決行
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黒田邸の1棟には家扶の鵠沼文見人が住んでいて、在京の秋月人が旧藩主へのご機嫌伺いに時々訪れていた。鵠沼の妻は六郎の伯母の長女・わかで、六郎の従姉妹にあたる。鵠沼の家を訪れた六郎は、留守だったので待たせてもらい、2階に上がった。2階は旧秋月藩士たちが集まる場所になっていて、いくつかの火鉢や机が置いてあった。そのうち鵠沼が戻り、無沙汰を詫び近況を報告した。幸い鵠沼は亘理暗殺事件のかなり後にわかと結婚したので、事件の事はあまり知らず、気安く世間話をしていると、階段を上がってくる足音がして、障子が開くとそこには一瀬の姿があった。六郎は思わず息をのむが、気配を悟られないよう顔を伏せた。一瀬は会釈して少し離れて座り、誰かを待つ風であった。六郎は懐の短刀に手を伸ばすが、階段から足音がして白石真忠と原田種中2人の旧藩士が入ってきた。この場で飛び出せば邪魔が入る事は確実で、この好機を逃すと積年の辛苦も水の泡になる、ならば帰途を狙うかと焦るが、一瀬が郵便を出すのを忘れていたと言い出した。階下の下男に頼んで来ると言い、その場の後輩たちが出して来ましょうかと言ったが、一瀬はそれを断って階段を降りていった。六郎ははやる気持ちを抑え、鵠沼に厠の場所を訪ねて、階下と聞くと「失礼」と部屋を出た。 階段を降りた辺りに一瀬の姿は見えず、六郎は階下の小部屋にある屏風の陰に身を潜めた。懐の短刀を取り出し、帯に挟んで身を整えた。そこに下男に手紙を渡して引き返して来た一瀬が階段を上ろうとした時、「父の仇、覚悟せよ」と声を掛けた。一瀬は顔色を変え表を指して逃げようとするが、追いかけて左手に襟元をつかみ、右手の短刀を抜いて喉元目がけて突き刺した。しかし襟元にあたって突き損ね、手早く取り直して胸部を刺さすと、一瀬が「ナァーニコシャクナ」と叫び組み付いて来た。六郎は「父の仇、思い知れ」と再び胸部を刺し、一瀬は「乱暴、乱暴」と叫び、六郎は「奸賊思い知れ」と言い、力を極めて格闘の末、六郎は一瀬を組み伏せて馬乗りになると、その喉を突き、さらに動脈を切断してとどめを刺した。 上京して4年、事件の日から13年目に六郎は本懐を遂げた。 六郎は鵠沼に旧藩主邸でこのような事件を起こした事を詫びようと2階に上がったが、障子で塞がれていたので諦めて階下に降り、血に染まった羽織を脱ぎ捨て短刀を持って表に出ると、鵠沼が屋上から「六郎何をしたのか」と声をかけた。「父の仇をいま討ったのだが、尊家を汚して申し訳ない。この罪をお許しください」と言い残し、自分の異様な様に通行人を騒がせないよう、人力車を拾って京橋警察署に自首した。
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決行
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「グリゴリー・ラスプーチン」の記事における「決行」の解説
暗殺決行の数日前、ユスポフはモイカ宮殿の新築祝いのパーティーにラスプーチンを誘い、その際、美人と評判だった妻イリナ・アレクサンドロヴナと引き合わせることをほのめかした(ユスポフは「妻は暗殺とは無関係だった」と語っている)。 12月16日夜、ユスポフはスタニスラフ・デ・ラゾヴェルト博士と共にラスプーチンのアパートを訪問した。翌17日午前1時、ユスポフは改築したモイカ宮殿にラスプーチンを招待した。案内された部屋は防音設備が施されており、ラスプーチン暗殺のためにワインセラーを改築した部屋だった。プリシケヴィチの証言によると、窓際にはラスプーチンが好む甘口を含む4種類のワインが置かれていたという。2階の応接室には暗殺メンバーのドミトリー大公、プリシケヴィチ、ラゾヴェルト、スホーチン大尉の他、ユスポフの母ジナイダ・ユスポヴァの友人がいた。ロマノフ家と親しかった美術商アルバート・スタフォード(英語版)は、同席していた友人はフョードル・アレクサンドロヴィチ公とニキータ・アレクサンドロヴィチ公だと推測している。また、この他にも複数の女性が同席していたが、ユスポフは女性の名前を生涯明かさなかった(マリアンヌ・ピストルコルズ(英語版)とヴェラ・カラーリィ(英語版)という説がある)。 ユスポフの回顧録によると、ユスポフは青酸カリを盛ったプチフールと紅茶をラスプーチンに用意したという。しかし、ラスプーチンは毒入りの食事を平らげた後も態度に変化を示さず、ユスポフを驚愕させた。ユスポフはラスプーチンにデザートワインを飲ませ暫く談議していた(政治もしくは神秘主義について話し合っていたという)。数時間後、ラスプーチンが泥酔したことを確認したユスポフは応接室に向かい、ドミトリー大公からリボルバーを受け取った。ユスポフは部屋に戻ると、背後からラスプーチンに向かって2発発砲した。銃弾はラスプーチンの心臓と肺を貫通し、彼は床に倒れ込んだ。 しかし、死んだと思われたラスプーチンは起き上がり、「目を見開き、自らの危機を知った」という。驚愕したユスポフは階段を駆け上がり中庭に逃れ、騒ぎを聞いて駆け付けたプリシケヴィチがラスプーチンに向かい拳銃を4発発砲した。4発の内3発は外れたが、1発は右腎静脈から背骨を貫通し、ラスプーチンは雪の上に倒れた。しかし、ラスプーチンは起き上がったため、神経質になったユスポフは靴でラスプーチンの右目を殴り、その後、ラスプーチンは額を拳銃で撃たれた。 同じ頃、周囲を巡回していた警官二人が銃声とモイカ宮殿から出て行く車を目撃した。ユスポフたちはラスプーチンの遺体の処理について相談し、ペトロフスキー橋(英語版)から遺体を捨てることに決めた。プリシケヴィチは警官に「ラスプーチンを撃ったのは自分だ」と自慢したが、事態の重大さを認識すると「皇帝のためにやったことだ」と弁明した。スホーチンはラスプーチンの生存を偽装するため、彼のコート、雨靴、手袋を着用し、ドミトリー大公とラゾヴェルトと共にプリシケヴィチの車に乗り込んだ。スホーチンたちはプリシケヴィチの屋敷の暖炉でラスプーチンの衣服を焼却しようとしたが、プリシケヴィチの妻に拒否されたため、そのままモイカ宮殿に戻った。モイカ宮殿に戻ったドミトリー大公は絨毯で簀巻きにした遺体を車に積み込みクレストフスキー島(英語版)に向かい、橋の上から凍りついたネヴァ川に氷を割って開けた穴に遺体を捨てた。
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決行
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前田は、7月11日決行に腹を決めて指令を発し、10日夜、明治講会館に集合したところを検挙された。検挙されたのは、同人をはじめ、影山正治・白井為雄・村岡清蔵(以上、行動隊東京部)、片山駿(同満州組)以下49名であった。 同夜、水戸から大型バスに乗って上京した行動隊茨城組の小池銀次郎など30余名は、検挙の模様に気付いて明治神宮外苑から引き返して土浦に帰ったところを、鈴木善一は検挙をしらずに11日朝に明治講会館に現われたところを、それぞれ検挙された。 山口中佐は11日朝、前田以下が一斉検挙されたことを知り、予定の行動を中止した。
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決行
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1913年1月23日の14時30分、エンヴェルは統一派のメンバー数十人を率いて大宰相府へと向かう。大宰相府へと向かう道中、統一派のスポークマンであったオメル・ナジが群衆を扇動し、大宰相府へと向かう群衆の数は次第に膨れ上がっていった。集団が大宰相府の門の前にまで到着すると、大宰相府を警護するはずの守衛は何の行動も起こさずにエンヴェルたちを見守った。その後群衆が落ち着くのを待ってオメル・ナジが再び祖国愛に訴えかける演説を行い、演説で興奮した群衆の声援を背に統一派は15時に大宰相府への突入を開始する。大宰相府側はこのデモ隊の到着を最初は危険視していなかったものの、投石などで窓が割られ始めると大宰相のキャーミル・パシャは戸締りを行うように側近に命じたという。 突入からわずかな時間のうちに、突入を阻止しようと出てきた大宰相府の警備員や軍人との間で銃撃戦が始まり、双方に死傷者が出たものの、統一派は勢いに乗じて大宰相府の奥深くへと侵入した。そしてこの襲撃の過程で陸軍大臣ナーズム・パシャが統一派のメンバーであるヤクブ・ジェミルによって射殺されたのである。ナーズムの最期に関してはいくつかの説があり、現在では大きく分けて二つの場面が伝わっている。一つ目は円卓に腰かけたナーズムが落ち着いて襲撃者たちに語りかけたところ、興奮したジェミルによって射殺されたというもので、二つ目は銃声を聞いて様子を伺いに部屋から出てきたナーズムが、出合頭にジェミルによって殺害されたというものである。 その後、大宰相のキャーミルを発見したエンヴェルは拳銃をキャーミルへと向けて辞任を迫り、スルタンへの辞表の作成を要求した。エンヴェルから逃れられないことを悟ったキャーミルは辞表を作成したが、エンヴェルは辞表の中に「人民の要求で私は辞任する。」という文言を入れることを要求し、キャーミルに行わせた。 クーデターはわずか数十分のうちに終了し、大宰相府から出てきた統一派の襲撃者たちは建物を取り囲む群衆の「国家万歳!統一と進歩委員会万歳!」という歓声に迎えられた。
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決行
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6月27日早朝、実行メンバーらは都内のうまかろう安かろう亭で行われた省庁制発足式から上九一色村に帰還。 14時頃、端本らが富士宮市で作業服などを購入して戻ってくると、端本らに対して新実から「では、説明しておきます。」「これから松本にガス撒きに行きまーす!」「マンジュシュリー正大師のワークを邪魔するものはボコボコにして構わない」、などと軽い口調で作戦が伝えられた。端本が警備中に戦闘になったら殺してもいいのかと心配すると新実は「いいんじゃないですかあ。主に闘うのは警官になると思います。闘っている間に我々は逃げますから、あとはよろしく」と適当に答えた。 夕方、一行は端本が運転し村井が同乗したサリン噴霧車と、富田が運転する護衛部隊のワゴン車に分乗し出発。土谷正実によると、この時新実らは教団内の隠語でサリンを指す魔法使いサリーの歌を車内で合唱していたという。 20時頃、塩尻市内のドライブインにて新実と村井が相談の上、長野県松本市北深志にある裁判官官舎への攻撃に作戦を変更、電話で麻原の合意を得た。これはNシステムを避けるため高速道路を使わなかったこと、サリン12リットルの注入に手間取ったこともあって、到着時間が遅くなり、長野地方裁判所松本支部は既に閉まっている時間となっていた為であった。 22時頃、裁判所宿舎付近に到着すると、駐車場にてナンバープレートを偽装しつつ村井が噴霧地点を策定、噴霧を決行した。 22時50分頃、サリンが尽き発車。 麻原は、松本サリン事件後に井上嘉浩に対して「俺も無差別(殺人)はつらいんだよ。でもアーナンダ(=井上嘉浩)、ヴァジラヤーナの救済のためには仕方がないんだよ」と語ったという。
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決行
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決行に当たっては桜田門外の変に倣い、それぞれが変名を用いた斬奸趣意書を携えていた。文久2年(1862年)1月15日午前8時頃、信正老中の行列が登城するため藩邸を出て坂下門外に差しかかると、水戸藩浪士・平山兵介(細谷忠斎)、小田彦三郎(浅田儀助)、黒沢五郎(吉野政介)、高畑総次郎(相田千之助)、下野の医師・河野顕三(三島三郎)、越後の医師・河本杜太郎(豊原邦之助)の6人が行列を襲撃した。水戸藩浪士・川辺左次衛門も計画に参加していたが、遅刻したため襲撃に参加出来なかった(なお、黒沢と高畑は第一次東禅寺事件の参加者である)。 最初に直訴を装って河本杜太郎が行列の前に飛び出し、駕籠を銃撃した。弾丸は駕籠を逸れて小姓の足に命中、この発砲を合図に他の5人が行列に斬り込んだ。警護の士が一時混乱状態に陥った隙を突いて、平山兵介が駕籠に刀を突き刺し、信正は背中に軽傷を負って一人城内に逃げ込んだ。桜田門外の変以降、老中はもとより登城の際の大名の警備は軒並み厳重になっており、当日も供回りが50人以上いたため、浪士ら6人は暗殺の目的を遂げることなく、いずれも闘死した。警護側でも十数人の負傷者を出したが、死者はいなかった。 遅刻した川辺は長州藩邸に斬奸趣意書を届けた後、切腹した。実質的な首謀者であった大橋は実行者たちを手助けした容疑で宇都宮藩に預けられ、すぐに死去した。一説では毒殺であったといわれる。また、佐賀の中野方蔵は大橋と交友があったために捕らえられ、五月二十五日に獄死した。その死は親友である江藤新平が翌月の六月二十七日に脱藩する行動に影響を与えた(毛利敏彦「江藤新平」)。
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決行
「決行」の例文・使い方・用例・文例
- 運動会は小雨決行です
- ハンストを決行する
- マラソン大会は雨天でも決行される
- 堅固な努力を決行する
- 雨天でも決行します。
- 雨天の場合も決行いたします。
- 試合は雨天決行です。
- その会社の労働者はストを決行した。
- スト決行中.
- ストを決行する.
- 雨天決行.
- 雨が降ろうが降るまいが, 決行するまでだ.
- 雨天決行. 【掲示】
- 警察は今朝暴力団本部の強制立入り捜索を決行した.
- 経営者のいやがらせにもかかわらず, 彼らはストを決行した.
- ワシントンはイラクへの空爆を決行した.
- 小雨決行. 【掲示】
- 準備万端あい整いました. 後は決行の機を待つのみであります.
- スト決行中. 【掲示】
- 彼は大改革を決行した
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