酸素魚雷とは? わかりやすく解説

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【酸素魚雷】(さんそぎょらい)

1930年代ロンドン海軍軍縮条約主力艦保有制限され日本海軍が、主力艦補助する駆逐艦武装として開発した魚雷

それまで魚雷は、燃料燃焼空気用いていたために海水には溶けにくい窒素などが海面浮上し航跡目立ち射程距離短かった
これらの欠点を、酸素魚雷では空気変わり酸素用いることによって改善した

具体的には、魚雷推進するためには当たり前ながら燃料が必要であるが、燃料燃焼には酸素が必要であり、逆に言うと酸素以外の気体必要ない。
それまで酸素供給のために魚雷空気積んでいたが、空気の約80%は燃焼に全く関係の無い窒素であるので、窒素積んだ分のスペース重さは全く意味を持たなくなってしまう。
また、燃焼後に酸素二酸化炭素となり、海水溶けることで海面にあまり泡が発生しなくなるが、窒素溶けず全て海面に泡となって浮かんでくるので、航跡簡単につかってしまう。

このように燃料燃焼空気用いることがいかに不効率かは他国でも当時から知られており、他国でも酸素魚雷とほぼ同じ研究がされていたが、開発中に純酸素爆発事故相次いだため開発中止されている。
これは最初から純酸素燃焼させようとしたのが原因であり、日本では空気から徐々に酸素切り替えることで安全に使用できるようにした。
イギリス一度だけ酸素魚雷の開発成功したが、配備した軍艦内で純酸素による爆発事故起こしたため、廃棄されてしまった。
よって、実戦配備できたのは日本海軍だけである。
しかしながら日本海軍でも1916年燃焼実験による爆発事故があり、開発中止追い込まれたものの、1928年に再び開発開始され1933年開発成功した
当時存在そのものトップシークレットで「第二空気」と呼ばれたため、その仕組み乗員にも知らされていなかった。

いくつか種類があるが、口径61cm93式酸素魚雷(速50knで射程20000m)が有名。
この技術により、酸素魚雷は従来空気による燃料燃焼に頼ることなく搭載爆薬の量を増加させたり、酸化剤の量を激減させることができた。

開発当時炸薬量・射程共に世界最高を誇った酸素魚雷だが、その反面重量嵩み航空魚雷としては使用できなかった(航空魚雷では航跡を消す副次効果必要性薄かった)。
そのため、航空戦主流となった太平洋戦争ではあまり使われず、倉庫在庫の山ができたと言われている。
しかしながら水雷戦隊兵装としては最適であり、米海軍からは「Long and Strong Lance」と呼ばれ恐れられた。

なお、一部ドイツ供与され、高い技術力誇ったドイツ軍技師たちをも感嘆させたという。


酸素魚雷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/28 03:43 UTC 版)

酸素魚雷(さんそぎょらい)とは燃料酸化剤として空気の代わりに、空気中濃度以上の酸素混合気体もしくは純酸素を用いた魚雷である。


注釈

  1. ^ ネルソン級戦艦に採用(W:British 24.5-inch torpedo)され、サイズも連合国側では例外的に大型で九三式に匹敵し直径は上回っていた。
  2. ^ 日本では艦隊決戦構想を重視し、重防御の航空母艦戦艦を含む主力艦を雷撃の標的に想定していたが、ドイツでは通商破壊を主としており標的は主に輸送船であった。
  3. ^ 第二次大戦中まで、他国の主用魚雷は水上艦が533 mm級、潜水艦が460 mm級であったのに対し、日本は水上艦610 mm、潜水艦533 mmであった。

出典

  1. ^ 世界の艦船2010*9::アンドレイ・ポルトフ
  2. ^ 『連合艦隊の栄光』第六章
  3. ^ 『海軍水雷史』海軍水雷史刊行会。 
  4. ^ 戦史叢書第095巻 海軍航空概史 p.42
  5. ^ 戦史叢書第095巻 海軍航空概史 p.41
  6. ^ 「魚雷」の章(頼惇吾担当)、「機密兵器の全貌」興洋社、1952年
  7. ^ p.327-p.333、第五章:「回天」と「桜花」の狭間、特攻 恩田重宝、講談社、1988年


「酸素魚雷」の続きの解説一覧

酸素魚雷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 14:46 UTC 版)

とある飛空士への夜想曲」の記事における「酸素魚雷」の解説

雷撃機水上艦艇に対して使用する魚雷飛行能力持たないため飛行中飛空艦に対して無力だが、炸薬量が多いため水艦艇着水中の飛空艦に対して比類なき威力発揮する西海においては、レヴァームは運用コストのかかる飛空艦ではなく水上艦艇多く用いるため、この魚雷使用頻度もあがる。

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酸素魚雷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/20 07:01 UTC 版)

朝熊利英」の記事における「酸素魚雷」の解説

朝熊中佐として艦政本部在任中に酸素魚雷の開発携わった。酸素魚雷の開発主導したのは、艦政本部第二課長・岸鹿子治である。酸素魚雷の開発イギリス海軍先行していたが、危険すぎて実用に適さないとして開発放棄されている。日本では過去爆発事故起こし大八木静雄造兵少佐酸素濃度50%の段階まで進めたものの開発停滞していた。海軍部内でも反対者多く軍務局長豊田貞次郎実験中止提案されたが、岸本開発続け朝熊設計主任務めた岸本朝熊大八木は酸素気室加熱室に空気瓶と不環弁を取り付ける方法開発成功した。しかし実際に作動するかは実験確認しなければならず、誰かがバルブを開かねばならない失敗すれば爆発起こり実験科員は生命の危険があった。バルブ開いたのは朝熊で、魚雷は三メートル馳走した。酸素魚雷は1936年(昭和11年)正式兵器採用され太平洋戦争において戦果収めた

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