マレー作戦とシンガポール華僑粛清事件とは? わかりやすく解説

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マレー作戦とシンガポール華僑粛清事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 10:10 UTC 版)

辻政信」の記事における「マレー作戦とシンガポール華僑粛清事件」の解説

太平洋戦争開戦後マレー作戦第5師団先頭立って直接作戦指導行い敵軍戦車奪取して敵軍陣地突入行った作戦参謀としての任務放棄し第一線命令系統無視して指揮をとることに対して第25軍司令官山下奉文中将マレー作戦中の日記において、「この男、矢張り我意強く小才長じ所謂こすき男にして、国家の大をなすに足らざる小人なり。使用注意すべき男也」と辻を厳しく批判している。また、市川支隊一千人をタイ国軍に変装させてクアラカンサルまで大突破を図るという作戦関与したが、この作戦失敗した本作戦において辻は、紀元節天長節陸軍記念日などの記念日拠点占領する日が来るような実情無視した作戦計画立て作戦部隊の混乱招いている。 シンガポールの戦い英軍破りシンガポール占領した日本軍は、市内華僑20万人一斉検問おこないこの中から抗日分子であると判断した者を大量に処刑したシンガポール華僑粛清事件)が、この敵性華僑剔出処断案は、作戦主任参謀の辻と朝枝繁春起草し山下司令官が決裁したものだった警備本部嘱託として勤務した篠崎護現地陸軍将校も、辻が企画指導した証言している。「抗日分子」の選別は、事前に取り決めた名簿照合する方法厳密に行われていたわけではなく辻参謀現場訪れてシンガポール人口半分にするつもりでやれ」と指示を飛ばすなど、粛清する人数そのもの目的化されていたため、外見人相からそれらしい人物適当に選び出し多数無関係シンガポール華僑殺害された。辻の起案した命令に対して河村参郎昭南警備隊司令官などの指揮官たちは、短期間大量市民から敵性華人選り分けるのは不可能であると上層部抗弁し河村その後虐殺中止するように進言した。 戦後イギリスによる戦犯裁判において、虐殺命令した山下フィリピン勾留1946年2月23日処刑)、辻(逃亡)、朝シベリア抑留)は何れも裁判に姿を見せず前述様に虐殺反対して中止進言した河村参郎司令官と、やはり虐殺反対した大石正幸隊長の2名が現場指揮官として虐殺責任をとられて戦犯として処刑された。上層部命令記録残されておらず、河村等は指揮官虐殺反対意思表示をしたことを証言したが、その主張認められなかった。終戦時バンコクにいた辻は逃亡し行方くらませており、潜伏から再び姿を現わしたのは両名とも処刑された後だった。 マレー作戦終了後1942年昭和17年3月に辻は参謀本部作戦課に呼び戻され作戦班長となった

※この「マレー作戦とシンガポール華僑粛清事件」の解説は、「辻政信」の解説の一部です。
「マレー作戦とシンガポール華僑粛清事件」を含む「辻政信」の記事については、「辻政信」の概要を参照ください。

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