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い号作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/05/23 06:49 UTC 版)

い号作戦(いごうさくせん)とは、日本海軍が1943年4月7日から15日にかけて第十一航空艦隊第三艦隊所属の艦載機により、ガダルカナル島ニューギニア島南東部のポートモレスビーオロ湾ミルン湾に対して空襲を行った作戦である。


  1. ^ 戦史などではこのパイリーを「コルベット艦」と表記するケースもあるが、「HMAS Pirie」はオーストラリア海軍の正式な艦種区分では「Minesweepers」(掃海艇)である。HMAS Pirie (I)”. Sea Power Centre Australia. 2012年5月21日閲覧。
  1. ^ #戦史39、p89~p103
  2. ^ #戦史39、 p115
  3. ^ #戦史96 、p80~p81
  4. ^ #戦史39、p117
  5. ^ これは機動部隊を2隊編成するという案であり、具体的には第二航空戦隊の第二艦隊への編入が提案されていた。#戦史39、p50~p55
  6. ^ #戦史39、p117
  7. ^ 軍令部第一課長山本親雄および南東方面艦隊司令長官草加任一の回想。#戦史39、p117~p118
  8. ^ #千早、p121~p122
  9. ^ ただし、戦務参謀である渡辺が担当したのは「ケ号作戦」とニューギニア方面の輸送作戦であり、い号作戦は航空参謀である樋端久利雄が担当した。#戦史96、p106
  10. ^ #戦史39p118
  11. ^ #戦史96、p106
  12. ^ #千早、p126~p130
  13. ^ この口述書は、山本五十六戦死後の4月28日「山本聯合艦隊司令長官作戦指導ノ為『ラボール』進出及『ショートランド』方面実視ニ至ル経緯竝ニ所見」として海軍次官に報告されたものである。#戦史96、p104~p105
  14. ^ #戦史96、p107~ p109
  15. ^ #戦史39、p122~p123
  16. ^ この内艦攻隊はカビエンにて訓練、対潜哨戒に任じ、直接攻撃には参加していない。また基地航空部隊の機数は常用定数であり、作戦開始時にはほぼ定数を満たしていたとされる。#戦史96、 p109~p110
  17. ^ #戦藻録、p281
  18. ^ #戦史96、p112~p114
  19. ^ #戦史96、p112
  20. ^ #戦史96、p112~p115
  21. ^ #飛鷹、「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08051584800、昭和17年10月~昭和18年4月 飛鷹飛行機隊戦闘行動調書 (防衛省防衛研究所)」第48画像目
  22. ^ 両者の航空機の損失については、#梅本、p108から、連合軍艦船の損害に関しては以下のサイトから引用した。Miller, John, Jr. (1959年). “CARTWHEEL: The Reduction of Rabaul”. United States Army in World War II: The War in the Pacific. Office of the Chief of Military History, U.S. Department of the Army. pp. 42-44. 2012年4月24日閲覧。
  23. ^ #戦史96、p112~p115
  24. ^ #戦史96、p116~p117
  25. ^ #梅本、p98~p100
  26. ^ Miller, John, Jr. (1959年). “CARTWHEEL: The Reduction of Rabaul”. United States Army in World War II: The War in the Pacific. Office of the Chief of Military History, U.S. Department of the Army. pp. 43. 2012年4月27日閲覧。
  27. ^ #戦史39、p126~p126
  28. ^ #戦史96、p119
  29. ^ #梅本、p114
  30. ^ #戦史96、p119
  31. ^ #梅本、p111~p114
  32. ^ #戦史96、p120
  33. ^ 連合軍戦闘機の損害については、#梅本、p16~p20から、その他の損害は、#戦史96、p121~p122、から引用。
  34. ^ #戦史96、p122~p123
  35. ^ #戦史96、p123
  36. ^ Cargo for the Jungle: KPM ships in New Guinea”. Royal Netherlands Navy Warships of World Wae Ⅱ. 2012年4月23日閲覧。同船の最期についてはオーストラリア公刊戦史などに座礁の記録もあるが Cargo for the Jungle では座礁の後沈没とある。
  37. ^ USAAF CHRONOLOGY- ,APRIL-JANE 1943”. US Air Force. 2012年4月24日閲覧。
  38. ^ #戦史96、p123
  39. ^ #戦史96、p123~p124
  40. ^ #戦史96、p124
  41. ^ Australia in the War of 1939–1945. Series 2 – Navy - Volume Vol2, Volume II – Royal Australian Navy, 1942–1945, CHAPTER 9 THE SUPPLY LINES BATTLE”. Royal Australian Navy. pp. 281-282. 2012年4月23日閲覧。(pdfファイル)
  42. ^ #戦史96、 p124~p126
  43. ^ #戦史39、p129~p130
  44. ^ #奥宮、p238~p239
  45. ^ #外山、p55~p56,
  46. ^ #佐藤、p128
  47. ^ #>梅本、p124
  48. ^ #ニミッツ、ポッター P.162
  49. ^ #ポッター、p345~p346
  50. ^ #ウィロビー、p222
  51. ^ >Australia in the War of 1939–1945. Series 2 – Navy - Volume Vol2, Volume II – Royal Australian Navy, 1942–1945, CHAPTER 9 THE SUPPLY LINES BATTLE”. Royal Australian Navy. pp. 282. 2012年4月23日閲覧。(pdfファイル)
  52. ^ Reports of General MacArthur - JAPANESE OPERATIONS IN THE SOUTHWEST PACIFIC AREA VOLUME II - PART I”. U.S.Army. pp. 207. 2012年4月25日閲覧。
  53. ^ 上記の日本軍の損害と消耗数が一致していないが、消耗数には10月15日の空襲による被害や作戦後被弾のため廃棄された物、作戦中事故や故障など様々な要因で廃棄された機体も含む為と思われる。#戦藻録、p288
  54. ^ この後一航戦がトラックに再進出するのは7月15日のことである。#戦史96、 p127
  55. ^ #戦史96、p
  56. ^ #戦史39、p130
  57. ^ #戦史96、p117
  58. ^ #戦史7、p225
  59. ^ #戦史66、p376
  60. ^ #戦史7、p227~p228
  61. ^ #戦史7、p201
  62. ^ #戦史66、p370
  63. ^ #戦史7、p222~p224
  64. ^ この時期の同方面への輸送船団が航空機による妨害を受けないことは非常にまれなことである。#戦史96、p133
  65. ^ #戦史66、p369
  66. ^ #戦史7、p227
  67. ^ #戦史96、p36、p61
  68. ^ #戦史96、p32~p33
  69. ^ #戦史83、p540
  70. ^ #戦史96、p34~36
  71. ^ #戦史96、p49~p79
  72. ^ #戦史83、p250
  73. ^ #戦史38、p346~p347
  74. ^ #戦史38、p340~p341
  75. ^ #戦史96、p225
  76. ^ #戦史96、p243
  77. ^ #戦史96、p310
  78. ^ この時の進出機は戦闘機61機、艦爆18機、艦攻18機であり、これは隼鷹、飛鷹、龍鳳各飛行機隊から派遣されていた。#戦史96、p475
  79. ^ 以上の二航戦飛行機隊の変遷については上記のほか、#奥宮、p267~p268、p292、p338~p347、p378~p379、p386、を参考にした。
  80. ^ Index for Location of U.S. Naval Aircraft (1942 through September 1945), 5/Sep/1942~5/Nov/1942”. NAVAL HISTORY AND HERITAGE COMMAND. 2012年4月23日閲覧。(pdfファイル)
  81. ^ Index for Location of U.S. Naval Aircraft (1942 through September 1945,12/May/1943”. NAVAL HISTORY AND HERITAGE COMMAND. 2012年4月23日閲覧。(pdfファイル)
  82. ^ Index for Location of U.S. Naval Aircraft (1942 through September 1945),24/Feb/1943~21/Apr/1943”. NAVAL HISTORY AND HERITAGE COMMAND. 2012年4月23日閲覧。(pdfファイル)
  83. ^ 米軍は空母に航空兵力を補充する際、固有の航空団に機材、搭乗員を補充するだけではなく、必要に応じて新たな航空団を空母に派遣し、航空団ごと入れ替えるなど柔軟に空母航空団を運用していた。#歴史群像、p185~p186
  84. ^ #戦史80、p459~p461
  85. ^ #戦史39、p130~p134
  86. ^ #戦史39、p139
  87. ^ #戦史39、p431







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