決行とは? わかりやすく解説

けっ‐こう〔‐カウ〕【決行】

読み方:けっこう

[名](スル)思い切って実行すること。「悪天をついて登頂を—する」「スト—中」


決行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 14:41 UTC 版)

臼井六郎」の記事における「決行」の解説

黒田邸の1棟には家扶鵠沼文見人が住んでいて、在京秋月人が旧藩主へのご機嫌伺いに時々訪れていた。鵠沼の妻は六郎伯母長女・わかで、六郎従姉妹にあたる。鵠沼の家を訪れた六郎は、留守だったので待たせてもらい、2階上がった2階は旧秋月藩士たちが集まる場所になっていて、いくつかの火鉢置いてあった。そのうち鵠沼戻り無沙汰詫び近況報告した。幸い鵠沼亘理暗殺事件のかなり後にわかと結婚したので、事件の事はあまり知らず気安く世間話をしていると、階段上がってくる足音がして、障子が開くとそこには一瀬の姿があった。六郎は思わず息をのむが、気配悟られないよう顔を伏せた。一瀬は会釈して少し離れて座り誰かを待つ風であった六郎は懐の短刀手を伸ばすが、階段から足音がして白石真忠と原田中2人の旧藩士が入ってきた。この場で飛び出せ邪魔が入る事は確実で、この好機を逃す積年辛苦水の泡になる、ならば帰途を狙うかと焦るが、一瀬が郵便を出すのを忘れていたと言い出した階下下男頼んで来ると言いその場後輩たちが出してましょうかと言ったが、一瀬はそれを断って階段降りていった。六郎はやる気持ち抑え鵠沼に厠の場所を訪ねて階下聞くと「失礼」と部屋出た階段降りた辺りに一瀬の姿は見えず六郎階下小部屋にある屏風陰に身を潜めた。懐の短刀取り出し、帯に挟んで身を整えた。そこに下男手紙渡して引き返して来た一瀬が階段上ろうとした時、「父の仇覚悟せよ」と声を掛けた。一瀬は顔色変え表を指して逃げようとするが、追いかけ左手襟元をつかみ、右手短刀抜いて喉元目がけて突き刺した。しかし襟元にあたって突き損ね手早く取り直して胸部を刺さすと、一瀬が「ナァーニコシャクナ」と叫び組み付いて来た。六郎は「父の仇思い知れ」と再び胸部刺し、一瀬は「乱暴、乱暴」と叫び六郎は「奸賊思い知れと言い、力を極めて格闘の末、六郎は一瀬を組み伏せ馬乗りになると、その喉を突き、さらに動脈切断してとどめを刺した上京して4年事件の日から13年目に六郎本懐遂げた六郎鵠沼旧藩主邸でこのような事件起こした事を詫びようと2階上がったが、障子塞がれていたので諦めて階下降り、血に染まった羽織脱ぎ捨て短刀持って表に出ると、鵠沼屋上から「六郎何をしたのか」と声をかけた。「父の仇をいま討ったのだが、尊家汚して申し訳ない。この罪をお許しくださいと言い残し自分異様な様に通行人騒がせないよう人力車拾って京橋警察署自首した

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決行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 08:42 UTC 版)

グリゴリー・ラスプーチン」の記事における「決行」の解説

暗殺決行の数日前ユスポフモイカ宮殿新築祝いパーティーラスプーチン誘いその際美人評判だった妻イリナ・アレクサンドロヴナ引き合わせることをほのめかしたユスポフは「妻は暗殺とは無関係だった」と語っている)。 12月16日夜、ユスポフはスタニスラフ・デ・ラゾヴェルト博士と共にラスプーチンアパート訪問した。翌17日午前1時、ユスポフ改築したモイカ宮殿ラスプーチン招待した案内され部屋防音設備施されており、ラスプーチン暗殺のためにワインセラー改築した部屋だった。プリシケヴィチの証言によると、窓際にはラスプーチンが好む甘口を含む4種類ワイン置かれていたという。2階応接室には暗殺メンバードミトリー大公、プリシケヴィチ、ラゾヴェルト、スホーチン大尉の他、ユスポフの母ジナイダ・ユスポヴァ友人がいた。ロマノフ家親しかった美術商アルバート・スタフォード(英語版)は、同席していた友人フョードル・アレクサンドロヴィチ公とニキータ・アレクサンドロヴィチ公だ推測している。また、この他にも複数女性同席していたが、ユスポフ女性の名前生涯明かさなかった(マリアンヌ・ピストルコルズ(英語版)とヴェラ・カラーリィ(英語版)という説がある)。 ユスポフ回顧録によると、ユスポフ青酸カリ盛ったプチフール紅茶ラスプーチン用意したという。しかし、ラスプーチンは毒入り食事平らげた後も態度変化示さずユスポフ驚愕させた。ユスポフラスプーチンデザートワイン飲ませ暫く談議していた(政治もしくは神秘主義について話し合っていたという)。数時間後、ラスプーチン泥酔したことを確認したユスポフ応接室向かいドミトリー大公からリボルバー受け取ったユスポフ部屋に戻ると、背後からラスプーチン向かって2発発砲した。銃弾ラスプーチン心臓と肺を貫通し、彼は床に倒れ込んだ。 しかし、死んだ思われラスプーチン起き上がり、「目を見開き、自らの危機知った」という。驚愕したユスポフ階段駆け上がり中庭逃れ騒ぎ聞いて駆け付けたプリシケヴィチがラスプーチン向かい拳銃を4発発砲した。4発の内3発は外れたが、1発は右腎静脈から背骨貫通しラスプーチンの上倒れた。しかし、ラスプーチン起き上がったため、神経質になったユスポフは靴でラスプーチンの右目を殴りその後ラスプーチンは額を拳銃撃たれた。 同じ頃、周囲巡回していた警官二人銃声モイカ宮殿から出て行く車を目撃したユスポフたちはラスプーチン遺体の処理について相談し、ペトロフスキー英語版)から遺体捨てることに決めた。プリシケヴィチは警官に「ラスプーチン撃ったのは自分だ」と自慢したが、事態重大さ認識すると「皇帝のためにやったことだ」と弁明した。スホーチンはラスプーチン生存偽装するため、彼のコート雨靴手袋着用しドミトリー大公とラゾヴェルトと共にプリシケヴィチの車に乗り込んだ。スホーチンたちはプリシケヴィチの屋敷暖炉ラスプーチン衣服焼却しようとしたが、プリシケヴィチの妻に拒否されたため、そのままモイカ宮殿戻ったモイカ宮殿戻ったドミトリー大公絨毯簀巻きにした遺体を車に積み込みクレストフスキー島(英語版)に向かいの上から凍りついたネヴァ川に氷を割って開けた穴に遺体捨てた

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決行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 21:16 UTC 版)

神兵隊事件」の記事における「決行」の解説

前田は、7月11日決行に腹を決めて指令発し10日夜、明治講会館に集合したところを検挙された。検挙されたのは、同人をはじめ、影山正治白井為雄・村岡清蔵(以上、行動隊東京部)、片山駿(同満州組)以下49であった。 同夜、水戸から大型バス乗って上京した行動隊茨城組の小池銀次郎など30余名は、検挙模様気付いて明治神宮外苑から引き返して土浦帰ったところを鈴木善一検挙をしらずに11日朝に明治講会館に現われところをそれぞれ検挙された。 山口中佐11日朝、前田以下が一斉検挙されたことを知り予定行動中止した

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決行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 03:00 UTC 版)

大宰相府襲撃事件」の記事における「決行」の解説

1913年1月23日14時30分、エンヴェルは統一派のメンバー数十人を率いて大宰相府へと向かう。大宰相府へと向かう道中統一派のスポークマンであったオメル・ナジが群衆扇動し大宰相府へと向かう群衆の数は次第膨れ上がっていった。集団大宰相府の門の前にまで到着すると、大宰相府警護するはずの守衛何の行動起こさずにエンヴェルたちを見守ったその後群衆落ち着くのを待ってオメル・ナジが再び祖国愛訴えかける演説行い演説興奮した群衆声援を背に統一派は15時大宰相府への突入開始する大宰相府側はこのデモ隊到着最初危険視していなかったものの、投石などで窓が割られ始めると大宰相のキャーミル・パシャは戸締りを行うように側近命じたという。 突入からわずかな時間のうちに、突入阻止しよう出てきた大宰相府警備員軍人との間で銃撃戦始まり双方死傷者出たものの、統一派は勢い乗じて大宰相府奥深くへと侵入した。そしてこの襲撃過程陸軍大臣ナーズム・パシャが統一派のメンバーであるヤクブ・ジェミルによって射殺されのである。ナーズムの最期に関してはいくつかの説があり、現在では大きく分けて二つ場面伝わっている。一つ目円卓腰かけたナーズムが落ち着いて襲撃者たちに語りかけたところ、興奮したジェミルによって射殺されたというもので、二つ目銃声聞いて様子伺い部屋から出てきたナーズムが、出合頭にジェミルによって殺害されたというものであるその後大宰相のキャーミルを発見したエンヴェルは拳銃をキャーミルへと向けて辞任迫りスルタンへの辞表作成要求した。エンヴェルから逃れられないことを悟ったキャーミルは辞表作成したが、エンヴェルは辞表中に人民要求で私は辞任する。」という文言入れることを要求し、キャーミルに行わせた。 クーデターはわずか数十分のうちに終了し大宰相府から出てきた統一派の襲撃者たちは建物取り囲む群衆の「国家歳!統一と進歩委員会歳!」という歓声迎えられた。

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決行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 05:11 UTC 版)

松本サリン事件」の記事における「決行」の解説

6月27日早朝実行メンバーらは都内うまかろう安かろう亭行われた省庁制発足式から上九一色村帰還14時頃、端本らが富士宮市作業服などを購入して戻ってくると、端本に対して新実から「では、説明しておきます。」「これから松本ガス撒き行きまーす!」「マンジュシュリー正大師ワーク邪魔するものはボコボコにして構わない」、などと軽い口調作戦伝えられた。端本警備中に戦闘になった殺してもいいのかと心配する新実は「いいんじゃないですかあ。主に闘うのは警官になると思います闘っている間に我々は逃げますから、あとはよろしく」と適当に答えた夕方一行端本運転し村井同乗したサリン噴霧車と、富田運転する護衛部隊のワゴン車分乗し出発土谷正実によると、この時新実らは教団内の隠語サリンを指す魔法使いサリーの歌を車内合唱していたという。 20時頃、塩尻市内のドライブインにて新実村井相談の上長野県松本市北深志にある裁判官官舎への攻撃作戦変更電話麻原合意得た。これはNシステム避けるため高速道路を使わなかったこと、サリン12リットル注入手間取ったこともあって、到着時間遅くなり、長野地方裁判所松本支部は既に閉まってい時間となっていた為であった22時頃、裁判所宿舎付近に到着すると、駐車場にてナンバープレート偽装しつつ村井噴霧地点策定噴霧決行した2250分頃、サリン尽き発車麻原は、松本サリン事件後に井上嘉浩に対して「俺も無差別殺人はつらいんだよ。でもアーナンダ(=井上嘉浩)、ヴァジラヤーナ救済のためには仕方がないんだよ」と語ったという。

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決行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 17:19 UTC 版)

坂下門外の変」の記事における「決行」の解説

決行に当たって桜田門外の変倣いそれぞれ変名用いた斬奸趣意書携えていた。文久2年1862年1月15日午前8時頃、信正老中行列登城するため藩邸出て坂下門外に差しかかると、水戸藩浪士平山兵介細谷忠斎)、小田彦三郎浅田儀助)、黒沢五郎吉野政介)、高畑総次郎相田千之助)、下野医師河野顕三三島三郎)、越後医師河本杜太郎豊原邦之助)の6人が行列を襲撃した水戸藩浪士川辺左次衛門計画参加していたが、遅刻したため襲撃参加出来なかった(なお、黒沢高畑第一次東禅寺事件参加者である)。 最初に直訴装って河本杜太郎が行列の前に飛び出し駕籠銃撃した。弾丸駕籠逸れて小姓の足に命中、この発砲合図に他の5人が行列に斬り込んだ警護の士が一時混乱状態に陥った隙を突いて平山兵介駕籠に刀を突き刺し信正背中軽傷負って一人城内逃げ込んだ桜田門外の変以降老中もとより登城の際の大名警備軒並み厳重になっており、当日供回り50人以上いたため、浪士ら6人は暗殺目的遂げことなくいずれも死した警護側でも十数人の負傷者出したが、死者はいなかった。 遅刻した川辺長州藩邸に斬奸趣意書届けた後、切腹した。実質的な首謀者であった大橋実行者たちを手助けした容疑宇都宮藩預けられ、すぐに死去した一説では毒殺であったといわれるまた、佐賀中野方蔵大橋交友があったために捕らえられ五月二十五日獄死した。その死は親友である江藤新平翌月六月二十七日脱藩する行動影響与えた毛利敏彦江藤新平」)。

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決行

出典:『Wiktionary』 (2021/08/23 11:01 UTC 版)

この単語漢字
けつ > けっ
第三学年
こう
第二学年
音読み 音読み

名詞

(けっこう)

  1. はっきり決めた上で実行すること。
  2. 困難事情があってもかまわず実施すること。

関連語

動詞


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