金剛型戦艦
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金剛型戦艦(こんごうがたせんかん)は、大日本帝国海軍の戦艦の艦級。日本初の超弩級巡洋戦艦であり[5]、また1番艦の金剛は英国で建造され[6]、海外に発注した日本最後の主力艦となった[7]。 2番艦比叡、3番艦榛名[8][9]、4番艦霧島は[10]、大日本帝国の造船所で建造された[注釈 1]。
注
- ^ a b 巡洋戰艦金剛(二萬七千五百噸)は同クラスの比叡、霧島、榛名の三艦が何れも我が國で建造されたのに比し英國ヴイツカース社の建造になるもので軍縮會議後兵力量缺陥を補ふべく海軍では昭和三年十一月から横須賀工廠で大改造に着手し滿三ヶ年を費して漸く今秋九月中旬完成することになつた。[11] 改造後の金剛の性能は軍機に關する故極秘とされてゐるが現在の如く防空設備の重大視されない大正二年八月英國で建造されたもので完全な甲板上の防空設備をなす外前檣が榛名と同形に改造、水平線以下には魚形水雷を防ぐバルリーが新設される等近代的巡洋戰艦として生れ變るか、大改造の爲め排水量に相當增加あり速力二十七.五ノットにも影響するに至つたので、石炭を排し重油を使用し煙突は三本を二本に減ぜられ、純日本式型體を有するに至つた(記事おわり)
- ^ 金剛の進水と、アメリカ海軍初の45口径14インチ砲搭載戦艦(ニューヨーク級戦艦)テキサスの進水日が同日[5]。
- ^ 日本海軍戦艦では最高の30kt。
- ^ a b c 【二十九日東京發】[15] 軍縮會議決裂により既に英米兩國は海軍力充實の準備を開始したが、之に對應してわが海軍も取敢ず現在の劣勢海軍力による國防の安全を確保すべく、常備艦隊の兵力を充實することになり、聯合艦隊に主力艦戰隊及び航空戰隊を新設追加編入することに方針決定した、斯く決意するに至つた事情は英米海軍の現勢は主力艦十五隻保有に對し、我方は既存條約の桎梏により九隻を有するに過ぎず、更に常備艦隊編制においては英米は全主力艦の大部分を編入し、わが海軍は豫算の關係上全主力艦の半數弱を一個戰隊に編成し聯合艦隊に常置してゐる程度なので、主力艦戰隊の充實とともに巡洋戰艦型快速主力艦に威力を發揮せしむるため、聯合艦隊の第一戰隊は純戰艦を以て編成し、新に金剛級主力艦を以て第三戰隊を編成、航空母艦も對英米六割の劣勢に鑑み水上機母艦を以て第三航空戰隊を編成の意向で五月頃實現する模様である(記事おわり)
- ^ 1944年になると第二艦隊に大和型戦艦が編入され、残存していた金剛と榛名と行動を共にした(マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦における栗田艦隊)。
- ^ (二十日東京發)[31] 既報の如く主力艦代艦建造問題は財源捻出につき議會で問題となつてゐるが 華府會議 の結果保有されてあるわが主力艦十數隻の中巡洋戰艦金剛(二六,二三〇噸)は昭和八年で艦齢二十年に達するので、六年度にはその代艦が起工される筈で、艦政本部ではすでに設計に着手してゐるが、恐らく列強海軍を驚倒させるやうな大威力艦が建造されるであらうと期待されてゐる、ワシントン會議によつて保有したわが主力艦の 總排水量 は三十一萬五千噸で、これを一艦三萬五千噸級のものばかりにすると、現有勢力十數隻は九隻になるが、この間の按排は適當に考慮することとなり、金剛の代艦は大體において大正九年十二月呉工廠で常備排水量四萬一千噸の巡洋戰艦として建造した赤城(その後華府條約により航空母艦に改造)を標準とし、排水量を減ずるためには艦材には磯波その他一千七百噸級の驅逐艦に使用して良成績を納めてゐるジュラルミン輕金属を使用し、基準排水量三萬五千噸以内で航空兵器や落角彈に對する 新考案を 加へ、主砲十六吋砲十門(二聯装砲塔)を搭載し、大口徑魚雷發射管八門を装備し、二十七節以上の快速力を有するもので、英國が列強海軍に誇る戰艦ロドネー(基準排水量三萬一千噸)を遙かに凌駕する世界第一の最新最鋭のものであるといはれてゐる、この最初の代艦は横須賀または呉で建造される筈である(記事おわり)
- ^ 【東京八日】[37] ロンドン海軍會議協定成立後日本の廢棄する主力艦一隻は巡洋戰艦比叡(二萬七千五百噸)と決定した(記事おわり)
- ^ (二十九日東京發)[55] 軍縮會議脱退に依て我國は無條約状態となり各國の海軍競爭激化形勢に備へるため金剛級主力艦を以て第三戰隊を編成、航空母艦を以て第三航空戰隊を編成することになつた(記事おわり)
- ^ 長崎なる三菱造船所に於ける帝國装甲巡洋艦
霧 嶋 (排水量二萬七千噸)の起工式は十七日午前十時より同所立神工場に擧行龍骨据付を了せり同艦は二月十六日起工せる巡洋艦榛 名 の姉妹艦にして來る四十九年度を以て竣工の豫定なるが機關はパーソン式タービンを採用すべしと[16](記事おわり)
脚注
- ^ “巡洋戰艦新造 金剛比叡の代艦 噸數は四萬内外”. Nichibei Shinbun. pp. 05 (1919年5月16日). 2023年10月1日閲覧。
- ^ a b c d #日本の戦艦(上)2001p.222
- ^ 『歴史群像太平洋戦史シリーズ65 決定版 金剛型戦艦』pp.133
- ^ 『福井静夫著作集第1巻 日本戦艦物語I』pp.345-346。
- ^ a b “◎新艦金剛威力 ……世界屈指の新鋭……”. Nippu Jiji. pp. 02 (1913年5月27日). 2023年10月1日閲覧。
- ^ ポケット海軍年鑑 1935, p. 17戰艦“金剛 こんがう”
- ^ “海の生命線を護る我帝國海軍の現勢力”. Yuta Nippō. pp. 03 (1933年10月16日). 2023年10月1日閲覧。
- ^ 日本軍艦集2600年版 1940, p. 19a― 戰艦 ― 榛名(はるな)
- ^ ポケット海軍年鑑 1937, p. 17戰艦“榛名 はるな”
- ^ 日本軍艦集2600年版 1940, p. 19b― 戰艦 ― 霧島(きりしま)
- ^ “巡洋戰艦「金剛」純日本式に大改造 今秋までに面目一新”. Hoji Shinbun Digital Collection. Burajiru Jihō. pp. 08 (1931年7月2日). 2023年10月1日閲覧。
- ^ “戰艦復興(三)無氣味な日本の沈黙 不安に怯ゆる英米”. Nippaku Shinbun. pp. 01 (1938年4月29日). 2023年10月1日閲覧。
- ^ a b “倫敦軍縮會議 軍縮協定による主力廢艦決す 日本は比叡を練習艦にし批准後十八ヶ月に廢棄”. Shin Sekai. pp. 01 (1930年4月14日). 2023年10月1日閲覧。
- ^ ポケット海軍年鑑 1935, p. 18練習戰艦“比叡 ひえい”
- ^ “英米の海軍に對應し我常備艦隊の兵備充實 五月から強化される聯合艦隊”. Manshū Nichinichi Shinbun. pp. 01 (1936年1月30日). 2023年10月1日閲覧。
- ^ a b “◎高速戰艦霧嶋起工式 十七日三菱造船所にて”. Nippu Jiji. pp. 06 (1912年4月1日). 2023年10月1日閲覧。
- ^ a b ポケット海軍年鑑 1937, p. 16戰艦“霧島 きりしま”
- ^ a b #S15年末国防所要兵力表(S9.09.25) p.2(軍機 條約決裂后ノ昭和十五年末ニ於ケル國防所要兵力表(昭和九.九.二五)軍令部第一課)(註:新高速戦艦(65,000トン×34ノット)に対し、金剛型3隻は「旧高速戦艦」と表記、比叡は戦艦に復旧)
- ^ a b c #S16年度海軍戦時編制案(昭和10年2月) p.5(軍機 昭和十六年度(一九四一年)帝國海軍戰時編制(案))〔 GF|2F|4S|高戰|榛 霧 金 比(改) 〕
- ^ “勇姿は堂々海を壓す 我が軍艦の命名 戰艦は國、巡洋艦は山川の名”. Kawai Shinpō. pp. 06 (1938年11月8日). 2023年10月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 『福井静夫著作集第1巻 日本戦艦物語I』pp.213-234「金剛型の建造」。
- ^ a b c d e f g 『歴史群像太平洋戦史シリーズ21 金剛型戦艦』pp.71-83「日本初の超弩級金剛型の誕生」。
- ^ a b “◎川崎造船技師自殺”. Nippu Jiji. pp. 03 (1914年12月5日). 2023年10月1日閲覧。
- ^ “●饒舌贅辯”. Nan’yō Shinpō. pp. 02 (1914年12月10日). 2023年10月1日閲覧。
- ^ 『歴史群像太平洋戦史シリーズ65 決定版 金剛型戦艦』pp.111-112
- ^ a b 『歴史群像太平洋戦史シリーズ65 決定版 金剛型戦艦』pp.120
- ^ a b 『歴史群像太平洋戦史シリーズ65 決定版 金剛型戦艦』pp.127
- ^ “●八八艦隊充實期 =或は英國に注文を發せん=”. Burajiru Jihō. pp. 03 (1919年7月11日). 2023年10月1日閲覧。
- ^ “海上の自由と安全と 戰後海軍はどうなるか 華府大使館附武官 海軍中佐 上田良武”. Nyū Yōku Shinpō. pp. 03 (1919年1月1日). 2023年10月1日閲覧。
- ^ 海軍省、参考用図表 1928, pp. 25–26, 63–64.
- ^ “世界に比類なき金剛代艦の威力世界第一の最新最鋭を誇る 艦政本部設計に着手”. Nan’yō Nichinichi Shinbun. pp. 03 (1929年3月2日). 2023年10月1日閲覧。
- ^ “金剛艦級の四隻を廢棄せしめんとする米國の戰艦削減案 我全權對策に苦慮”. Shin Sekai. pp. 01 (1930年1月23日). 2023年10月1日閲覧。
- ^ “協定成立せば日本は金剛廢棄か 英五隻、米三隻、日一隻で總トン二十萬”. Shin Sekai. pp. 01 (1930年2月8日). 2023年10月1日閲覧。
- ^ “米國案具體化せば我金剛艦即時廢棄 米國は三隻を廢棄することゝなるが何れもボロ艦で金剛の比較にならぬ 主力艦整理問題と我海軍の意嚮”. Nippu Jiji. pp. 01 (1930年2月6日). 2023年10月1日閲覧。
- ^ “金剛廢棄は重大 均衡が取れぬ主力艦の割當て 米國新提案の内容”. Nan’yō Nichinichi Shinbun. pp. 02 (1930年2月8日). 2023年10月1日閲覧。
- ^ ロンドン海軍条約本文 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ “軍縮協定成立後 比叡を廢棄す 二萬七千噸の巡洋艦”. Nippu Jiji. pp. 01 (1930年4月8日). 2023年10月1日閲覧。
- ^ ポケット海軍年鑑 1935, p. 80戰艦“マラヤ Malaya”
- ^ ポケット海軍年鑑 1935, pp. 78, 82(フッド、レナウン)
- ^ ポケット海軍年鑑 1937, pp. 75–76.
- ^ “廢棄さるゝ軍艦比叡は練習艦とし存置 海軍首腦會議の意見”. Nippu Jiji. pp. 01 (1930年4月9日). 2023年10月1日閲覧。
- ^ 日本軍艦集2600年版 1940, p. 20― 練習戰艦 ― 比叡(ひえい)
- ^ ポケット海軍年鑑 1937, p. 19練習戰艦“比叡 ひえい”
- ^ ポケット海軍年鑑 1937, p. 159戰艦“ドイチユランド Deutschland”
- ^ ポケット海軍年鑑 1937, pp. 123, 143.
- ^ “戰艦復興(二)獨蘇二巨人に對抗 佛、悲痛な頑張り”. Nippaku Shinbun. pp. 01 (1938年4月28日). 2023年10月1日閲覧。
- ^ “戰艦復興(一)吾が太平洋の假想敵 見よ英米の大建艦計畫”. Nippaku Shinbun. pp. 01 (1938年4月27日). 2023年10月1日閲覧。
- ^ “戰艦復興(四)太平洋怒濤の上に巨艦萬能時代の夢”. Nippaku Shinbun. pp. 01 (1938年5月1日). 2023年10月1日閲覧。
- ^ “「昭和11年度艦船改造新設事項概要」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C06092450200、公文備考昭和12年P会議巻4機関長会議3止”. 防衛省防衛研究所. pp. 04. 2023年10月1日閲覧。
- ^ a b #S11御説明参考資料(2) pp.6-8
- ^ #執務報告pp.7-8
- ^ ポケット海軍年鑑 1935, p. 15戰艦“霧島 きりしま”
- ^ ポケット海軍年鑑 1935, p. 16戰艦“榛名 はるな”
- ^ “昭和八年度の我が常備艦隊 十二月一日より新編成”. Hoji Shinbun Digital Collection. Nan’yō Nichinichi Shinbun. pp. 01 (1932年11月18日). 2023年10月1日閲覧。
- ^ “海軍競爭に備ふ 金剛級の第三戰隊と第三航空戰隊編成”. Singapōru Nippō. pp. 02 (1936年1月30日). 2023年10月1日閲覧。
- ^ 『図解 日本帝国海軍全艦船 1868-1945』(並木書房)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 『歴史群像太平洋戦史シリーズ21 金剛型戦艦』折り込みチャート。
- ^ 昭和17年7月14日付 内令第1241号。
- ^ 『日本海軍編制事典』、pp. 336-338。
- ^ 昭和17年12月20日付 内令第2338号
- ^ 昭和17年12月20日付 内令第2348号。
- ^ 『日本海軍編制事典』、p. 448。
- ^ 昭和20年1月20日付 内令第50号。
- ^ 昭和20年2月10日付 内令第114号。
- ^ 昭和20年4月20日付 内令第338号。
- ^ 昭和20年6月1日付 内令第499号。
- ^ 昭和20年8月15日付 内令第738号。
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