戦車砲
戦車砲 (CANNON)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/10 10:21 UTC 版)
「TANK!TANK!TANK!」の記事における「戦車砲 (CANNON)」の解説
いわゆる通常弾。1発の最大攻撃力は50であり、全ての武器の中では平均的な性能。弾は無限。この形態でのグラフィックは車体はM1エイブラムスに類似砲塔はM1エイブラムスとレオパルト2A6の物を組み合わせたような形状をしている(水てっぽう以外のパワーアップアイテム所得後の戦車も車体は同じ形状)。
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戦車砲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/18 09:03 UTC 版)
メインウェポン。発射速度が遅く連射も効かないが威力が高い。地上物はもちろん、空中の敵も破壊可能。
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戦車砲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/03/27 09:22 UTC 版)
「52-K 85mm高射砲」の記事における「戦車砲」の解説
1943年、ソ連軍は88mm戦車砲を搭載し、厚い装甲を備えたドイツ軍のティーガーI重戦車に遭遇した。当時のT-34中戦車は76.2mm F-34戦車砲を主砲として装備していたが、この砲ではティーガーIに対抗することは困難だった。このため、軍事計画者たちはV・グラービンとF・ペトロフの設計局に、より強力な戦車砲を設計するよう指示した。新しい砲は52-K高射砲の対戦車砲弾を使用するものとされた。 最初にペトロフらが手掛けたD-5が完成した。この砲は、SU-85自走砲に搭載され、いち早く前線に送られた。一方、グラービンらは第92スターリン工場でZiS-53の設計を進めたが、完成はD-5より遅れた。また、開発中にグラービンが中央火砲設計局(TsAKB)に異動となり、A・サービンがプロジェクトを引き継いだ。これとは別にK・シデレンコのチームがS-18を開発した。 3つの戦車砲はゴロホビエスキー試験場で審査され、ZiS-53が新しいT-34の主砲に選ばれた。ところが、新しい砲塔は先に完成したD-5を前提に設計されていたため、ZiS-53を搭載するには手直しが必要になった。改良された砲塔の準備が整うまで、D-5のサブタイプであるD-5T戦車砲を装備したT-34が生産されることになった。これは、T-34-85 1943年型と呼ばれ、1943年末に生産が始まった。 砲塔が再設計される間、サービンらはZiS-53の改良を行った。新しい砲は彼のイニシャル"S"を加えてZiS-S-53と名付けけられた。ZiS-S-53を装備するT-34-85は1944年型と呼ばれ、1943年型に代わって1944年春から生産された。 後に行われた試験では、85mm戦車砲の威力は元となった高射砲に劣っていることが判明した。このため、新たに122mm対戦車砲が開発されることになった。
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戦車砲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 01:24 UTC 版)
戦車砲の装填にも自動装填装置が利用される場合がある。自動装填装置の採用により装填手の必要がなくなり、採用された戦車は乗員数を1人減らすことができ、従来は4人乗りの主力戦車であれば乗員3人で済むようになった。戦車砲用の自動装填装置は技術的に信頼性の確保が難しいが、技術の発達による信頼性の向上や人員削減の必要への対応(日本・フランスなど)、主砲の大口径化・砲弾の重量増大による人力装填の困難化(ソ連)が自動装填装置の採用を促している。もっとも、装填手を省いて乗員数を減らすことには、燃料弾薬の補充や車体整備や周辺警戒など非乗務任務時の負担増や、乗員が死傷した際交代要員がいない冗長性の不足などのデメリットもあるため、アメリカ軍のM1エイブラムスのように、技術的には利用可能な自動装填装置をあえて搭載しない車両も存在する。 戦車砲用の自動装填装置は、第二次世界大戦頃から試作例が存在した。チェコスロバキアのシュコダ社ではドラム式自動装填装置の開発に着手しており、T-25中戦車(ロシア語版)用に試作された75mm戦車砲A18は、後にドイツのティーガー重戦車に搭載しての射撃試験も行われている。アメリカでは、75mm戦車砲M3(もともとはM4中戦車用)に対応した油圧式自動装填装置をユナイテッド・シュー・マシナリー社が開発し、T22E1試作中戦車(英語版)に搭載されたが信頼性は低く、T22試作中戦車シリーズが火力不足で開発中止となったため量産に至らなかった。日本の五式中戦車は、日本戦車としては大口径の75mm戦車砲を採用したところ、小柄な日本人では75mm砲弾の取り扱いに困難があると思われ、そのような大口径高初速砲塔で転把照準射撃を行った場合の発射速度への懸念された。このため、装弾機付属の半自動式五式七糎半戦車砲(長)I型が採用されたが、動作不良が多く終戦までに少なくとも2度の修正機能試験が行われたが最後まで不具合は解決できないままであった。 その後、以下の様な戦車で自動装填装置が実用化されている。 AMX-13 1952年から量産されたフランスの軽戦車。砲弾は砲塔後部のリボルバー式マガジンから自動装填装置によって砲に装填される。 連射速度は毎分12発。揺動式砲塔(砲ではなく砲塔自体が上下動することにより砲の俯角を取る方式)の採用によって主砲が俯仰しないため、自動装填が容易になっている(ただし、弾倉そのものへの給弾は手動で、しかも車外からでないと行えなかった)。 Strv 103 1966年から量産されたスウェーデンの主力戦車。砲弾は車体後部のリボルバー式マガジンから自動装填装置によって砲に装填される。 連射速度は毎分15発。砲塔を廃して主砲を車体に固定搭載しているため自動装填が容易になっている。 主砲は西側で一般的なL7系列の105mm戦車砲であるが、砲身長の延長と自動装填装置に適合させるために改良されたL74と呼ばれる専用モデルとなっている。 T-64 1964年に確認されたソ連の主力戦車。AMX-13とStrv 103における自動装填装置の採用の目的が車体の小型化にあったのに対し、ソ連の採用理由は弾薬の大型化による連射速度の低下を避け、合わせて車体の小型化を図るためと言われている。 西側諸国に対抗してより大口径の主砲を採用したソ連では弾薬の大型化による装填操作の作業効率低下を問題にし、弾薬を弾体と金属薬莢に納めた発射薬に分離し、これを機力によって自動装填する自動装填装置を開発し、T-64で初めて採用した。最初の装置である6ETs10(ロシア語:6ЭЦ10)型は、砲塔下車体底部を中心に同心円状に並べられた砲弾と発射薬をアーム式の装填装置で掬い上げた後ラマーで砲に装填する機構で、可動部の動作範囲が大きかった。このため砲塔左側に乗務している砲手の右腕を巻きこんで切断する事故が多発したとされ、当時の西側情報筋では、「ソ連戦車の自動装填装置は人を喰う」と揶揄された。そのため、改良型のT-64A以降は主砲をT-72と同じ125mm滑腔砲に換装すると共に、機構を変更し、装置の可動範囲を減少させた6ETs15(ロシア語:6ЭЦ15)型自動装填装置を搭載してこの問題を解決している。 T-72 1974年に確認されたソ連の主力戦車。自動装填装置は試作型/先行量産型はT-64Aと同じ6ETs15型を搭載しているが、本格量産型からは改良型の6ETs40(ロシア語:6ЭЦ40)型に変更されている。 装填機構は砲弾と発射薬をドラム型の揚弾装置で給弾した後に装填アームを用いて個別に装填する可動範囲の少ない方式に変更され、これにより搭乗員の死傷事故は減少したが、砲塔底部に弾薬を並べる基本レイアウトは変わらなかった。そのため、被弾すると容易に弾薬が誘爆し、砲塔が真上に吹き飛ぶような大爆発を起こして全損するケースがよく発生した。湾岸戦争などでその様子が盛んに報道された結果、兵器セールスにも影響した。それを受けて、ウクライナの開発した西側向け派生型T-72-120では西側の戦車のように砲塔後部にバスル(張り出し部)を設け、弾薬庫と自動装填装置を砲塔部に移している。 T-80及びT-80U ソ連の主力戦車でT-64の改良発展型。 ウクライナの開発したT-80Uの発展型T-84やオプロートは基本的にT-72と同じ方式の自動装填装置を搭載しているが、オプロートの西側向け派生型ヤタハーンやロシアで開発されたT-80Uの発展型チョールヌィイ・オリョールなどでは砲塔後部にバスルを設けて弾薬庫と自動装填装置を砲塔部に持つ方式に変更している。 T-90 ロシアの主力戦車でT-72の改良型。T-72と同方式の自動装填装置を採用しており、弾薬を砲塔底部に同心円状に並べる配置を踏襲している。 開発元では進歩した自動消火装置と弾薬収納部上面への弾片防止ライナーの装備でT-72に比べ被弾時の安全性は飛躍的に向上しており、T-72のような脆弱性はない、としている。発展型のT-90MSは砲塔後部にバスルを持つ新型砲塔に変更されており、弾薬庫と自動装填装置を砲塔後部に持つ方式に変更されている。 90式戦車 1990年に正式採用となった日本の主力戦車。西側諸国の第3世代型戦車で自動装填装置を採用した最初の戦車でもある。砲塔後部にはベルト式マガジンがあり、弾数は防衛機密のため公表されていないが、軍事書籍によると16-18発が搭載されているという複数の見方がある。 連射速度は毎分15発。マガジンへの装填は砲塔上面の専用ハッチに加え、砲塔内からも可能。装填動作中のラマーに足を引っ掛けられて乗員が負傷した事例が報道されている。 ルクレール 1991年に配備が始まったフランスの主力戦車。 砲塔後部にベルト式マガジンを備えた自動装填装置を採用しており、弾数は22発、連射速度は毎分15発。砲手の指示でベルトが廻り、指示された砲弾を装填ラックに供給し、ラマーが装填する。再装填は砲塔後面の装填ハッチに加え、車内からも可能。 メルカバ イスラエルの国産主力戦車。 乗員の保護を第一に考えた独自の設計で知られているが、120mm砲を装備した最新のMk.4に至るまで自動装填装置は装備されておらず、乗員は4人である。これは開発チームを率いるイスラエル・タル将軍の「戦車が生き残るには最低4名の乗員が必要」「被弾率の高い砲塔には極力砲弾を置かない」という思想に基づくものだが、Mk.4では戦闘時の装填作業の迅速化と労力軽減のために、砲塔内に10発入りのリボルバー式マガジンが設置されており、必要な砲弾の種類を入力すると自動的に装填手の手元に供給される様になっている。 10式戦車 日本が開発した次期主力戦車。90式の後継に当たる。(厳密には74式戦車の置換用に開発されたので90式戦車の後継でなく74式戦車の後継となる) 自動装填装置は強い揺れや衝撃など高外乱を受けても確実に装填できるよう構造が最適化された。これにより不整地走行時の装填の安定性向上や、従来より早い装填速度を達成している。。それに加え90式の自動装填装置の70%ほどの重量に軽量化されている。
※この「戦車砲」の解説は、「自動装填装置」の解説の一部です。
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