。
- ^ 北川香子「ポスト・アンコール」『東南アジア史 I 大陸部』、255頁。
- ^ a b 小倉 1997, p. 247
- ^ 村嶋英治「タイ近代国家の形成」『東南アジア史 I 大陸部』、408頁。
- ^ 『東南アジアの歴史―人・物・文化の交流史』84頁
- ^ a b c d 桜井由躬雄「植民地化のベトナム」『東南アジア史 I 大陸部』、307頁。
- ^ a b 『東南アジアの歴史―人・物・文化の交流史』83頁
- ^ a b レイ・タン・コイ, p. 134
- ^ a b c 桜井由躬雄「植民地化のベトナム」『東南アジア史 I 大陸部』、308頁。
- ^ a b 桜井由躬雄「植民地化のベトナム」『東南アジア史 I 大陸部』、309頁。
- ^ a b 小倉 1997, p. 371
- ^ 飯島明子「植民地化の「ラオス」」『東南アジア史 I 大陸部』、352頁。
- ^ 村嶋英治「タイ近代国家の形成」『東南アジア史 I 大陸部』、409頁。
- ^ 村嶋英治「タイ近代国家の形成」『東南アジア史 I 大陸部』、411頁。
- ^ 村嶋英治「タイ近代国家の形成」『東南アジア史 I 大陸部』、412-413頁。
- ^ 飯島明子「植民地化の「ラオス」」『東南アジア史 I 大陸部』、354頁。
- ^ 『東南アジアの歴史―人・物・文化の交流史』95頁
- ^ 桜井由躬雄「植民地化のベトナム」『東南アジア史 I 大陸部』、326頁。
- ^ レイ・タン・コイ, p. 139
- ^ 桜井由躬雄「植民地化のベトナム」『東南アジア史 I 大陸部』、310頁。
- ^ a b 桜井由躬雄「植民地化のベトナム」『東南アジア史 I 大陸部』、322頁。
- ^ 桜井由躬雄「植民地化のベトナム」『東南アジア史 I 大陸部』、324頁。
- ^ 桜井由躬雄「植民地化のベトナム」『東南アジア史 I 大陸部』、323頁。
- ^ a b 桜井由躬雄「植民地化のベトナム」『東南アジア史 I 大陸部』、329頁。
- ^ レイ・タン・コイ, p. 147
- ^ a b 桜井由躬雄「植民地化のベトナム」『東南アジア史 I 大陸部』、334頁。
- ^ a b 『東南アジアの歴史―人・物・文化の交流史』161頁
- ^ a b c d 村嶋英治「タイ近代国家の形成」『東南アジア史 I 大陸部』、432頁。
- ^ a b 桜井由躬雄「植民地化のベトナム」『東南アジア史 I 大陸部』、335頁。
- ^ a b 飯島明子「植民地化の「ラオス」」『東南アジア史 I 大陸部』、360頁。
- ^ 桜井由躬雄「植民地化のベトナム」『東南アジア史 I 大陸部』、337頁。
- ^ a b c 桜井由躬雄「植民地化のベトナム」『東南アジア史 I 大陸部』、336頁。
- ^ a b c d 『東南アジアの歴史―人・物・文化の交流史』162頁
- ^ a b c d e レイ・タン・コイ, p. 173
- ^ a b 『東南アジアの歴史―人・物・文化の交流史』163頁
- ^ a b 飯島明子「植民地化の「ラオス」」『東南アジア史 I 大陸部』、362頁。
- ^ a b 桜井由躬雄「植民地化のベトナム」『東南アジア史 I 大陸部』、339頁。
- ^ 『東南アジアの歴史―人・物・文化の交流史』175頁
- ^ 『東南アジアの歴史―人・物・文化の交流史』179頁
- ^ a b レイ・タン・コイ, p. 174
- ^ a b 桜井由躬雄「植民地化のベトナム」『東南アジア史 I 大陸部』、343頁。
- ^ 桜井由躬雄「植民地化のベトナム」『東南アジア史 I 大陸部』、345頁。
- ^ a b レイ・タン・コイ, p. 175
- ^ 桜井由躬雄「植民地化のベトナム」『東南アジア史 I 大陸部』、346頁。
仏印(ベトナム)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 08:46 UTC 版)
詳細は「ベトナム独立戦争」および「ベトナム戦争#士官学校とインドシナ残留日本兵」を参照 フランスの植民地支配下に戻ったベトナムでは、700人から800人の日本兵が残留 するとともに航空機や戦車をはじめとした兵器が残され、ベトナム独立戦争中の1946年に設立されたクァンガイ陸軍中学などいくつかの軍事学校で旧日本陸軍将校・下士官による軍事教育が行われた。ベトナム独立戦争に参加して戦死した旧日本兵には、烈士墓地に顕彰されているものもいる。日本に帰国した日本兵の一部には後にベトナムから勲章を授与された者もいる。また日越貿易会や日本ベトナム友好協会などの団体を設立し両国の友好関係を続ける。 フランス領インドシナの構成国であったラオスやカンボジアでも残留日本兵は存在したが、ベトナムに比べればその数は僅かであるとされている。
※この「仏印(ベトナム)」の解説は、「残留日本兵」の解説の一部です。
「仏印(ベトナム)」を含む「残留日本兵」の記事については、「残留日本兵」の概要を参照ください。
仏印
仏印と同じ種類の言葉
- >> 「仏印」を含む用語の索引
- 仏印のページへのリンク