【速射砲】(そくしゃほう)
速射砲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/20 17:41 UTC 版)
速射砲(英語: rapid fire gun)は、短い間隔で続けざまに発射可能な火砲[1]。現代の防衛省規格(NDS)では艦砲に限定した用語とされているが[2]、近代においては野戦砲に対しても用いられていた[3][4]。
- ^ a b 猪口修道「速射砲」『日本大百科全書』株式会社DIGITALIO〈コトバンク〉 。2022年10月19日閲覧。
- ^ 防衛省 2009, p. 27.
- ^ 原田 1918, p. 300.
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- ^ 香田 2015, pp. 32–33.
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速射砲(D0)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/17 15:52 UTC 版)
「パワーローダー (パワードール)」の記事における「速射砲(D0)」の解説
対戦車・対空両用砲を転用した、独立戦争末期に導入され始めた肩装備。初速が高いため、徹甲弾の威力は高いが、榴散弾では近接信管の反応が間に合わないという事態を生み出し、対PLD能力が低下している。独自の3バースト射撃機構を持つため、重量と反動が増大しており、砲弾の消費が激しい。
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速射砲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/22 15:43 UTC 版)
主に対空砲として小型飛行物体の迎撃に使われる、砲身のない箱形のランチャー。その主力は艦橋真下に装備された速射砲スペースバスターで、「宇宙モリ」ハープーンの発射も可能。これは敵艦内部に打ち込み、冷凍ガスを放出して艦内の乗組員を一時的に凍結させるというものである。
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速射砲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 15:12 UTC 版)
1939年当時のソ連軍は、T-34やKV-1のような装甲の厚い戦車を未だ保有せず、高速だが装甲の薄いBT-5(正面装甲厚13 mm)やBT-7(同15-20 mm)、T-26軽戦車(同15 mm)、FAI、BA-3、BA-6、BA-10、BA-20(以上、同6-13 mm)といった装輪装甲車を多数投入した。それに対する日本軍は対戦車戦闘の主力兵器として九四式三十七粍砲、少数ながら(最大で50門)九七式自動砲、九八式20mm高射機関砲も対戦車戦闘に参加、威力を発揮したという(九八式20mm高射機関砲を装備した部隊がノモンハンに投入されたという日本側の記録は無く、類似した構造の九七式自動砲との誤認の可能性もある)。また装甲の薄い装甲車には九三式十三粍重機関銃も非常に効果的であり、前線で即席で砲架を作ったり、球形小架に装着したりして射撃効率を高めていた。 日本軍はこうした対戦車兵器を配置した対戦車防御陣地を構築した。これらの陣地は全周防御を施し、他の拠点と連絡通路で繋がり、互いの火力で連携できるようになっていた。最前線には、火炎瓶を装備した歩兵と対戦車地雷や結束手榴弾を装備した工兵が待ち受ける個人壕が掘られており、つぎに歩兵の数線の塹壕があり、大口径機関銃が配置されている事もあった。そして、陣地の最深部(最前線から150-200 m)に速射砲が設置されてあったが、巧妙に隠匿されており、ソ連軍戦車が300-400 mまで近づいてようやく発見できるかどうかであった。そして各速射砲は3、4個の予備陣地を構築しており、4、5発発射するごとに陣地転換し、ソ連軍からの攻撃を回避していた。各砲はあらかじめ照準調整試射を済ませており、目安となる線や標的を巧みに草や木などで偽装していたため、その標的を基準にした砲撃の精度は極めて高かった。 ソ連軍戦車が接近すると、まずは陣地内の速射砲が正確な砲撃を浴びせ、戦車が前線に近づいてくると、歩兵陣地から大口径機関砲による射撃や、火炎瓶や地雷により歩兵が肉弾攻撃を行った。また時には隣接する砲兵陣地から両翼から野砲による支援射撃も加わり、両翼十字放火を浴びるソ連軍戦車が日本軍の射撃陣地を特定することが困難となり損害を重ねた。ソ連軍戦車に歩兵の随伴が無い場合は、日本兵はソ連軍戦車の視察孔や視察装置内に見える戦車兵を小銃で狙撃してきた。日本軍の対戦車主力兵器となった九四式三十七粍砲はソ連側によれば「いかなる我が軍の戦車の装甲を無理なく撃破貫通」する「非常に軽量で、発見困難な機動兵器」であり、「対戦車戦の優秀な兵器」であることを証明したという評価であった。 日本軍は九四式三十七粍砲を陣地に据えつけているだけではなく、7月3日にハルハ河西岸でソ連軍第11戦車旅団を迎え撃った日本軍の速射砲部隊は、トラックの荷台に速射砲1門を載せて、動かないように土嚢で固定し、車上から砲撃している。林中尉の指揮する速射砲第一中隊および第二中隊の一小隊は、自動車で移動しながら、ソ連軍戦車と遭遇すると車上砲撃を行い、50輌 - 60輌のソ連軍戦車の内41輌を撃破したと報告している。 日本軍はハルハ河西岸での速射砲部隊の活躍により速射砲の威力を認識したため、全満州から速射砲をかき集めてノモンハンに増派することとした。7月22日には関東軍参謀長名で第1師団と第7師団の速射砲30門が第23師団に増派され、実戦に投入された速射砲は62門で、さらに事件末期には230門もの速射砲が新設された第6軍所属となりノモンハンに投入されることとなっていた。 一方、ソ連軍も速射砲から大損害を被った教訓を活かし、8月に入ってからの大攻勢の際は、戦車は一旦日本軍陣地に距離を置いて停止し、戦車砲で遠距離砲撃を浴びせたり、重砲による支援砲撃を十分に加えた後、歩兵を随伴した戦車で日本軍陣地に突入し、歩兵が白兵戦で速射砲を含む日本軍陣地を殲滅するという、歩甲協同攻撃などの対策を講じている。また、BT-7に76.2 mm KT-28榴弾砲を搭載したBT-7A砲兵戦車が、日本軍の速射砲陣地攻撃に威力を発揮した。
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