田中頼三とは? わかりやすく解説

田中頼三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/04 01:54 UTC 版)

田中 頼三(たなか らいぞう、1892年明治25年)4月27日 - 1969年昭和44年)7月9日)は、日本海軍軍人海兵41期。最終階級海軍中将


  1. ^ 水雷学校高等科を優等で卒業している。
  2. ^ 大正9年11月19日付 海軍公報 第2444号。
  3. ^ 昭和16年9月15日(発令9月15日付)海軍辞令公報(部内限)第713号 p.26」 アジア歴史資料センター Ref.C13072082100 
  4. ^ a b c d e f g h #奥宮、太平洋戦争337-339頁「田中頼三少将」
  5. ^ 戦史叢書28 1969, p. 239.
  6. ^ a b c d 奥宮 2000, 第二章 二五人の提督と参謀 一九、田中頼三-国の内外で評価が異なる司令官
  7. ^ 昭和17年12月31日(発令12月29日付)海軍辞令公報(部内限)第1022号 p.12」 アジア歴史資料センター Ref.C13072088700 
  8. ^ 昭和18年2月5日(発令2月5日付)海軍辞令公報(部内限)第1048号 p.45」 アジア歴史資料センター Ref.C13072089600 
  9. ^ 昭和18年10月1日(発令10月1日付)海軍辞令公報(部内限)第1228号 p.24」 アジア歴史資料センター Ref.C13072093500 
  10. ^ a b #完本太平洋戦争上296頁
  11. ^ #戦藻録(1968)174頁
  12. ^ #戦史叢書83ガ島戦26頁
  13. ^ #戦史叢書83ガ島戦27-28頁
  14. ^ #戦藻録(1968)179頁
  15. ^ #高松宮日記4巻492頁
  16. ^ a b c d e f #戦史叢書83ガ島戦31-33頁「増援部隊指揮官の更迭」
  17. ^ #戦藻録(1968)181頁。及び木俣滋郎「日本水雷戦史」189、191頁
  18. ^ #戦史叢書83ガ島戦31頁及び木俣滋郎「日本水雷戦史」190頁
  19. ^ #高松宮日記4巻489頁(高松宮親王は「遂ヒニ第八艦隊モ怒ッテ第二水雷戦隊ヲ追ヒカヘシタ。コレ位ノ処置ヲセネバ、コノ戦況ヲヤッテハユケヌ」と評している)
  20. ^ #戦藻録(1968)182頁
  21. ^ #戦史叢書83ガ島戦163頁
  22. ^ #戦史叢書83ガ島戦349頁
  23. ^ #戦史叢書83ガ島戦380頁
  24. ^ #戦史叢書83ガ島戦381頁
  25. ^ a b c d e #戦史叢書83ガ島戦397-398頁「第二次輸送船団の壊滅」
  26. ^ #連合艦隊の栄光(角川)155頁
  27. ^ #戦藻録(1968)253頁
  28. ^ a b #戦史叢書83ガ島戦436頁
  29. ^ #戦史叢書83ガ島戦441頁
  30. ^ #高松宮日記5巻296-297頁「三和第十一航空艦隊先任参謀《聯合艦隊ヨリ新着任》ヒラキナホツテ、駆逐艦輸送ヲ止メルコトヲ申シイレタノデ《十一日一回実施ノ切札ヲ長官、軍司令官ノ話合ニトツテオイタツモリナランモ、陸軍側トシテハ、話ノ余地ナキ印象ヲ受ケタル形ナリシ由」
  31. ^ #高松宮日記5巻298-299頁
  32. ^ a b c #戦史叢書83ガ島戦446-447頁「第四次ガ島ドラム罐輸送」
  33. ^ 英語版記事によるとPT-37、40である。
  34. ^ #戦藻録(1968)262頁
  35. ^ #主計大尉152頁
  36. ^ #主計大尉153頁
  37. ^ #戦藻録(1968)264頁
  38. ^ a b #高松宮日記5巻335-336頁「参謀総長『ガ』島作戦ニツキ奏上。海軍デ輸送ヲヨクヤラヌト云フ現地電報ニツイテ申上ゲタ(略)現地伝ハ十一日夜ノ駆逐艦ドラム缶輸送モ駆逐艦ガ遠クカラ周章トシテ投ゲ出シタノデ、一二〇〇缶中二五〇ヨリトレナカツタ等アリ。辻中佐ノ(ママ)『カンゝ』ニナツテルノデ、ソンナコトマデ奏上シタ」
  39. ^ #高松宮日記4巻19頁
  40. ^ #高松宮日記4巻496-497頁
  41. ^ 秦 2005, p. 488, 第2部 陸海軍主要職務の歴任者一覧-11.艦長-神通
  42. ^ a b #完本太平洋戦争下452頁および高戸顕隆著『海軍主計大尉の太平洋戦争』より
  43. ^ #連合艦隊の栄光(角川)156-157頁「米戦史、敵将たたう」
  44. ^ a b c #完本太平洋戦争上294頁
  45. ^ #波濤を越えて16頁
  46. ^ #完本太平洋戦争上300頁
  47. ^ #波濤を越えて76頁
  48. ^ a b #完本太平洋戦争上295頁
  49. ^ 中西輝麿の著編『昭和山口県人物誌』、升井卓弥 編『山口県百科事典』 において「ケネディ大統領水雷艇を撃沈したエピソードがある」とあるのは、双方の人事異動等の時期から勘案すると誤り。ケネディの水雷艇「PT-109」を日本が撃沈したのは駆逐艦「天霧」であり、時期はガダルカナル撤退作戦後の1943年(昭和18年)8月1日コロンバンガラ島輸送作戦の時で艦長は花見弘平少佐であった。一方、駆逐艦「照月」の沈没は1942年(昭和17年)12月12日である。






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