松本サリン事件
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松本サリン事件(まつもとサリンじけん)は、1994年(平成6年)6月27日に長野県松本市でオウム真理教により引き起こされたテロ事件。
注釈
- ^ 逮捕・起訴はされていないので、厳密には冤罪に該当しない。
- ^ 入院先の松本協立病院にて、事件以来意識を回復させることなく死去した。死因はサリン中毒による低酸素脳症が原因の呼吸不全である。彼女は同年6月時点ですでに余命3か月を言い渡されており、危篤の連絡を受けた夫の見守る中、静かに息を引き取ったとされる。
- ^ ゼンリンの住宅地図では「松本地方裁判所宿舎」という名前で掲載されている[5][6]。
- ^ この時に使用されたサリンは純度70%程度であったため臭気があったが、純粋なサリンは無色無臭。
- ^ 戦争漫画家の小林源文は、「某有名私大の学生が自宅の庭で殺虫剤からサリンを合成した」という全く虚偽の事件を著書の中で記述するに至っている[29]。
- ^ 他局は「調合ミス」説を報じていたが、テレビ信州は「自分たちの手では事実確認できなかった」ということや、市販の農薬が原因の事故としては被害が甚大すぎること、そしてミスならば過失致死傷で立件されるべきこと(殺人容疑での立件とは矛盾すること)を理由に、「調合ミス」説を取ることはなかった[34]。倉田は、「地元他局が信用調査会社の情報に基づいて行った倒産報道で訴えられ、敗訴したという事例を意識した。ある企業が倒産報道の時点では倒産していなかったのに報道が引き金となって実際に倒産してしまったとして、その局に損害賠償を求めたものである。(中略)ミスとはいえ、市販の農薬が原因だとすれば、販売上の問題や行政の監督責任を視野に入れるべきとも考えた。」と述べている[35]。
- ^ その理由について、倉田は「河野氏の顔にモザイクをかけたり、匿名にすると、本人の意図に反して「クロ」印象を増幅させてしまう恐れがあると考え、」と述べている[35]。
- ^ 同事件でも、犯人の女(1998年に死刑確定)の共犯者として逮捕・起訴された男性(1992年に無罪確定)や[36]、富山県内での誘拐殺人事件の被害者に対する報道被害が発生していた。
- ^ ただし、松戸OL殺人事件で無罪が確定した男(小野悦男)は後に足立区首なし殺人事件で無期懲役が確定している。
- ^ 1995年6月の会見にて。
- ^ 他殺死体を自殺事件と断定したが、のちに覚せい剤所持等の別件で逮捕された犯人の任意の自白により殺人事件と判明。
- ^ ただしAK-47密造との予測に対して実際にはAK-74だった。
出典
- ^ 警察白書より[要文献特定詳細情報]
- ^ オウム全公判終結(2011年11月) - 毎日jp
- ^ 松本市(2015)「松本サリン事件被害者の健康調査に関する報告書」
- ^ 降幡賢一『オウム法廷6』 p.27
- ^ 『ゼンリン住宅地図'94 長野県 松本市』ゼンリン、1993年11月、51頁D-1「北深志1丁目13-22 松本地方裁判所宿舎」。ISBN 978-4432531530
- ^ 『ゼンリン住宅地図 長野県 松本市(1)[松本] 202210』ゼンリン、2022年10月、69頁B-3「北深志1丁目13-22 松本地方裁判所宿舎」。ISBN 978-4432531530
- ^ 『毎日新聞』1996年1月23日東京夕刊第4版二面2頁「松本サリン事件 検察側冒頭陳述の要旨」(毎日新聞東京本社) - 縮刷版868頁
- ^ 『中日新聞』1996年1月24日朝刊臨時二面27頁「松本サリン事件中川被告公判 検察側冒頭陳述の詳報」(中日新聞社)
- ^ 2014年6月30日1時テレビ信州放送NNNドキュメント'14「足跡 松本サリン事件20年」
- ^ 朝日新聞朝刊 1995年5月17日付1面
- ^ a b c 松本智津夫被告 法廷詳報告 林郁夫被告公判、カナリヤの会
- ^ 破防法弁明●松本サリン事件は予言されたものだったのか? オウム真理教公式サイト(Internet Archive)
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- ^ 早川紀代秀、川村邦光『私にとってオウムとは何だったのか』2005年 p.197、降幡賢一『オウム法廷12』 p.196
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- ^ 手記 - Compassion カルトを抜けて罪と向き合う 井上嘉浩
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- ^ “TVF・シネパラフォーラム 「テレビは何を伝えたか/私は何を伝えるか」~松本サリン報道を斬った高校生 vs 20年後の高校生~”. [NPO法人 市民がつくるTVF https://tvf2010.org/top2014.html] (2014年10月11日). 2021年11月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月9日閲覧。
- ^ テレビ信州 編『検証 松本サリン事件報道 苦悩するカメラの内側 単行本』龍鳳書房、2001年3月。ISBN 978-4947697141。 NCID BA52139109。国立国会図書館書誌ID:000002972342。
- ^ 川上和久「オウム報道に見るジャーナリズムの陥穽」『財界展望』第39巻第7号、財界展望新社、1995年7月1日、37頁。 - 通巻:481号(1995年7月号)。
- ^ 川上和久「特集 昭和の戦争とメディアの責任 > 週刊誌、ワイドショーの暴走がもたらす現代のリスク 規律なきメディアと統制の芽」『中央公論』第120巻第1号、財界展望新社、2005年1月1日、52頁、NAID 40006538252。 - 通巻:1448号(2005年1月号)。
- ^ 小田貞夫(放送文化研究所)(著)、NHK放送文化研究所(編)「メディアの役割・機能と報道倫理〜阪神大震災・オウム事件をめぐる論議から〜」『放送研究と調査』第45巻、NHK出版、1995年12月、46-49頁、doi:10.11501/3478521、NDLJP:3478521/25。 - 通巻:第535号。
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- ^ a b 宝島30 1995, p. 26.
- ^ a b 宝島30 1995, p. 86.
- ^ a b 滝本太郎 (2010年6月9日). “特集「オウム裁判をめぐって」 オウム裁判と15年間の変化”. 日本脱カルト協会. 2022年6月6日閲覧。
- ^ 毎日新聞 1995年7月6日朝刊
- ^ NHKスペシャル取材班「未解決事件 オウム真理教秘録」 p.144
- ^ 宝島30 1995, p. 20.
- ^ 上祐史浩『オウム事件 17年目の告白』 p.288
- ^ a b 東京キララ社編集部『オウム真理教大辞典』 p.122
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- ^ 産経新聞 1995 10月16日夕刊、毎日新聞 1995年5月2日朝刊
- ^ 週刊朝日 1995年5月30日
- ^ 宝島30 1995, p. 1.
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- ^ 宝島30, p. 74.
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- ^ 宝島30 1995, p. 81.
- ^ 『オウム真理教反対運動のあゆみ』より
松本サリン事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 03:11 UTC 版)
1994年には松本サリン事件にも加担した。新実の指示により、犯行時に着用する7人分の作業着を富田と共に買いに行き、武道に長けた富田、中村昇と3人で特殊警棒を持ってサリン噴霧中の警備係を担当。端本がサリン噴霧車を運転し現場に赴き、助手席に座った村井が機械を操作しサリンを発散させた。村井率いる科学技術省では、特殊潜航艇以外にも非現実的な計画や突飛なものばかりを開発していたため「噴霧したって付近の住人に鼻水が出るくらいだろう」「またバカなことやってる、と思ったわけですよ」「何も考えていなかった。要するに私からしたら、仕返しとかいたずらですから」と考えていたが、事件後教団に貼られた壁新聞で死者が出たことを知り、愕然としたという。 同事件にサリン製造係として関与し、死刑が確定した土谷正実は高校の先輩にあたり、彼が脱会を願う両親の元から逃走して世田谷道場へ逃げ込んだ際、オウム真理教富士山総本部へ連れて行ったのは端本であった。1994年12月、富田とその恋人であった女性信者(オウムシスターズ長女)の脱走を手引きした。
※この「松本サリン事件」の解説は、「端本悟」の解説の一部です。
「松本サリン事件」を含む「端本悟」の記事については、「端本悟」の概要を参照ください。
松本サリン事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 04:29 UTC 版)
詳細は「松本サリン事件」を参照 被害者で第一通報者の河野義行が嫌疑をかけられ、長野県警により連日にわたって聴取、マスコミもこの人物が犯人であるかの様な報道をしていた頃、「松本サリン事件に関する一考察」という怪文書が流通しオウムとの関係を示唆していた。
※この「松本サリン事件」の解説は、「陰謀論の一覧」の解説の一部です。
「松本サリン事件」を含む「陰謀論の一覧」の記事については、「陰謀論の一覧」の概要を参照ください。
松本サリン事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 13:50 UTC 版)
松本サリン事件において、外因物質もそれを推測するための薬品などにについての情報もない段階であった、各社からの事件の初報である1994年6月28日夕刊で「有機リン系の農薬などの薬品が何らかの原因で池に流れ込むなどして、水や水中の藻、微生物などと反応し、神経ガス様のものが発生した可能性がある」とコメント。また原因物質がサリンであろうと警察が発表した翌日朝刊では「製造方法がわかっているのは原爆も同じだが、はるかに身近な材料で殺人兵器と同じものができてしまうことを見せつけたのが今回の事件だ」とのコメントが掲載された。また「サリンはバケツと農薬でつくれる」とコメントし[いつ?]、サリンが農薬から合成できるかのような発言したことで通報者の冤罪報道を助長した[誰?]とされる。
※この「松本サリン事件」の解説は、「常石敬一」の解説の一部です。
「松本サリン事件」を含む「常石敬一」の記事については、「常石敬一」の概要を参照ください。
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