九一式魚雷
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九一式魚雷(きゅういちしきぎょらい)は、大日本帝国海軍が航空機からの投下用に開発・使用した航空魚雷。第二次世界大戦における艦船攻撃に使用された。九一式航空魚雷ともいう。
注釈
- ^ The World War II Multimedia Database 2011年6月1日時点のアーカイブ。オリジナルの写真は、搭乗員たちの連続した左右横滑り戦術を写している。これは、そのうちの2番目の写真である。オリジナルの写真はパブリックドメインで、米国政府の所有物である。
- ^ この機は、1944年2月17日の夕暮れにトラック諸島の沖合いで反撃に出撃した機であり、第二航空隊の雷撃隊所属の天山4機のうちの1機である。4機のうち2機は帰途不時着し、乗組員は救出された。残り2機は無事基地に帰着した。
- ^ 旧姓、松縄。
- ^ 爆管は天山の場合。九七艦攻では投下索を引いた。
- ^ 自費出版サービスの数式表現制限に由来すると推察される明白な数式誤植がいくつかあり、それらは訂正してある。
出典
- ^ 市川英彦「表 1-2 航空魚雷一覧」『航空魚雷ノート』p.24,
- ^ 伊澤保穂「比島決戦 三菱四式重爆撃機「飛龍」」『日本陸軍重爆隊』徳間書店, 1982, pp. 253-255.
- ^ 「2-6.三式爆発尖」「2-6-1. 凧式金物(T金物)の実験 - 広田晴男 少佐寄稿」「2-6-2. 三式爆発尖開発のプロローグ - 前田盛敏 技師遺稿」『航空魚雷ノート』pp. 37-45.
- ^ 神野正美「第一章 台湾沖航空戦 - 幻の大戦果」(旧姓 西本久衛 兵曹),『空母瑞鶴』pp. 73-74.
- ^ 「図4-5」『航空魚雷ノート』p. 68. -- (落下順序・右上→左下)魚雷の横揺振動を機上から撮影したものである。
- ^ 広田 海軍技術少佐「図4-12」『航空魚雷ノート』p. 87.
- ^ 成瀬正二, 広田晴男「航空魚雷の理論」,「航空魚雷の空中雷道」『航空魚雷ノート』pp. 47-77.
- ^ 「愛甲文雄」『航空魚雷ノート』p. 13.
- ^ 『國防』昭和45年8月号。
- ^ 市川英彦; あとがき『航空魚雷ノート』p. 278.
九一式魚雷
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詳細は「九一式魚雷」を参照 日本の九一式魚雷は、2つの特徴をもっていた。 1936年から、横須賀航空隊八分隊雷撃班の提案による(水中突入時に飛散する)木製空中姿勢安定の「框板」を尾部に装着した(九一式航空魚雷改1)。 1941年春から、ロールを安定制御する角加速度制御安定器を備えた(九一式航空魚雷改2)。この安定器は航空魚雷にとって最大のブレークスルーだった。 これらによって、九一式魚雷は速度 180 ノット(333km/h)、高度66フィート (20m)でも、海底の浅い港湾で発射できるようになっただけでなく、九七式艦上攻撃機の水平最高速度 204 ノット(378 km/h)を超える加速度降下雷撃で波立つ荒れた海でも発射できるようになった。
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