守備隊
守備隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/31 04:39 UTC 版)
「第二次チャールストン港の戦い」の記事における「守備隊」の解説
北軍は「グランドガード」の塹壕前線に入る兵士を常にローテーションしていた。8月16日夜、南軍の破裂弾が、その日グランドガードの指揮官だったジョシュア・B・ハウェル大佐の本部にしていた防空壕を突き破って破裂した。砲弾の破片がハウェル大佐の頭に当たり、重傷を負わせた。ハウェルは直ぐに快復したものの、この事件により北軍指揮層は塹壕前線に専ら古参兵を使うようにした。南軍もワグナー砦とグレッグ砲台の間で常に兵士のローテーションを行っていた。夜の間にボートで本土から新しい兵士を運んで守備兵と入れ替えていた。南軍はワグナー砦でそこそこの勝利を得ていたが、この作戦が続くものと予測していた。作戦を継続するためにP・G・T・ボーリガード将軍から大勢の守備隊を引き出して備えていた。チャールストン周りの南軍を直接指揮するのは、元職業軍人であり、サウスカロライナ州の実業家でもあったロスウェル・S・リプリーだった。リプリーの軍はチャールストン港を取り巻く陣地に広がっており、地元サウスカロライナ州の民兵隊師団が含まれていた。北軍のギルモアとジョン・A・ダールグレン提督は北軍総司令官であるヘンリー・ハレックに援軍を要請した。ハレックは躊躇したが、それでもポトマック軍から1個師団をジョージ・H・ゴードンの下につけて派遣してきた。北軍ノースカロライナ方面軍指揮官のジョン・G・フォスター将軍が援軍の1個師団を熱狂的に派遣し、ギルモアに「チャールストンは大変重要なので、勝てそうなときは失敗してはならない」と告げた。
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